TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

168時間以内に投稿された新着記事


■37229 / )  叡王戦
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/02(Thu) 19:07:11)
    藤井叡王対伊藤巧7段第3局は伊藤匠7段が勝ち対戦成績を2勝1敗とした。叡王戦は5番勝負なので伊藤匠7段がタイトル奪取に王手をかけたことになる。藤井8冠がタイトル戦でカド番に追い込まれたのは初めて。

    この二人は同い年。藤井8冠と互角に渡り合えるのはやはり若手ということか?


返信/引用返信 削除キー/

■37228 / )  金持ち喧嘩せず。
□投稿者/ アートポット -(2024/05/02(Thu) 18:38:09)
    地活にて、「クルマの免許持ってないけど、トヨタのスープラを購入にて駐車場に飾っても良いですか?」って助言を求めて、みんな難色を示して、「金持ち過ぎてにて資産と予算の管理にて鬱と恐怖で正気を失うとこまで来ているにてにょ。」って、「アイルトンセナが猛追のシューマッハに恐怖にてアランプロストへの複雑な心境を運転中に語った直後に事故死にて、僕も今のうちに資産を豪快に用い切らないとにてにょ。」、地活仲間のほとんどが劣等感のような小さな声の声色にて、「(これは危ない。裏切り者がでるかもしれない。)」、ピタリと話をやめて長椅子にてグッタリ。帰宅後、一時間行動不能にて、父親と柏餅を食べたら途端に鬱が回復、マッタリネット起動にて。

    金曜日に訪問看護に、鬱になることが増えて躁の時もちょっとあるかもって話す。
    統合失調症になってから双極性障害にもなった例はほとんどないって地活の精神保健福祉士に助言されてにてって訪問看護に話す。

    訪問看護に薬を間に合わせる。追加で届いてにて薬の話も話す。
返信/引用返信 削除キー/

■37227 / )  ジャズ、オスカー・ピーターソン
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/02(Thu) 09:57:13)
    https://www.youtube.com/watch?v=QScPIdT6fjI

    ボクにとってジャズは特別な存在です。ひと言で言うと「憧れ」です。

    好きなプレーヤー沢山います。ジョー・ザビヌル、ドン・プーレン、マイルス・デイビスなど。しかしボクのジャズの原点はオスカー・ピーターソンです。やはり大学1、2年の時、新宿の厚生年金会館で聴いたソロライブが強く影響しています。

    下は1974年の演奏。ボクが聴いた頃のオスカー・ピーターソン
    https://www.youtube.com/watch?v=SewFqU5SjuE

返信/引用返信 削除キー/

■37226 / )  Re[32]: 純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 09:30:44)
    2024/05/02(Thu) 09:31:31 編集(投稿者)

    続きです
    No37224は、幾何学のような感性的概念の図式についてだったのですが、今回は純粋悟性概念の図式について述べるようです。


    On the other hand, the schema of a pure conception of the understanding is something that cannot be reduced into any imageーit is nothing else than the pure synthesis expressed by the category, conformably, to a rule of unity according to conceptions. It is a transcendental product of the imagination, a product which concerns the determination of the internal sense, according to conditions of its form (time) in respect to all representations, in so far as these representations must be conjoined a priori in one conception, conformably to the unity of apperception.

    https://www.gutenberg.org/cache/epub/4280/pg4280-images.html#chap56

返信/引用返信 削除キー/

■37225 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 09:16:23)
    三角形の概念が、
    『3本のまっすぐな線(直線)でかこまれた形』とするとき、

    https://www.kyoiku.metro.tokyo.lg.jp/school/study_material/improvement/tokyo_basic_drill/files/math_pr02/2nen_kaisetu_9.pdf


    直角三角形(三角形の中で直角のかどがある三角形)も、鋭角三角形も、【三角形】に包摂されるので、
    【三角形】概念の唯一無二の映像化は不可能。

    どちらの包摂も可能となるのは、概念と形象の媒介に、概念を純粋直観としての空間に(制限範囲内で)自由に描き出すことを可能とする想像力があるから。
    想像力によるこの機能・仕事内容(概念の規定範囲内での映像指示)を、カントは『図式』と呼んでるのかな、と、思いました。
    勘違いしてたらすみません!
    一文解釈に要する時間が長ーーーーい ( ;∀;)

