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■35403 / inTopicNo.25)  Re[24]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/10(Sun) 19:27:30)
    No35002の(l)が書いてあるところ、この際だから切りのいいところ、タイピングしたのを。
    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】の序文で、
    『現象学とは何か。・・・・・』から始まる、その一部。p3-5
    **********
    記述することが肝心なのであって、説明したり、分析することではない。フッサールが初期の現象学に与えた命令、つまり「記述的心理学」であれ、もしくは「事象そのものに」帰れという命令は、さしあたり科学の否認である。私は、私の身体あるいは私の「精神現象」を規定する多様な因果性の結果でも交錯でもない。私は自分を、世界の一部として、生物学、心理学、ならびに社会学お単なる対象として考えることはできないし、一般に科学の考える世界のなかに私を閉じ込めることはできない。世界についての私の知識は、たとえ科学による知識であろうと、どれもこれも、世界に関する私自身の観察、もしくは経験からして得られるのであって、このような経験がなければ、科学の記号には何の意味もないであろう。科学の宇宙の全体は、生きられた世界の上に打ち建てられており、もしわれわれが科学そのものを厳格に考え、正確にその意義と有効範囲とを測ろうと欲するならば、まず第一に世界についてのあの経験を呼びまさなくてはならないのである。科学はこの経験の二次的は表現なのだ。科学は知覚された世界と比肩しうる存在意義を決してもってはいなし、また将来ももつことはないであろう。その理由は簡単である。すなわち、科学は知覚世界の一つの規定、もしくは一つの説明だからである。動物学、社会解剖学、それに帰納的心理学は、「生物」とか「人間」とか、「意識」といったような、自然もしくは歴史の産物に、さまざまな特徴を認めるが、私はこうした特徴のすべてをそなえた「生物」ではないし、このような意味では、「人間」や「意識」ですらない。――私は絶対的な根源である。私の実存は、私の経歴、私の自然的・社会的環境から由来するのではない。私の実存はこれらに向かってゆき、これらを支える。なぜなら、ある特定の伝統や地平線を私にとってある(それゆえ、また「ある」という言葉が私に対してもちうる唯一の意味において、ある)ようにさせるのは、ほかならぬこの私だからであり、この伝統に立ち戻ることを選択するのも私だからである。また私がそこにいて、私とあの地平線との間の距離を眼でたどらないとしたならば、もともとそれは固有な性質として地平線に属しているわけではないおだから。地平線の私に対する距離は、もろくも崩れさるだろう。私を世界の一つの契機と見なす科学的な見方は、いずれも幼稚で欺瞞的である。というのは、これらの見方は、もう一つの見方、すなわち、意識によって初めて一つの世界が私のまわりに配置され、私に対して存在しはじめるという、意識の見方をいつもひそかに前提しながら、はっきりとはいわないからである。事象そのものに帰るということは、認識に先だつ世界に帰ることである。認識はつねにこの世界について語るのであり、これに対してはいかなる科学的規定も、抽象的、記号的、依存的である。これは、森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景に対して、地理学が抽象的、記号的、依存的であるのと同様である。
    **********

    メルポンの現象学、わたしに分かりやすかったところだったから。
    これについてのわたしの感想はいつか後で。

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■35404 / inTopicNo.26)  Re[25]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/10(Sun) 19:33:58)
    そこはかとなく

    「地球温暖化」っていってる人、
    わたし教科書で知ったんだけど、「氷河期」っておうのあったみたい。
    当時の地球は寒かったんな見たい(わたし想像できないけど)。
    「地球温暖化」って、その頃から比べて、みたいなのかしら?
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■35474 / inTopicNo.27)  Re[26]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/11(Mon) 18:18:25)
    No35403のわたしの憶測と感想ね。

