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■16193 / inTopicNo.61)  Re[14]: Apperception
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/09/11(Sat) 17:23:47)
    なんかね、pipitさま、
    No16175でちょっと気になったところがあるので、お邪魔するね。

    カントの原本?の訳なんだけど、
    J. M. D. Meiklejohnさんの英訳(M)と中山元さんの日訳(N)を見比べて見たんね。

    (1) (M)[exercise of the Understanding]―――(N)「知性の利用」
    (2) (M)[Synthetical Unity]―――(N)「総合的な統一」
    (3) (M)[Apperception]――――(N)「自己統合の意識」
    ってなるんだと思う。
    わたしにとっていちばん気になったのが(3)。

    ふつう[Apperception]は「統覚」って日訳されるんだと思うんだけど、中山さんのは「自己統合の意識」って訳されてるのかな。

    pipitさま、原本ではどうなってるのかしら?もしよかったら教えて。
    わたし、たぶん〔独〕[Apperzeption]って書いてあるじゃないかな〜って。

引用返信/返信 削除キー/
■16190 / inTopicNo.62)  善之泉のほとりでメルロをポン(酒宴^^;)
□投稿者/ うましか -(2021/09/11(Sat) 14:11:23)
    No16188に返信(pipitさんの記事)

    > ここらへんの論調が、メルロ=ポンティさんが、カントは理知主義だと批判?してるとこかな??
    > 知らんけどー


    カントとメルロ=ポンティですか〜(;゚Д゚)

    てきとーに検索したらこんな研究が出てきました〜

    https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-15K02005/15K02005seika.pdf

    まだ読んでません(;´・ω・)


    、、、、

    読んでもわからないでしょう(;´・ω・)




    それでは〜(・ω・)ノ


引用返信/返信 削除キー/
■16189 / inTopicNo.63)  御子柴善之泉で天使ガブが舞う(*‘∀‘)
□投稿者/ うましか -(2021/09/11(Sat) 13:56:58)
    No16186に返信(pipitさんの記事)

    > そして〈知性〉に関するすべての直観が可能であるための最高の原則は、直観に含まれるすべての多様なものが、自己統合の意識の根源的で総合的な統一の条件にしたがうということである<

    > 直観に含まれるすべての多様なものの像は、それがわたしたちに与えられるという意味では、この第一の原則にしたがうのであり、それが一つの意識において結合されることができるという意味では、この第二の原則にしたがわねばならない。<

    > この結合なしでは何ものも考えることも、認識することもできない。というのも[この結合なしでは]与えられた像は、〈わたしは考える〉という自己統合の意識の働きにまったく与かることがないし、その働きによって一つの自己意識のうちで総括されることがないからである。<

    > このように意識の総合的な統一は、すべての認識が成立するための客観的な条件である。わたしが一つの客体を認識するためには、この条件が必要である。それだけでなく、直観がわたしにとっての客体となるためにはこの条件にしたがわなければならない。この総合が与えられないその他の方法では、多様なものは一つの意識のうちに結合されないはずだからである。<
    >
    > ↑引用終了。中山先生独自番号147.149
    > B137あたりから


    *******

    ここでカントがのべる「自己統合 」の「自己」、「わたし(たち)」、〈わたしは考える Ich denke〉の「わたし」、「自己意識 Selbstbewusstsein」の「自己」とは、いったい何なんでしょう。

    ちょっと前に話題になった?ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの或る本を冷やかして、「わたしは脳であるっ!」(;゚Д゚)とさけんだら、身もふたもないですねー


    、、、それはそうと、私うましかも『純粋理性批判』読んでみなければ…

    (;´・ω・)沼の精が呼んでいる


引用返信/返信 削除キー/
■16188 / inTopicNo.64)  Re[27]: うましかさんへ 御子柴善之泉
□投稿者/ pipit -(2021/09/11(Sat) 13:28:13)
    No16187に返信(うましかさんの記事)
    > ■No16186に返信(pipitさんの記事)
    >
    >>No.16185
    > >>理論付加性 〔英〕theory ladenness
    >
    > すみません! pipitさん!
    >
    > 理論付加性じゃなくて、理論負荷性でした(;´・ω・)
    >
    > ハンソンのほうも「観察の理論負荷性」です〜m(__)m
    >
    > 投稿は編集、訂正しておきます。<

    うましかさん、訂正ありがとうございます!おつかれさまです(^_^)