    No37224に返信(pipitさんの記事)
    > No37223
    > (英訳のpipit意訳・日訳)
    >
    > 我々が言えるのはこれだけのことです:
    >
    > 「イメージ(形象)は、生産的想像力の経験的機能の産物である。
    >
    > (たとえば空間における図形としての)感性的概念の図式は、純粋(非経験的)な想像力のアプリオリな産物であり、いわばモノグラムであり、それ(図式)にしたがってイメージは初めて可能になる。
    >
    > しかしながらイメージは、それらが指し示す図式によってのみ媒介的に概念と結びつけられるのであって、それ(イメージ)自体が概念に完全に適合することはない。」
    > と。
返信/引用返信 削除キー/

■37224 / )  Re[31]: 純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 08:40:34)
    No37223
    (英訳のpipit意訳・日訳)

    我々が言えるのはこれだけのことです:

    「イメージ(形象)は、生産的想像力の経験的機能の産物である。

    (たとえば空間における図形としての)感性的概念の図式は、純粋(非経験的)な想像力のアプリオリな産物であり、いわばモノグラムであり、それ(図式)にしたがってイメージは初めて可能になる。

    しかしながらイメージは、それらが指し示す図式によってのみ媒介的に概念と結びつけられるのであって、それ(イメージ)自体が概念に完全に適合することはない。」
    と。
返信/引用返信 削除キー/

■37223 / )  純理B181 図式論
□投稿者/ pipit -(2024/05/02(Thu) 07:26:30)
    2024/05/02(Thu) 07:29:23 編集(投稿者)

    みなさまおはようございます♪
    続きです_φ(・_・

    Thus much only can we say:
    “The image is a product of the empirical faculty of the productive imaginationーthe schema of sensuous conceptions (of figures in space, for example) is a product, and, as it were, a monogram of the pure imagination a priori, whereby and according to which images first become possible, which, however, can be connected with the conception only mediately by means of the schema which they indicate, and are in themselves never fully adequate to it.”

返信/引用返信 削除キー/

■37222 / )  著作権法の読み方
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/01(Wed) 20:43:02)
    例えば96条は以下のような文言です。

    (複製権)
    第九十六条 レコード製作者は、そのレコードを複製する権利を専有する。

    大事なところは最後の「専有する」で、故に

    「レコード製作者以外の者は無許可で複製してはいけないんですよ」

    となります。

    「〜を禁ずる」とは書かないんですね。
返信/引用返信 削除キー/

■37221 / )  喬太郎
□投稿者/ 田秋 -(2024/05/01(Wed) 14:43:32)
    2024/05/01(Wed) 17:16:45 編集(投稿者)

    講談は演者の前に釈台という机を置いて行う。これを張扇でパンパン叩いて話に調子をつける。落語も似た机を使う場合があるが関西に限られれる。落語ではこれを見台と呼ぶ。

    BS-TBSには落語研究会という番組があって、久しぶりに柳家喬太郎が出た。ボクの一番のお気に入りの噺家で、東京にいた頃は、番組表を調べて彼が出る寄席に時々行ったものだ。

    久しぶりに見ると見台を使っていた。彼は関東の噺家だから見台を使うことはない。聞くと膝の調子が悪く、正座がきついとのこと。昔よりかなり太った気がする。

    4日に同僚の室内楽のコンサートを聴きに行く。それはマチネなので上野鈴本の夜席の番組を調べてみると喬太郎が出ていた。主任(取り)は柳家権太楼、その他春風亭一之輔も出演するので聴きに行くことにした。寄席は通常当日券のみなのだがゴールデンウィーク中は予約制。なので発売当日に予約を入れた。

    ボク的にはメインは同僚の室内楽コンサート、ではなく鈴本の寄席になってしまった。。。すまんこってす。
返信/引用返信 削除キー/

■37220 / )  わからん日記
□投稿者/ pipit -(2024/05/01(Wed) 10:35:15)
    図式論わからんー、気が重ーい(T . T)
    と思ってますが、、、

    ふと、『標準化』という意味をきちんと知らないワードが頭に浮かび、
    検索したらちんぷんかんぷんで、『標準化 簡単に』で再検索したら、めちゃ簡易に教えてくれているページがありました。
    https://wa3.i-3-i.info/word17587.html

    私の脳に浮かんだ言葉が、図式論に関係あるのかないのかわかりませんが、

    一文だけでも進んでみるかぁ _φ(・_・
返信/引用返信 削除キー/

■37219 / )  Re[26]: 脳の行方1
□投稿者/ パニチェ -(2024/05/01(Wed) 08:11:56)
    おはよう、悪魔ちゃん。横レス失礼!