    『さしあたり科学の否認』
    ――「否認」であって、「否定」じゃないよね。
    序文の他のところで、
    『フッサールの末刊の手稿なかで、哲学者は永遠の初心者であるともいわれている。すなわち、哲学者は世人や科学者たちが知っていると信ずるものを、何によらず、既知のこととは見なさない。哲学がかつて真理をいいえたにせよ、かかる真理おいても、哲学は自己の知識を既知のものと考えるべきではない。哲学とは哲学自身の出発点に立ち帰って、繰り返しこれを体験し直すことである。哲学のすべてはこの端緒を記述することに存する。そして結局、根本的な反省とは、非反省的な生に対する、反省自身の依存性を自覚することなのだ。非反省的な生こそ、反省の出発状況であり、恒常的な状況でもあり、終局の状況でもある。』
    とか、
    『私はあるとき反省しはじめたのであり、私の反省は、反省していないものへの反省である。』
    (デカルトだって、「私はあるとき反省しはじめた」んじゃなかったかしら)
    って言ってる。

    『まず第一に世界についてのあの経験を呼びまさなくてはならないのである』の『世界についてのあの経験』っていうが『森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景』にかかってるんだと思う。

    No27553 のP305の、
    『われわれがこの起源に遡り、言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてこの沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるであろう。』(『知覚の現象学』p305)
    の、『この起源』っていうの、
    『森林や草原や河川がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景』のような〈知〉のことのように思えてきてる。
    No34813の(h)の「自然的世界概念」っていうの、こういうようなことかな?
    でも、わたし「概念」っていうのを使ってるのがなんか気になるのね。あ、これはまたいつか。
    「現象学的還元」っていうのはこういうことなんじゃないかしら?って。

    『私は自分を、世界の一部として、生物学、心理学、ならびに社会学お単なる対象として考えることはできないし、一般に科学の考える世界のなかに私を閉じ込めることはできない。』
    ここのところに『世界の一部』っていうのあるけど、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の訳注(27)に、
    〔せっかく発見した「我」を「世界の小さな末端」と解釈してしまった、というのがフッサールがしばしばデカルトに向ける批判点である。デカルト自身「私が事物の総体(宇宙)の部分をなすに過ぎない、ということを否定することができない」(『省察』第4省察)と述べている。〕
    っていうのがあったのを想い出す。

    『「事象そのものに」帰れ』
    ――わたしがまだ科学的な知識を知る前にすでにわたしはこの世界を知ってるんだと思う、その〈知〉ならしめているもの、そこに帰れ、っていうこと?

    「私」や「世界」、そして私と世界との関係性について問いかけるとき、そして、〈私は世界をどのように知ってきたの?〉への接近の仕方として、メルポンは、乳幼のころに遡って、そのうちで見たら?って言ってるような?

    ん?
    都会に生まれ育った子は「高層ビルやアスファルトの地面がどのようなものであるかをわれわれに最初に教えた風景」ってうことになるのかな?ってすると〜、「自然的世界概念」じゃなくて「文化的世界概念」っていう言い方になるのかもね。

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■35528 / inTopicNo.28)  Re[27]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/14(Thu) 19:51:26)
    わたし、苺を食べる。

    そのとき、「赤色」もいっしょに食べてる。

    「苺」っていう「語」が「赤色」に見えてくるのはわたしだけ?
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■35564 / inTopicNo.29)  Re[28]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/16(Sat) 14:37:25)
    〔世界のなかに(へ)存在する「私」〕の物語りつづける。

    これまで書き写したのから、メルポンの「意識」の分節の仕方を見て見た。

    (1)
    No34697の(a)に、
    「知性的意識」と「知覚的意識」ってある。
    この「知性的」と「知覚的」っていう用語で分節してるのをもとにして、これに記号をつけて、
    「知性的意識」――〈知〉
    「知覚的意識」――〈覚〉
    で見ていって見る。

    (2)
    No34697の(b) 、
    「世界についての知」を〈知〉、「私の知覚」を〈覚〉、って見る。

    (3)
    No35001(k)の原注に
    「認識という理論的実践」っていうのある。これを〈知〉。
    No35002(l)に
    「認識に先立つ世界」っていうのある。これを〈覚〉。
    そして、
    こういうのから、
    「認識による世界」を〈知〉ってして、これに対(つい)して、「認識に先立つ世界」を〈覚〉。

