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■35920 / inTopicNo.61)  Re[60]: つれづれなるままに
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 16:50:31)
    今日からお休み。
    もうちょっとだけ今のわたしの話題のをつづける。
    No35782のつづき、
    No35646の表から、

    (6)「述語(述定)的」と「前述語(前述定)的」、
    「前述語(前述定)的」な世界、っていうの、まだ言葉が喋れない幼児によって構成されてる世界がそうなのかも。

    (4)「判断」と「判断以前」
    「判断」っていうのもメルポンのばあい「知性的意識」におけるものみたい。
    わたしのばあい、〈知性〉による「判断」、ってなるかな。

    (6)と(8)に、「知性的意識」として「理解」っていうのある。「知覚的意識」の方ではそれに対(つい)して〈感じ−感じる〉っていう語でもいいかな、って。

    (9)「知性的意識」として「知的概念」って、「概念」っていう語があるけど、これに対(つい)して「知覚」ってして、
    「意識」には、世界を、「概念concept」と「知覚percept」っていう二つの捉え方がある、って見るのもいいかも、って。
    だから、
    No34813の(h)の、
    「自然的世界概念」って、「概念」っていう語を「自然的世界」に使うのはどうなのかな?って感じたのかも。

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■35921 / inTopicNo.62)  Re[61]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 17:12:12)
    「意識」を〈知性〉と〈感性〉っていう語で分節して見たんだけど、やっぱどうしてもちょっと迷ってるのよね〜。
    わたし〈感性〉っていうのも「知性」――知ることを欲する――人の性(能力)――のひとつの仕方(在り方)――って見てるのね。
    こういうなかで、呼び名をどういう語にするか、っていうこと。
    「悟性」っていう語でもいいんだけど、なんかカントのみたいになっちゃうし、いろいろな語を調べたけどわたしのにしっくりくるのが見あたらなかったから、ちょっと変だけど「考性」っていうのにすることにした。「考性」っていう語をネットで検索したんだけどなかった。既成言語からは逸脱した、になるかもだけど、まいいかな、って。

    「意識」のなかの〈知性〉として、〈考性〉と〈感性〉の二種類がある、っていうこと。
    (意味は同じよ。ただわたしの呼び名が変わっただけ。)
    〈考性〉=「認識〈物事を正しく理解し判断する意識のひとつ〉」、「客観的」、「述語(定)的」、「概念」「学的」
    っていうこと。
    〈感性〉は〈前考性〉――正しくも真とも呼べない性(能力)、あるいは〈考性〉から見たら〈理解不可能性〉っていうことになるのかも。

    世界を捉えるその仕方として〈感性〉と〈考性〉がある、ってして見てもいいかな。

    No35646の表、変更したの、添付しま〜す。

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■35922 / inTopicNo.63)  Re[62]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 17:28:18)
    No35602 でちょっと触れたけど、
    メルポンの「知性的意識」と「知覚的意識」、フッサールの「能動的総合」と「受動的総合」、そしてわたしの〈考性〉と〈感性〉、
    わたし、「世界(存在)」を「文化(的存在)」と「自然(的存在)」って分けて見ているなかで、「意識」においてもこの分け方を取り入れて、〈考性〉を〈文化的知性〉、〈感性〉を〈自然的知性〉とも見てる。
    ほら、“野生の”っていうのあるじゃん。

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■35926 / inTopicNo.64)  Re[63]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 18:16:24)
    ちょっと話変わるね。ふと思ったの。

    イスラエル人とハマス人、
    日本国のマスの報道では、ガザ地区はハマス人の「支配下」に置かれてる、っていことみたい。
    これが本当だとしたら、で話すね。

    イスラエル人はハマス人を脅威に感じた。ドイツ人がユダヤ人を抹殺しようと試みたのと同じように。

    ガザ地区で日々暮らしてる人たちは、ハマス人の信念を受け入れた(抵抗はしなかった、抵抗できる状況ではなかった)。

    ってすると、イスラエル人にとってはガザ地区で暮らす人々はすべてハマス人。
    イスラエル人はハマス人の全抹殺を試みてるみたい。
    だから、「民間人」とか、関係ないのよ。

    もしそうだとしたら、イスラエル人を支配する人(ごめん、わたし名前知らない)、あまいのよ。徹底的に、なんだったら、っていう意味でね。





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■35928 / inTopicNo.65)  Re[64]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 18:24:58)
    あ、どうでもいいわたしのお喋りから、そらすために、

    ひとつのからだのなかに、2人のわたしがいるのね。

    ひょっとしたら、2人だけじゃなのかも?
    て、誰か言ってる。
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■35930 / inTopicNo.66)  Re[65]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 18:47:32)
    ■35927、マジモンさん、ありがと。
    日本語で考えてるのね、わたしのばあい。

    「理性」の「理」、
    学校で教わるのは「理科」とか「物理学」っていうのあったかな。
    でね、それを教えてる人に、
    「ねえ、先生、「理」って何ですか?」
    って、問えななかった自分を反省してるみたいな。

    非反省的なわたしを、反省的なわたしが見てる、
    みたいな場所がここなのかも。



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■35931 / inTopicNo.67)  Re[66]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/30(Sat) 19:29:29)
    「信念」は、「懐疑」から始まるのね。
    だから、懐疑が前にないのは「信念」とは言わないのね。
    だから、
    ○○ある、っていうそれだけ。