    No37218に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ねえ、おくったがわさん、

    > その後どうなったの?

    私の進化論関連の月蛇(moonlight_serpent)とのバトルも3〜4年続いたので先の投稿からまだまだ続くんだけど。。。

    同様におくたがわさんvs月蛇も、1年近く?あるいはそれ以上?続いたので、今後何回かに分けて投稿されると思います。
    おそらく。。。

返信/引用返信 削除キー/

■37218 / )  Re[25]: 脳の行方1
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/30(Tue) 19:15:08)
    ねえ、おくったがわさん、

    その後どうなったの?
返信/引用返信 削除キー/

■37217 / )  Re[16]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/30(Tue) 19:01:02)
    昨日はわたしの物語りの原稿、展開について考えてて、疲れちゃて寝ちゃった。

    No37212のつづき
    No37109のなかから、外国語の,あったのを、いくつか抜き出して見るよ。

    資料(3)に、
    @「私・自我(Ich)」
    A「純粋自我(reines Ich)」
    資料(3),(5)に、
    B「原-自我(Ur-Ich)」
    資料(5)に、
    C「先-自我(Vor-Ich)」
    ってあった。
    カッコ内の外国語はドイツ語みたい。

    ネットで調べて見たんだけど、簡単に、

    Aの[reines]、( reines – 日本語への翻訳 – ドイツ語の例文 | Reverso Context)
    (独)reines:純粋な。

    Bの[Ur-]、(プログレッシブ 独和辞典)
    ・非常に… 
    ・((名詞・形容詞と)) 原初の…,根源的な…
    ・((名詞と)) 最初の…
    ・(血縁関係で)一代前の…,一代後の…
    ・古くからの…

    ・Cの[Vor-]、(プログレッシブ独和辞典)
    …より前に,…前に;((順序))…より先に

    ってあった。

    資料(3)では、
    「私」=「自我」=「Ich」って見てるのかな?

    でね、わたしのね。
    日本語で見みるんだけど、

    わたしのばあい、「私」っていうのと「自我」っていうのとは、区別してる。
    「私」っていうのはちょっと置いといて、
    ABCにはぜ〜んぶ、「自我」っていうのあるから、まず、「自我」っていうの中心に見てくことにして、「自我」っていうの、わたしのばあいどうしとこっかな〜、って。
    で、
    「自我」っていうの、「自」と「我」に分けて見て、
    「我」っていうのを、デカルトの「我考える」の「我」ってして見て、
    「自我」って言うのを、〈考えることをする自〉ってする。
    これから、
    「純粋自我」は、〈考えることする純粋な自〉
    「先-自我」は、〈考えることをする前の自〉、
    「原-自我」は、〈考えることをする原初の自〉、
    ってなる。
    こう見ると、「先-自我」も「原-自我」もだいたい同じようなものを指してる、ってして見る。

    これでひとまず「自我」っていうの、わたしのが出来たところで、
    もし、フッサールの「原-自我」って言うのを問題としてるんだとしたら、
    わたしのばあい、この〈自〉っていうのが問題になるのね。

    なんか〈自〉が浮き上がってきた感じしない?

    つづく



返信/引用返信 削除キー/

■37216 / )  アヴェヴェルムコルプス
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/30(Tue) 17:41:31)
    私はアニメには疎いが、「シンエヴァンゲリオン」の劇場版で「アヴェヴェルムコルプス」が効果的に使われて、観客を泣かせたと。
返信/引用返信 削除キー/

■37215 / )  Re[76]: 「坂部恵におけるロゴスと霊性」
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/30(Tue) 12:19:29)
    坂部恵、モーツァルトの「アヴェヴァルムコルプス」。
    どちらも聞いたことがなければ意味をなさない文ではあるが。

    坂部恵をいま読んでいる人は少ないかもしれないが、井上忠、大森荘蔵、廣松渉、坂部恵は「駒場の四天王」と呼ばれていたそうだ。山内志朗の先生でもある。
返信/引用返信 削除キー/

■37214 / )  そばがき
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/29(Mon) 19:05:03)
    伊賀上野にある蕎麦屋へ行った。以前にも書いたと記憶するが、ここの跡取りは昔Tpを日フィルのTpに習っていたが店を継ぐためにTpをやめ故郷に帰ったという経歴の持ち主、その縁でたまに食べに行く。美味しいのだがとにかく待つ。今日は開店15分前に着いて店内に入ったのは開店1時間半後だった。こんなに待たなくてもいいのなら、たま→時々、になるのだが。