    (4)
    No35002(m)に、
    「前客観的な経験の世界」ってある。簡単に「前客観的な世界」ってして、これを〈覚〉、ってして、
    これに対(つい)して「客観的な世界」っていうことにして、これを〈知〉。
    あと、
    「判断以前」っていうのあるけど、それは〔受動的で根源的な信念の場として知覚的・直観的な環境〕。
    これに対(つい)して「判断」ってして、
    「判断」を〈知〉、「判断以前」を〈覚〉。

    (5)
    No34770(e)に、
    「学的解釈」、
    No35002(n)に、
    「科学的な世界理解」、
    ってある。
    これをいっしょにしちゃって、
    「学的世界理解」ってして、これを〈知〉。
    これに対(つい)してどういうのがいいかな〜、って思ったんだけど、
    わたし「学者」と「自然的人間」に分けて見たなかで、「自然的世界知」って言うのがいいな、って思った。
    No34813の(h)の「自然的世界概念」ってしてもよかったんだけど、「概念」っていうのを使うことにわたしのばあいちょっと違和感あるのね。っていうのは、「概念」って「知性的意識」のうちで使われてるイメージがあるから。それと「知覚的意識」における〈知〉っていうのもある気がしてる。だから「自然的世界知」ってすることにした。
    「学的世界理解」を〈知〉、「自然的世界知」を〈覚〉、ってして見る。

    (6)
    No35001(k)の原注に、
    「前述語的」ってある。これを〈覚〉。
    これに対(つい)して「述語的」ってして、これを〈知〉。

    (7)
    No35296の(r)の、
    「知性によって理解された世界」を〈知〉、「知覚された世界」を〈覚〉。

    なんかごちゃごちゃしてるんだけど、これ簡単にしたのを後で。

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■35567 / inTopicNo.30)  Re[29]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/16(Sat) 17:58:35)
    メルポンの「意識」の分節の仕方、
    No35564 からの、簡単にしたの、

    (1)「知性的意識」と「知覚的意識」
    (2)「世界についての知」と「私の知覚」
    (3)「認識による世界」と「認識に先立つ世界」
    (4)「客観的な世界」と「前客観的な世界」
       「判断」と「判断以前」
    (5)「学的世界理解」と「自然的世界知」
    (6)「述語的」と「前述語的」
    (7)「知性によって理解された世界」と「知覚された世界」

    もっと簡単に見ちゃって、
    〈知性によるもの〉と〈知覚されてるもの〉っていう「意識」の分節の仕方。
    ん、わたしのばあい、感覚-知覚-統覚はセットになってるから、これまとめて〈感性〉ってして、
    〈知性〉と〈感性〉、ん〜ん、だいぶ、スッキリした感じ。

    ちなみに、ここで見てる「世界」っていうのは〈生きられた生活世界の地平〉っていう世界のこと。

    わたし「世界(存在)」を「文化(的存在)」と「自然(的存在)」とに分けて見てるんだけど、前者を〈知性によるもの〉、後者を〈感性によるもの〉って見ることもできるんじゃないかな〜、って、ちょっと思ってる。

    あと、わたし、広い意味で「意識(精神)」っていうばあい、「脳」(身体)から生み出されたものってしてるんだけど、ここで見てる「意識(精神)」っていうのは、狭い意味で、大脳皮質の活動によって生み出されたものとして見てる。
    No33642で調べて見たような「神経系」の分類の仕方のなかで、ね。

    いま読んでる【モーリス・メルロ=ポンティ『子供の心理−社会学』ソルボンヌ講義2/松葉祥一・澤田哲生・酒井麻衣子訳/みすず書房2023】のなかに、
    (s)『一般的に、子どもの因果性に関する研究は、子どもがつくりあげた表現だけを対象にして、知覚経験よりも知的概念だけを対象にします。しかし、両者はつねにかなり大きな違いがあります。』(p44)
    ってある。
    区別としては、「知覚経験」と「知的概念」っていうことになるのかな。このばあい、わたしの見立てでは、前者が〈感性〉、後者が〈知性〉っていうことになるんだと思う。

    「意識」の分節――〈知性〉と〈感性〉、なんか前に言ったことの繰り返しになっちゃてるかも、だけど。

引用返信/返信 削除キー/
■35569 / inTopicNo.31)  Re[30]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/16(Sat) 19:28:42)
    いま、わたし、人の「意識」を話題にしてるみたい。

    「医学」も「科学」の一つよね?
    「心理学」や「脳科学」も「科学」だから、こいうの、「医学」じゃないよね?

