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Re[10]: つれづれなるままに
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2023/11/27(Mon) 18:55:39)
| わたしの整理のために、もう一つ。 前に書いたけどもう一度書き写しておく(探すのめんどくさいから)。
【『存在と時間』ハイデガー/訳者原佑(はらたすく)・渡邊二郎訳/中央公論新社2003】の書き始めに、 ***************** 「・・・・トイウノハ、君タチガ『存在する』トイウ言葉ヲ使うトキ、イッタイ君タチハ何ヲ意味スルツモリナノカ、ソレヲ君タチガトウノ昔カラ熟知シテイルノハ、明ラカナコトダカラダ。ダガワレワレハ、以前ニハソレヲワカッテイルト信ジテイタノニ、イマデハ困惑ニオチイッテイルノダ。・・・・。」(1) いったいわれわれは、「存在する」という言葉で何を意味するつもりなのか、この問いに対して、われわれは今日なんらかの答えをもっているのであろうか。断じて否。だからこそ、存在の意味への問をあらためて設定することが、肝要なのである。それではわれわれは、今日、「存在」という言葉を了解できない困惑にだけでもおちいっているのであろうか。断じて否。だからこそ、あらかじめ必要なのは、この問いの意味を明らかにするなんらかの了解を、まずもってふたたびめざめさせることである。「存在」の意味への問いを具体的に仕上げることが、以下の論述の意図である。あらゆる存在了解一般を可能にする地平として時間を学的に解釈することが、以下の論述の差しあたっての目標なのである。 そうした目標をねらうこと、そうしたもくろみのうちに含まれていて、このもくろみによって要求されている諸研究、およびこの目標へいたる方途、これらのことは、序論の役目を果たす解明を必要としている。(p5)
(1)プラトン『ソフィステース』244a *****************
これと、 No35200のとを絡めようかって思って。
いまのわたしの今回の物語り、 No33030 の、 『コギトは私を状況あるものとして、あばき出さなくてはならない。』 『私を「世界における(への)存在(etre au monde)として露呈する』(アキュートアクセントは省略) って言ってるから、それをわたし、 〔世界における(への)存在としての「私」〕 ってして見てるんだけど、 ここに『存在』っていうのあるじゃん。 前に「存在」っていうのも調べて見たのを想い出して、も一度見て見ようかと思って。
このつづきは後で。
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