    今日はざる蕎麦とそばがきを食べた。写真はそばがき。とても美味しい。
660×881 => 450×600

1000003337.jpg
/443KB
返信/引用返信 削除キー/

■37213 / )  脳の行方1
□投稿者/ おくたがわ -(2024/04/29(Mon) 13:55:00)
    哲学全般カテにilith_flag(リリスフラッグ)というハンドル名の投稿者がいて、進化論などについて投稿していた。普通に礼儀正しく知的な印象の女性だった。
    投稿頻度・文字数多めで、色々な人と会話も交わしていて、知名度が高い人物だったと思う。のちに本人自身が「西哲の三羽ガラスと呼ばれた」と語っていた。(西哲=西洋哲学カテ/私は西哲には基本参加無しだったので、三羽ガラスについては知らなかったが)
    哲カテ(哲学全般カテ)に参加したのは私の方が1,2年早かったと思うが、私は投稿頻度が低いうえ哲学についてほとんど知らず、たまに思い付きを投稿するだけで他者との会話も少なかったので、知り合いといえる人は限られていて知名度も無かった。その中で珍しく会話を交わすことが多かったのがリリスさん。パニチェさん・転法さんも縁があって知ってはいたが、あまり会話することはなく、私として最も親しかったのはリリスさんだった。第三者による仲が良いという指摘にリリスさんも肯定的な返事をしていた。
    転法さんとリリスさんも当初仲が良かったと思うが、ある時点で、おそらく進化論についての考え方の食い違いから対立的になった。
    1年ほど(?記憶不確か)対立的な関係の後、リリスさんが掲示板から姿を消した。
    就職して時間がなくなったか、恋人でもできて掲示板どころではなくなったか…。など憶測していたが、いずれにしても、投稿頻度のかなりの高さや長文の多さなどからすると、止めたことは良いことなのだろうと解釈していた。

    その後、moonlight_serpent(月虹蛇)という投稿者が現れ、転法さんの投稿にしばしば批判のレスを付け、批判文の後に様々な罵倒を加えるというスタイルで一年弱活動を続けた。
    結果として、moonlight_serpent自身が、元リリスフラッグであることをカミングアウトし、驚いたのだが、
    後で思い出して面白く思ったのは、
    カミングアウトより以前に、moonlight_serpentという人物を見ていて、知的レベルや進化論についての知識、それにもとづく転法さんへの反感という点で共通する二人の投稿者が近い時系列で登場したことになんとなく『不思議』と感じた瞬間があったのだった。
    しかし、同一人であるとは全く思いつかなかった。
    おそらくは、潜在意識が二つのハンドルの共通性を訴えていたのだが、顕在意識の方に『リリスさんがこのような罵倒投稿をするはずがない』という強固な認識があって、同一人であるという解釈にフタをしていたということなのかもしれない。ふと不思議感が浮かんだだけであり、それ以上考えている暇が無かったということもあるが。
    ある時、たぶん同じ理由(moonlight_serpentを見て潜在意識が浮かび上がらせる連想)で、「リリスさんどこ行ったんや〜」という投稿を私がして、それに反応してmoonlight_serpent=リリスである旨のカミングアウトが行われた。ご本人のコメントによるとダブハンを指摘されたと判断したようだったが、先に書いたように私の少なくとも顕在意識は両者を同一人とは考えておらず、開示に対して非常に驚いたのだった。

    潜在意識と顕在意識の関係とか、また自覚のある者ゆえに『見抜かれ指摘された』と思ってしまう心理とか、面白く思ったのだった。

    面白がっていられない事態がやがて訪れるということを、この時点では知る由もなかった。
返信/引用返信 削除キー/

■37212 / )  Re[15]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/29(Mon) 13:37:01)
    今日はいっぱいお喋りしちゃう。

    No37211のつづき

    No37109の(3)では、
    〔フッサールが他者に対置されるべき「私」をどのように理解していたのか〕っていう、「私」を問題としてる感で、フッサールの「他我問題」やその発生を見ていく前に、ここんとこちゃんとしとこって。
    でね、
    資料の中かから「私」を探して見たのね。

    いろんな「私」、
    「私自身」(3)
    「この私」(3),(5)
    「自己」(3),(5),(6)
    「自我」(3),(6)
    「純粋自我」(3),(5),(6)
    「先-自我」(5),(6)
    「原-自我」(3),(5)