    黒崎政男先生の解説も思い出して、読み直しました。
    『カント『純粋理性批判』入門』p128ー131あたりです。

    黒崎先生の文章、一つ前もおもしろいから、一つ前から引用します。
    同上本p131より引用
    黒崎政男先生の解説文
    『(略)。もちろん、これら三者の関係と差異を、自分の一生の研究テーマとして選んだカント研究者にとっては、「だいたい同じ」などと聞いたら、烈火のごとく怒るか、呆れて寝込んでしまうか、どちらかだろうが、まあいいだろう。
     ここでの要点は、結局、悟性の側の〈力〉が、実は、感性の直観の側の成立にまで影響を及ぼしている、あるいは、悟性の側のカテゴリーや統覚がなければ、そもそも、感性における〈対象〉の成立さえなりたたないのだ、ということをカントは主張しているわけである。』
    引用終了

    ここらへんの論調が、メルロ=ポンティさんが、カントは理知主義だと批判?してるとこかな??
    知らんけどー


引用返信/返信 削除キー/
■16187 / inTopicNo.65)  Re[26]: うましかさんへ 御子柴善之泉
□投稿者/ うましか -(2021/09/11(Sat) 13:05:29)
    No16186に返信(pipitさんの記事)

    > No.16185
    >>理論付加性 〔英〕theory ladenness

    すみません! pipitさん!

    理論付加性じゃなくて、理論負荷性でした(;´・ω・)

    ハンソンのほうも「観察の理論負荷性」です〜m(__)m

    投稿は編集、訂正しておきます。
引用返信/返信 削除キー/
■16186 / inTopicNo.66)  うましかさんへ 御子柴善之泉
□投稿者/ pipit -(2021/09/11(Sat) 12:50:18)
    うましかさん、こんにちは!
    No.16176
    > カント『純粋理性批判』における"transzendent"と"transzendental"の区別、御子柴本のp.369〜p.374、参考になります。<

    今、さらっと読んだら、衝撃が((;゚Д゚)))
    今はまだ全然理解(アンダースタンド!)できてないけど、ちょーおもしろそうで参考になりそう!!
    理解したいです。

    No.16185
    > 理論付加性 〔英〕theory ladenness
    観察や知覚は理論などに影響されない不変の与件、経験的知識の純粋な基盤ではなく、概念や理論を不可欠な背景としていることを要約的に表す概念.<

    ここらへんもおもしろそうですよねー。哲学的な議論のことなどについて無知なのですが、実際の現象として興味あります。

    沼。。。。

    今、頭に浮かぶのは、(どっかで見たんだよなー、パラパラ、、、)

    ぎゃー、今から読もうとしてる第一七項やった。。。
    引用します。

    『純粋理性批判2』カント、中山元先生訳、p123から126から抜粋引用
    ↓カントの文章の引用開始、[ ]は中山先生による補注。

    『超越論的な感性論が明らかにしたところでは、〈感性〉による直観が可能であるための最高の原則は、直観に含まれるすべての多様なものが、空間と時間という形式的な条件にしたがうということだった[これが第一の原則である]。
    そして〈知性〉に関するすべての直観が可能であるための最高の原則は、直観に含まれるすべての多様なものが、自己統合の意識の根源的で総合的な統一の条件にしたがうということである[これが第二の原則である](注)。
     直観に含まれるすべての多様なものの像は、それがわたしたちに与えられるという意味では、この第一の原則にしたがうのであり、それが一つの意識において結合されることができるという意味では、この第二の原則にしたがわねばならない。
    この結合なしでは何ものも考えることも、認識することもできない。というのも[この結合なしでは]与えられた像は、〈わたしは考える〉という自己統合の意識の働きにまったく与かることがないし、その働きによって一つの自己意識のうちで総括されることがないからである。
    (中略)
     このように意識の総合的な統一は、すべての認識が成立するための客観的な条件である。
    わたしが一つの客体を認識するためには、この条件が必要である。
    それだけでなく、直観がわたしにとっての客体となるためにはこの条件にしたがわなければならない。
    この総合が与えられないその他の方法では、多様なものは一つの意識のうちに結合されないはずだからである。』

    ↑引用終了。中山先生独自番号147.149
    B137あたりから

    ありがとうございます、御子柴善之先生の本もゆっくり読みまーす
    楽しみー♪♪♪♪♪

引用返信/返信 削除キー/
■16185 / inTopicNo.67)  うましか沼メモ
□投稿者/ うましか -(2021/09/11(Sat) 12:15:03)
    2021/09/11(Sat) 13:06:40 編集(投稿者)

    岩波哲学・思想事典、p.1695より。渡辺博による解説。


    >理論負荷性 〔英〕theory ladenness

    観察や知覚は理論などに影響されない不変の与件、経験的知識の純粋な基盤ではなく、概念や理論を不可欠な背景としていることを要約的に表す概念.<

    *******

    ウィトゲンシュタイン(後期)から着想を得たというハンソンのいわゆる「観察の理論負荷性」についての説明ですが、「観察や知覚」を、時代を大幅にさかのぼってカント『純粋理性批判』で批判対象となる「経験」と強引に(;´・ω・)読みかえると、おもしろいかなーとおもいました。


