| ■No16186に返信(pipitさんの記事)
> そして〈知性〉に関するすべての直観が可能であるための最高の原則は、直観に含まれるすべての多様なものが、自己統合の意識の根源的で総合的な統一の条件にしたがうということである<
> 直観に含まれるすべての多様なものの像は、それがわたしたちに与えられるという意味では、この第一の原則にしたがうのであり、それが一つの意識において結合されることができるという意味では、この第二の原則にしたがわねばならない。<
> この結合なしでは何ものも考えることも、認識することもできない。というのも[この結合なしでは]与えられた像は、〈わたしは考える〉という自己統合の意識の働きにまったく与かることがないし、その働きによって一つの自己意識のうちで総括されることがないからである。<
> このように意識の総合的な統一は、すべての認識が成立するための客観的な条件である。わたしが一つの客体を認識するためには、この条件が必要である。それだけでなく、直観がわたしにとっての客体となるためにはこの条件にしたがわなければならない。この総合が与えられないその他の方法では、多様なものは一つの意識のうちに結合されないはずだからである。< > > ↑引用終了。中山先生独自番号147.149 > B137あたりから
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ここでカントがのべる「自己統合 」の「自己」、「わたし(たち)」、〈わたしは考える Ich denke〉の「わたし」、「自己意識 Selbstbewusstsein」の「自己」とは、いったい何なんでしょう。
ちょっと前に話題になった?ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの或る本を冷やかして、「わたしは脳であるっ!」(;゚Д゚)とさけんだら、身もふたもないですねー
、、、それはそうと、私うましかも『純粋理性批判』読んでみなければ…
(;´・ω・)沼の精が呼んでいる
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