TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No33030 の記事


■33030 / )  Re[11]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/09/12(Tue) 20:29:18)
    再掲だと思うけど、

    【モーリス・メルロ=ポンティ著『知覚の現象学』中島盛夫訳発行所財団法人法政大学出版局】の、

    『…コギトは私を状況にあるものとして、あばき出さなくてはならない。そうしてこういう条件においてのみ、フッサールのいうように、超越論的主観性は相互主観性たることが可能なのである。省察する自我としては、なるほど私は私から世界と物とを区別することができる。たしかに私は物のあり方で実存しているのではないからだ。私は、諸物のうちの一つの物として、物理−化学的諸過程の集まりとして、理解された私の身体を、私から隔てることさえ、あえてなすべきである。しかし、こうして見出された思惟(cogitatio)も、客観的な時間と空間のうちにあるものではないにせよ、現象学的世界のなかに占むべき場所をもたないわけではない。因果の関係によって結びつけられた物もしくは諸過程の集まりとして私が私自身から区別した世界を、私のいっさいの思惟の恒常的な地平として、また私がそれに対してたえず自分を状況づける(se situer)の一つの次元として、私は「私のうちに」再び発見するのである。真のコギトは、主体の実存を、実存することについて主体がもつ思惟によって定義したり、世界の確実性を世界に関する思想の確実性に転化したり、結局、世界そのものを世界という意義によって置き換えたりたしはしない。真のコギトは、かえって私の思惟そのものを、破棄されえない一つの事実と認め、私を「世界における(への)存在」(etre au monde)として露呈することによって、あらゆる種類の観念論を廃するのである。…』(p11−12)
    (etreの上の^は省略してます)
    っていうとこころ、何度も読み返してる。

    『私を「世界における(への)存在」(etre au monde)として露呈する』っていうの、〈「私」をetre au mondeとして見る〉って言ってるんだとわたし思ってる。

    あと、『あらゆる種類の観念論を廃するのである』の「観念論」、「超越論的観念論」っていうのも当然含まれてるってわたし見てる。



返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -