| ■12644、pipitさま
>悪魔ちゃんは形而上、と、形而上的なもの、とは区別する?< こう聞かれると、うん、区別することになるかな。「形而上」は〈神〉ってなるのかな。 わたしのばあい“概念”を先にもってこようとしてるなかで(それに名前をつけるのは後でっていうこと)、わたしの概念からすると、それは「神」であるってしちゃうとちょっと違う感じ。だからわたしの概念に近いのは〈神的なもの〉。前に書いたと思うけど、「超越的」と「超越論的」の、前者は〈神的〉後者は〈神のような論的〉っていうのとちょっと似てる。こういうのって〈神対人間〉っていう構図が前提となっている気がするし、わたしのばあいこういうのは描いてない。
形而上学も現象学絡みで、いろいろ調べて見たなかでのいまのところのまとめを書いて見ます。相互主観的なわたしの、ね。
〈形而下的なもの〉 およそこの世のありとあらゆるもの。 〈この世〉?これに対して〈形而上的なもの〉は〈あの世〉ってなるのかな?ん〜んでもこういう言い方ってわたしにとっては、生きてる世界と死後の世界とか、現世と来世っていうイメージだから、〈形而下的なもの〉を、見えるものとしての〈この世界〉ってひとまずしてる。
〈形而上的なもの〉 形而下の上に君臨し、人間も含めてこの世のいっさいをつくり、それをすべて統一し支配しているようなもの。 人間の感性的経験では知りえないもの。経験的現象の奥にあるもの。 このようなものが存在するってして、神・霊魂・永遠の世界。 簡単に、見えないものとして〈神的なもの〉ってひとまずしてる。 もっとも「神」という語の概念が人それぞれだろうから問題あるけどね。
わたしの、いまのところこんな感じので〜す。
だから「形而上学」っていうのは、わたしのばあい、〈神的なものについての学〉ってなる。
わたし「形而上学」を「形而上」と「学」に分けて見て、でわたし思ったのね。カントってこれまでの「形而上諸学」の〈形而上的なもの〉を批判しようとしたんじゃなくて、これまでの“「学」のやりかた”の方を批判したんじゃないかって。
あ、ちょとお喋り過ぎちゃっかも。
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