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■35932 / inTopicNo.68)  (削除)
□投稿者/ -(2023/12/30(Sat) 20:52:42)
    この記事は(投稿者)削除されました
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■35946 / inTopicNo.69)  Re[67]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/12/31(Sun) 17:12:29)
    メルポンのに倣って、わたしの「意識」の分節、〈考性〉と〈感性〉っていう語での分節ができたところで、
    つぎに、私の「意識」と「世界」との関係について考えてみたのね。

    前に、「実在主義」と「観念主義」(これって意識と世界との関係性についての見方よね)について、
    No26476で、
    (1)〔事物が意識から独立してそれ自体で実在する〕のが「実在主義」
    (2)〔外界の事物は意識の現象や所産だとする〕のが「観念主義」
    ってして見て、なんかごちゃごちゃ書いてたみたいだけど、
    いまはとっても簡単、

    (A)〔私の外にある「それ」は、私の内で構成された〈それ〉になってる。〕

    って、わたししてる。
    〔外にある〕っていうのは「外界」とか「世界」、〔内で構成された〕っていうのは私の脳の活動によって生み出された「意識」ってしてる。
    〔私の外〕っていう言い方は「世界内存在」っていうのとなんか矛盾してる感じがするけど、私の外にある「それ(ぞれ)」(外界、世界)によって私は囲まれてるって見るとそうでもないよね。

    (A)って、観念主義に近いかもだけど、
    でもね、
    〈それ〉は、「それ」が前提になってるから、「それ」は存在する、ことを認めてることになるのね。
    No35001の(k)に、『「つねに—すでに—そこに」あるわれわれの世界』ってある。【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】のなかでメルポンは、(現象学は)『世界がつねに反省に先だって、廃棄されえない現存として、「すでにそこに」あることを認める哲学でもある。』(p1)って言ってる。
    ただ、〈それ〉は、「それ」“そのもの”じゃない、っていうことは言えるのね。だって〔私の内で構成された〈それ〉〕になちゃってるんだから。
    カントの言うように「物自体」(それ自体がどんなものであるかは不可知――人間のあらゆる認識手段を使用しても知り得ないこと――「もの」そのものは人間に“認識(正しく理解し判断)する”ことはできない――みたいな?でもね、カントの『純理』は、あくまでも「認識」についての、ってわたし見てるから、「意識」っていうことになるとちょっと話が変わってくると思うのね。

    「知性的意識」「認識という理論的実践」「客観的な世界」「判断」「学的世界理解」「述語的」「知性によって理解された世界」「知的概念」っていう〈考性〉は、「世界」というものを、“対象として”見てるのかも。私の外に置いて客観的に見る、みたいな感じで。
    「私を世界における(への)存在として露呈する」のばあい、私を世界の内に置いて私を見る、みたいな感じかな?
    No34934の(i)に『ほかならぬ世界のうちで自己を知るのである』ように。

    で、ここで、
    No35646の(4)を見て見るね。
    「客観的な世界」(認識による世界)に対(つい)して、「前客観的な世界」(認識先立つ世界)を〈知覚されたもの−感性〉ってしたとき、「客観的」に対して〈知覚されたもの〉を「主観的」ってすることはできないのね。だって、〈知覚されたもの〉は、〔私の外にあるもの〕だし、そういうのって「主観」とは言わないんじゃないかしら。「知性的意識」を「客観的」として見るとしても、「知覚的意識」はあくまでも「前客観的」なんだと思う。
    ってすると、「主観」っていうの、どこにあるのかな?

    今年のお喋りはここまでにしとく。

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■35967 / inTopicNo.70)  Re[68]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/01(Mon) 17:47:06)
    「バンクシー」って呼ばれてる人いるみたいじゃん?

    で、そのある人が描いた絵が「売れてる」みたいじゃん。

    「売れる絵」を「描ける」ひとは、すごいじゃん!

    ん?それを「売ってる」人が富を得てるだけの話しなのかも?
    ん?私の絵が売れるようにするための、ある手段として、見たいのがある?

    バンクシーの絵、あんなの、ふつう誰でも描けると思う。

    問題なのは「どこに書いたか」だけで、たんなるその人の主張の落描ききでしかないよと思うけど。

    ん〜ん、各国の首脳?首相?みたいな人が住んでる家の壁にペイントしたものなら、価値あるとうけどね。


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■35969 / inTopicNo.71)  (削除)
□投稿者/ -(2024/01/01(Mon) 18:19:04)
    この記事は(投稿者)削除されました
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■35989 / inTopicNo.72)  Re[70]: つれづれなるままに
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/01/02(Tue) 17:44:45)
    ■35969、マジモンさん、ありがと。

    >美術界はこういう失敗があるよね。<
    ん〜ん、たぶん<失敗>じゃなくて、「美術界はそういう世界」っなんかもね。

    他者の価値に従うように自己の価値をつくりあげる。
    とか、
    他者に自己の価値を決めてもらう。
    的な世界。

    バンクシーって呼ばれてる人がもしそれで収入を得てないとしたら、
    その人、わたしから見たら裕福な人に属する人種でしかない。


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