    カッコ内は資料番号ね(これ、探し出すの大変だったよ)。

    これらの語、どう区別して見とこっかな〜、って。

    つづく

返信/引用返信 削除キー/

■37211 / )  Re[14]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/29(Mon) 12:05:53)
    No37210 のつづき、

    特にわたしに関心があったのが(3)。
    (3)について、とりあえず思いつくままに書くね。

    〔はじめに
    他我経験の解明にあたり、フッサールが他者に対置されるべき「私」をどのように理解していたのかを明らかにし、他者経験の問題を受動的綜合の問題として再提起し直すこと、これが本論の目的である。〕
    ってある。

    「他者」とか「他我」を問題とする前に「私」が問題じゃん、っていってるのかな?
    わたしのばあい、単純な語で、〈他〉と〈自〉ってしてる。
    あ、ここでのは、〈人〉のばあいの〈他〉と〈自〉ね。

    (3)に、「ヘルト」っていうのがでてくるんだけど、
    No15252 の「対化」(あ、これ、「ついか」って読むんだと思う、たぶん。何かと何かが「対(つい)になる」っていうこと)の中に、
    @〔フッサールを内在的に超えてゆく道として、他者経験をむしろ非対象化的・非主題的な次元で捉えるというK.ヘルトの構想に沿って、この対化の現象を手掛かりにして他者経験を受動的総合と発生的現象学において解明しようとする試みもある。〕
    ってあるんだけど、この〔K.ヘルトの構想〕っていうの、たぶんそう。
    あと、
    No36191の(w)「現在化/準現在化/共現在化」の、〔・・・・〕で省略したなかに、
    A〔時間講義では原印象とともに現在を形づくる把持や予持は、厳密には現在化ではないが準現在化とも区別されており、共現前化と規定されうる(ヘルト)。〕
    っていうのもあって、たぶんこの(ヘルト)、っていうのもそうだと思う。

    ヘルトがなに言ってるんかはわたしにはよく分かんなかったんだけど、
    (3)では、
    〔ヘルトの批判は他者についての本源的意識を、他者を直接的に主題とする意識から、他者についての非主題的意識へと変更する。それによって〈省察する私〉の反省が直接及ばない段階、すなわち受動的構成の段階に共同主観の構成を位置づけるのである。しかしフッサールの他者経験の解明は静態的分析だけでなく、発生的分析を含むものであった。〕
    って小林さんは言ってる。
    あと、
    (6)にもヘルトが登場してて、
    〔ヘルトの主張する、フッサールにおける隠れた形而上学的前提としての「自我極と対象極」という批判は、妥当しない解釈であり、自我と対象の極化を定題化しうる発生的現象学の射程に注視せず、それを見落としした解釈である。〕
    って山口さんは言ってる。

    わたし、〔非対象化的・非主題的な次元で捉える〕っていうの、気になってるところ。

返信/引用返信 削除キー/

■37210 / )  Re[13]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/29(Mon) 10:59:11)
    No37209は、
    No37109の(3)(5)(6)を読んでて、ちょっと思ったの。

    ここからは資料(3)(5)(6)を読んでての感想になるかな。

    フッサール現象学の研究者たちの「論」なのかな。なんかわたしには難しく書かれてる感じ。
    わたしのお喋りは「論」じゃなくて、〈こんな感じ〜〉っていうの。
    で、わたしに思われた全体的な感じを書いて見ると、

    フッサールの『イデーンT』『イデーンU』『ベルナウ草稿』っていうのが出て来るんだけど、わたしこれ読んでないからよく分かんなかった。いまのところこれ読む予定ないけどね。わたしがフッサールので読んでるのは【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】だけ。

    フッサールの「他我経験」とか「発生的現象学」を問題としてるのかな?
    フッサールの思考の過程を辿りながら、「受動的綜合」や、「純粋自我」、その「発生」についてなのかな?
    なんか雰囲気的に、『ベルナウ草稿』あたりからフッサールはフッサールの「能動的総合」〈省察する私〉とか〈現象学する自我〉から「受動的総合」の方に志向していった、みたいなことが書かれてある感じ。

返信/引用返信 削除キー/

■37209 / )  Re[12]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/29(Mon) 09:31:38)
    きょうもわたしんとこいい天気、気分もいい。この季節がいちばんいいのかも。

    No37202 のつづき

    フッサールは、意識の綜合の働きを「受動的総合」(a)と「能動的総合」(b)に分けて見てるんだと思う。
    わたしのばあい、(a)は、感覚-知覚、最近は想像もここに入れてる。(b)は思考の領域って見て、(a)を〈感知性〉(b)を〈考知性〉って呼んでる。