    「科学」−―「世界」や「人間」を「科に分けて学ぶ」−―こういう「仕方」に慣れ親しんで、それを自明なこととしてしまってるひとにとって、メルポンのは価値ないのかもね。

    つれづれにそこはかとなく。
引用返信/返信 削除キー/
■35570 / inTopicNo.32)  Re[31]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/16(Sat) 19:44:11)
    「意識」の話し。

    「意識」と「精神」は違う?

    「医科学」では、「精神疾患」とか「精神病」っていう「病名」が付けられてるのかな?「意識病」じゃないのよね。
    じゃ、医科学で言う「精神」っていうのどいうのかしら?

    つれづれにそこはかとなく、書いただけ。

引用返信/返信 削除キー/
■35572 / inTopicNo.33)  Re[32]: つれづれなるままに
□投稿者/ パニチェ -(2023/12/17(Sun) 08:22:28)
    2023/12/17(Sun) 08:39:02 編集(投稿者)

    おはよう、悪魔ちゃん。横レス失礼します。

    No35570に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 「意識」の話し。

    > 「意識」と「精神」は違う?

    > 「医科学」では、「精神疾患」とか「精神病」っていう「病名」が付けられてるのかな?「意識病」じゃないのよね。
    > じゃ、医科学で言う「精神」っていうのどいうのかしら?

    > つれづれにそこはかとなく、書いただけ。


    私も考えてみた。
    精神ってのは通常人間のみに使うよね。
    意識は無意識も含めると霊長類をはじめとした動物まで使ってる。
    意識のうち自我意識を含んで人間が有するものを精神と読んでるのかなぁ〜。

    自我意識のみだとチンプやボノボも自己鏡映像認知(鏡に映った自分の映像を自分として認知できること)からしてあると思う。
    なんか犬も他の犬を助けたり、自分で食べたドッグフードを食べてないように見せるため新たなドッグフードを自分で取り出して元の位置に置いておくみたいな飼い主を騙す高度なこともやってるから、サリーとアンのテストもクリアーするんやろな、
引用返信/返信 削除キー/
■35575 / inTopicNo.34)  Re[33]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/17(Sun) 11:21:03)
    ■35572、パニさんありがとございます。

    >精神ってのは通常人間のみに使うよね。<
    そうかも。

    わたしふつううに「意識」とか「精神」っていう語使ってるけど、あらためてその違いを自問してみたとき(自明なことへと問いかけ)、言葉で表現するの難しい。見えないものの名だからかな?

    ちょっとネットで調べて見たけど、似たような語として、「心」ってうのもあった。
    なんかいろいろで、よくわかんなかった。


    file:///C:/Users/Owner/Downloads/CLEIP1-8%20(4).pdf
    こなのもあった。まだ読んでないけど。

    「意識」「精神」「心」の違いについてはひとまず横に置いとくことにしま〜す。

    医科学では、精神の問題を身体(脳)の問題として扱ってる、みたいなのも、ふと。

引用返信/返信 削除キー/
■35576 / inTopicNo.35)  Re[34]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/17(Sun) 11:33:02)
    ■35575、
    あ、ごめん、
    なんかへんなの貼り付けちゃったみたい。
    >file:///C:/Users/Owner/Downloads/CLEIP1-8%20(4).pdf<
    じゃなくて、
    CLEIP1-8 (5).pdf

    (これでできてる?)
引用返信/返信 削除キー/
■35577 / inTopicNo.36)  Re[35]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/17(Sun) 11:39:55)
    だめ、できてない。

    哲学の言葉――ヘーゲルの「精神」について

    っていうのでした。
引用返信/返信 削除キー/

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