| 私は日本人である。 私は女性である。 私は◯◯県に住んでいる。 私は◯◯市出身だ。
このような、私が、経験したことを統一することによって生じる『私』は、偶然的な条件による必然性も普遍性もない統一としての『私』ってことかな。
無我、を思い出しました。
カント文の解釈として、全然間違ってたらすみませんm(_ _)m
> Whether I can be empirically conscious of the manifold as coexistent or as successive, depends upon circumstances, or empirical conditions. Hence the empirical unity of consciousness by means of association of representations, itself relates to a phenomenal world and is wholly contingent.
わたしがこの多様を、共存的なものとして、あるいは継続的なものとして経験的に自覚できるかは、状況または経験的条件による。 したがって、表象の連想による意識の経験的統一は、それ自体が現象的な世界に関わり、全く偶然的なものである。<
具体的経験的規定内容は、いつだって変わるし、いつだって変えれる いろんな条件があるし、自分が変えれるところもあるし、他人の力で変わるところもある 自分への概念づけ表象でも変わる、 今の色の付いた私が固定的絶対的普遍的私というわけではない、 意識の主観的統一(わたしは、◯◯)とは、自らの内側に規定された偶然的なもの、と、カント文は言ってるのかな、 などと思ったけど、間違えてたらすみません。 また先を読もうと思います。今朝思いついたこと書きました。
意識の主観的統一についての別箇所 > the subjective unity of consciousness, which is a determination of the internal sense, by means of which the said manifold in intuition is given empirically to be so united.<
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