    「自覚」、「覚知」、「覚起」、「覚醒」って、〈感知性〉の「感覚」とか「知覚」みたいに、み〜んな「覚」っていう語が使われてる。
    (これって、日本語で見てるから、外人さんには関係ない話しだけど)
    で、
    〈感性〉における〈知〉のばあい、こういう語を使うことにしよっかな、って。
    逆に、現象学ののについて書かれてあるのを読むとき、「覚」っていう語が使われてるときには、〈感知性〉の領域について話ししてるんかな、って見るようにして見る、っていうこと。

    これと区別するために、〈考知性(思考)〉での〈知〉のことを〈認知〉ってしようかな〜、って思ったりもしてる。
    〈認知〉の〈認〉は〈認識=物事を正しく理解し判断する〉っていう意味でね。
    No36141の日本大百科全書の中では「知解」って呼んでるのかな?

    (a)について話してるのか、(b)について話してるのか、分かりやすくするために、「用語」で区別して見た、っていうことね。

返信/引用返信 削除キー/

■37208 / )  Re[37]: 小生が高校当時が聞いていたのは
□投稿者/ パニチェ -(2024/04/29(Mon) 09:02:34)
返信/引用返信 削除キー/

■37207 / )  サルも食べるタケノコ
□投稿者/ パニチェ -(2024/04/29(Mon) 08:32:31)
    おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。

    No37200に返信(田秋さんの記事)

    > 掘ることはさすがにサルには出来ません。一番多いのは15センチくらいに成長した穂先の部分だけを(剥いて)中の柔らかい部分を食べるケースです。最近、剥いた結構大きな皮も落ちているので、どうやったのかはわかりませんが元からへし折って食べたらしい形跡もあります。

    > きっと昨日今日と良いタケノコ見つけて食べてんだろうなあとちょっと口惜しい思いをしています。

    ははは。そうなんですね。やっぱ美味しいものは知ってるんですね。
    でも人間様はサル以上に美味しいもの食べてますし。。。^^
返信/引用返信 削除キー/

■37206 / )  たま日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/29(Mon) 00:15:52)
返信/引用返信 削除キー/

■37205 / )  Re[11]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/28(Sun) 19:22:25)
    そこはかとなく、

    仏教とかキリスト教って、

    むか〜しむか〜し、生きていたある人によって〈”考え”られたもの〉のひとつなんじゃないかしら?って。


返信/引用返信 削除キー/

■37204 / )  小生はうんと小さい頃から
□投稿者/ キティダニエル -(2024/04/28(Sun) 17:57:54)
    ネチネチした態度のはっきりしないタイプの人間は嫌いでした。中学のときの国語や高校のと

    きの英作文の教師がその典型でした。もっとも小生の最も嫌いなタイプの人間は自惚れきった

    傲慢な人間ですが。

    ところで、拓郎の「春だったね16」はファズが効いていて良い演奏ですね。

    https://www.youtube.com/watch?v=YV6uYnnYdUg

    CDも出ているようなのでぼちぼち買いたいと思っております。

    ただ小生、井上陽水や南こうせつはやはりダメですね。
返信/引用返信 削除キー/

■37203 / )  日記
□投稿者/ pipit -(2024/04/28(Sun) 17:14:50)
    キティさんの書き込み読んで、昔を思い出して検索してしまったー

    たま も好きだったなー

    ♪ さよなら人類
    https://youtu.be/xD2C0Ui-E-I?si=NELj6XSztPhQAjYH

    FMラジオも毎日聞いていました

    あっという間だったような

    遠い遠い昔のことのような

    すこし感傷的な気持ちになるなー
返信/引用返信 削除キー/

■37202 / )  Re[10]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/28(Sun) 16:42:29)
    なんか気になった語があって、

    No36141の日本大百科全書の中に、「覚知」、
    No15273の「連合」の中に、「覚起」、
    って言うのあった。
    そして、いま読んでる、
    No37109の(5)(6)の中にも「覚起」っていうのあったり、あと「自覚」、「覚醒」って言うのもあったのね。