    えっいまさらカントにかえるの?!(;゚Д゚)


    仄暗い新カント沼の底からリープマンの声が…


    *******

    ちなみに、ウィトゲンシュタイン − ハンソン  〜 カント 〜 新カント学派  〜などと、てきとーに連想しながらネットで遊んでいたら、おもしろいサイトと出会いました。小山虎という研究者の連載です。


    https://slowinternet.jp/article-category/computation/

     


引用返信/返信 削除キー/
■16176 / inTopicNo.68)  Re: 御子柴善之の名?言(;´・ω・)の感想!
□投稿者/ うましか -(2021/09/10(Fri) 22:16:16)
    No16143に返信(pipitさんの記事)
    > 御子柴善之先生の解説本、わたしはすごーーーく頼りにしてます!

    もちろん、私も頼りにしてますよー(・∀・)

    カント『純粋理性批判』における"transzendent"と"transzendental"の区別、御子柴本のp.369〜p.374、参考になります。

    ・超越論的 ←→ 経験的
    ・超越的  ←→ 内在的

    岩波哲学・思想事典(p.1084〜)の「超越概念」「超越者」「超越論的」とかも、目を通したみたけど、どれもよく分からない。でもこれはメモっておきます。

    >超越概念 〔ラ〕transcendens

    この名称が文献に現れるのは13世紀初頭、命名者は不明.中世では範疇ないし存在の最高類がもつ限定性(limitatio)を「超えるもの」の意味で用いられた.<

    → p.1084、八木雄二による解説





引用返信/返信 削除キー/
■16175 / inTopicNo.69)  根性の演繹論 第一七項
□投稿者/ pipit -(2021/09/10(Fri) 22:06:09)
    題名
    『第一七項 自己統合の意識の総合的な統一の原則は、知性の利用のための最高原理である』
    中山元先生訳 第二巻 p123

    ん?
    J. M. D. Meiklejohn さんの英訳は?

    『The Principle of the Synthetical Unity of Apperception is the highest Principle of all exercise of the Understanding 』

    https://www.gutenberg.org/files/4280/4280-h/4280-h.htm#chap44

    ちょっと理解しやすくなる気もするね

    統覚の総合的統一の原理は、アンダースタンディングのすべてのエキササイズの最高原理
     
    統覚の意味が難しいな。
    とりあえずはwikiより。
    『統覚(とうかく、独: Apperzeption、英: apperception)とは、心理学や哲学、認識論における概念である。原語のApperzeptionは、近代ラテン語のadpercipere(ad-「の方へ、に向かって」とpercipere「獲得する、知覚する、理解する」)に由来する。』

    カントの使用意味は、、、またやっかいそうだなぁ(ノ_<)

    とりあえずここまでを投稿します



引用返信/返信 削除キー/
■16145 / inTopicNo.70)  おくたがわさんへ ローストビーフ丼
□投稿者/ pipit -(2021/09/09(Thu) 18:31:53)
    No16137に返信(おくたがわさんの記事)
    > ■No16080に返信(pipitさんの記事)
    > こんにちは。
    > お兄ちゃんの方はイクラを食べられずですか?
    > 筋トレOKという情報がタイムリーに参考になったので感謝してます。<

    おくたがわさん、こんばんは!
    お兄ちゃんはローストビーフが好きなので、ローストビーフ買いました
    (●´ω`●)

    筋トレなのですが、うちの話はあんまし聞かない方がいいかものちゃらんぽらん家族なので、あまり信じないでくださいねΣ(・□・;)
    悪気はないつもりなのですが、勘違いとかしまくりかもですので(ノ_<)

    おくたがわさんと周りの方、それにたくさんの方がまもられますように

    いつもありがとうございます!
引用返信/返信 削除キー/
■16143 / inTopicNo.71)  御子柴善之の名?言(;´・ω・)の感想!
□投稿者/ pipit -(2021/09/09(Thu) 18:23:51)
    御子柴善之先生の解説本、わたしはすごーーーく頼りにしてます!
引用返信/返信 削除キー/
■16142 / inTopicNo.72)  Re[23]: 母を求め知る
□投稿者/ pipit -(2021/09/09(Thu) 18:20:57)
    No16133に返信(アートポットさんの記事)
    > >わたしたちは、なにを最初に、知っているのだろう?<
    > 恐らくワタクシ自身が存在している認識より先に母親を探す(呼ぶ欲する)でしょう。

    アートポットさん、こんばんは(*^▽^*)

    言われてみれば、本当ですね。生存欲なのか、また生存欲とは少し違うものなのか、、、
    初期仏教的にはそれは渇愛になるのかなー

    コメントありがとです(^ν^)♪
引用返信/返信 削除キー/

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