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No12617 の記事


■12617 / )  pipitさんへ 形而上学的演繹の箇所等
□投稿者/ うましか -(2021/05/13(Thu) 21:17:45)
    こんばんは。pipitさん。
    おじゃまします。

    御子柴善之『カント哲学の核心 『プロレゴーメナ』から読み解く』(NHKブックス)、私も持っていました〜 \(^^)/

    それにしてもpipitさんの引き出しはすごいですね!

    *******

    >御子柴善之先生は、形而上学的演繹に該当する箇所を、
    >中山元先生よりもう少し広くとって考えられているようです。
    >『「形而上学的演繹」(B159に見られる表現)と呼ばれる箇所(特に§9と§10)』と書かれており
    → No.12586

    ありがとうございます!
    毎回とても参考になりますm(__)m

    「“形而上学的“演繹」といわれた箇所が具体的にどこに該当するのかという問いについては、中山が§10の一部(※中山元訳2、p.66〜p.73、中山による通し番号では【109】〜【115】に該当)と考えているのに対して、pipitさんのご指摘によれば、御子柴はもう少し広い範囲(※中山による通し番号で【103】〜【119】に該当)を想定しているということですよね。

    ちょっと気になったのは、御子柴は「形而上学的演繹」の箇所を「特に、§9、§10」(御子柴、p.37)と書いているので、§9、§10に限らず、もう少し広くとらえているのではないかとおもいました。pipitさんもこうおっしゃっていたように、

    >体裁の整え方、変更箇所などについて、各研究者によって、実に様々な解釈があるようです。
    No.12559

    このあたりも、専門家、研究者間で相違があるのかもしれませんね!
    どんな解釈があるのかは、今後の楽しみに残しておきます(^^)
    カントが「形而上学的な根拠づけ」と名づけたくなかったなんて話しもとびだしてビックリ…(中山元訳2、p.410参照)


    そういえばNo.12554において、私は「形而上学的な根拠づけ(演繹)」という言葉は、第一版(初版)では出てこないと書きました。そのときもうひとつ気になったことなのですが、第一版の「純粋悟性概念の演繹」ではそもそも第〇項(§〇)とされていないのです(原佑訳上巻、p.249〜参照)。もしかしたら、§〇で分ける方法というのは、第二版のときに新たに導入したものかなとおもいました。

    ささいなことですが^^;


    それでは〜

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