    これらの語、ネットで調べたら、

    (a)「覚知」
    精選版 日本国語大辞典
    迷いを脱して真理をつかむこと。また、事情をよく理解すること。気がつかなかったことに気づくこと。

    (b)「覚起」
    (5)と(6)が出てきたんだけど、事典的なのが見つからなかった。

    (c)「自覚」
    精選版 日本国語大辞典
    @ 仏語。三覚(さんかく)の一つ。自ら迷いを断って悟りをひらくこと。⇔覚他。〔性霊集‐七(835頃)〕
    A 哲学、心理学で、自我や自分の行為を意識すること。自分のもっている知識が真理かどうかを反省し、吟味すること。自分をはっきりつかむこと。また、一般に、自分自身の置かれている状態や、能力、価値、使命などを認識すること。自己意識。〔哲学字彙(1881)〕 〔新唐書‐魏徴〕
    B 自分の知覚でとらえること。

    (d)「覚醒」
    小学館デジタル大辞泉
    1 目を覚ますこと。目が覚めること。「昏睡状態から覚醒する」
    2 迷いからさめ、過ちに気づくこと。

    みたい。

    つづく

返信/引用返信 削除キー/

■37201 / )  小生が高校当時が聞いていたのは
□投稿者/ キティダニエル -(2024/04/28(Sun) 14:15:43)
    ほとんどプログレッシブ一辺倒でした。哲学青年をもって任ずる小生は私小説的なジメジメ

    したフォークを好みませんでした。しかし所詮は日本人、この年になって吉田拓郎などもい

    いなと感じるようになりました。
返信/引用返信 削除キー/

■37200 / )  Re[24]: ひたすら
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/28(Sun) 13:28:17)
    こんにちは、パニチェさん

    掘ることはさすがにサルには出来ません。一番多いのは15センチくらいに成長した穂先の部分だけを(剥いて)中の柔らかい部分を食べるケースです。最近、剥いた結構大きな皮も落ちているので、どうやったのかはわかりませんが元からへし折って食べたらしい形跡もあります。

    きっと昨日今日と良いタケノコ見つけて食べてんだろうなあとちょっと口惜しい思いをしています。
返信/引用返信 削除キー/

■37199 / )  Re[9]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/28(Sun) 12:57:24)
    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】読んでて分かんなかったフッサールの言う「超越論的」とか「モナド」っていうの、
    No37157と、
    No37183で、
    だいたい感じがつかめてきた感じ。
    あと、
    No37189で、「現象学的還元」の意味、わたしに確認できた。

    なんか、わたしの今の物語り、pipitさまの「純粋理性批判を読んでみる」みたいに、「フッサール現象学を読んで見る」みたいになってるかな。

    この連休中に、
    No37109の、
    資料(3)(5)(6)のを見ながら、(1)、わたしに思われたの、感想文、できるだけ書き留めとくことにする。

返信/引用返信 削除キー/

■37198 / )  Re[23]: ひたすら
□投稿者/ パニチェ -(2024/04/28(Sun) 11:42:49)
    No37178に返信(田秋さんの記事)

    > タケノコ、知人にも大体送り終わり、ひたすら自分で消費してます。
    > 猿に食われるのが癪に障るためだけに掘り続けています……
    > 自分でもアホじゃないかと思うのですが。。。
    > 今日は5本。

    猿に食われるのが癪に障る(爆)

    すみません、めっちゃ笑ってしまいました。

    猿はタケノコを掘り出してまで食べるんですか?

    田秋さんはほんと料理もうまいですねぇ〜。
返信/引用返信 削除キー/

■37197 / )  タケノコ
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/28(Sun) 08:53:26)
    写真はボクが送ったタケノコで作ったスパゲティと言って送ってきた写真。
    料理人はボクの2級下の芸高からのお友だちのビオリストです。
    ロイヤルコペンハーゲンの皿に盛ってもらって、サルに囓られてしまったかもしれないタケノコくん、食材冥利に尽きるというものです。
1108×1477 => 450×600

1714261251518.jpg
/150KB
返信/引用返信 削除キー/

■37196 / )  虎に翼
□投稿者/ akaimi -(2024/04/28(Sun) 07:56:26)
    「さよーならまたいつか!」米津玄師

    https://www.youtube.com/watch?v=-wb2PAx6aEs


    朝ドラ「虎に翼」の主題歌。舞う回るような軽いメロディが気に入ってます。
    PVで米津さんがおさげ髪で真っ赤な服なのは、ドラマの女性たちへのリスペクトの意味もあるのかな、と想像したり。

    「虎に翼」は、昭和8年頃からの物語。
    日本で初めて弁護士、裁判官になった実在の女性をモデルにしたドラマです。
    ヒロインが偶然に傍聴した民事裁判で、夫が離婚に応じようとせず、それだけでなく妻が結婚の際に持参していた大切な母からもらった着物を返そうとしなくて、それを法律でどう取りもどすか、裁判官も頭を悩ます場面が最初の頃にあってドラマに引き込まれました。
    当時、妻の私的財産というものはなく、妻が結婚に際して持参したものでも夫が管理するものと法で定められていたそうなんです。
    現代の感覚では考えられないですよね。
    裁判官の判決は、「夫は嫌がらせのために着物を返却しないという権利の濫用をしていて、それは現法での権利範囲から逸脱しているので妻に返却しなさい」というものでした。
    虐げられている人を法で助けたいという思いがヒロインの中で決意となった場面でした。

    大学で法律を一緒に学ぶことになった女性の中には、貧しい農家で親に身売りされそうになり逃げてきてカフェーでボーイをしながら学んでいる女性や、弁護士夫人でモラハラ夫から子どもの親権を取るために学んでいる女性もいます。
    このあたりはフィクションですが、昭和初期には親が娘を身売りするというのがまだあったのは本当ならしいです。

    それから最近、共同親権が議論にあがってきているのでタイムリーです。
    共同親権が権利の濫用になってしまうのではないか、という恐れもありつつ養育費の支払いの義務化とセットになればという期待もあるようです。


返信/引用返信 削除キー/

■37195 / )  Re[24]: 面接授業
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/27(Sat) 23:48:29)
    本日の講義で仕入れた情報。

    高校入試の漢字の問題、読みは中学までが範囲ですが、書きは小学校までが範囲だそうです。

    私立も公立も同じなのかどうか、またこの情報そのものの信ぴょう性については責任を持ちません。高校入試が近いお子さまをお持ちの方は、この書き込みを鵜呑みにせず過去問なりで必ずチェックしてください。

    今日は講義終了後大阪に住む従兄と会いアベノハルカスの12階の和食レストランで食事しました。タケノコをお土産。
返信/引用返信 削除キー/

■37194 / )  生成ゴースト(;゚Д゚)
□投稿者/ うましか -(2024/04/27(Sat) 22:21:10)
返信/引用返信 削除キー/

■37193 / )  Re: 現代思想 人生の意味の哲学(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2024/04/27(Sat) 22:06:45)
返信/引用返信 削除キー/

■37192 / )  御子柴乃泉「実践理性批判」(・∀・)!
□投稿者/ うましか -(2024/04/27(Sat) 21:54:03)
返信/引用返信 削除キー/

■37191 / )  木村敏「こと」としての生と死(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2024/04/27(Sat) 21:48:22)
    ◇ 木村敏『「こと」としての生と死』, 2017年

    https://www.jstage.jst.go.jp/article/itetsu/35/0/35_42/_article/-char/ja

    *******

    鷲田清一の「所有論」をヒマをみてはつまみ読みしているが、例によって一向にすすまない(´-ω-`)

    ところで鷲田が引用しているなかに長井真理という人物がいるのだが、長井は木村敏の弟子だったとのこと。

    上記の木村論文には長井(とミシェル・アンリと)をめぐる興味ぶかい考察が紹介されている。

    >ここでアンリは、デカルトのいう videre videor(見ていると私には思われる)の videor(思われる)に伴う感覚性を克明に分析しているのだが、長井はこれ が フ ラ ン ス の 言 語 学 者 バ ン ヴ ェ ニ ス ト Benveniste(7)のいう「中動態」voix moyenne に他ならないことを指摘する。この能動でも受動でもない中動態は、cogito のもつ「私には〈私が……する〉と思われる」という「主体の二重構造」を示している。<
    [p.42〜p.43「1.「もの」と「こと」ミシェル・アンリと長井真理 中動態への着眼」] 


    デカルトのcogitoがもつ「私には<私が…する>と思われる」という「主体の二重構造」っておもしろいですね(;´・ω・)







返信/引用返信 削除キー/

■37190 / )  Re[8]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/27(Sat) 18:29:13)
    日本的には連休に入ったよ。
    わたしもその一人。
返信/引用返信 削除キー/

■37189 / )  Re[7]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/27(Sat) 18:14:45)
    わたしの物語り、感想文なんだな〜って、思う。わたしの感性による想像の文ね。

    No37157
    No37188で、ちょっと触れた、
    「現象学的還元」っていうの、メルポンの言う『言葉のざわめきの下』、〈乳幼のころに遡って、そのうちで見る〉っていう方法、フッサールもそういうの見てたみたいなのね。っていうか〜、それに倣ってなのかもだけど。

    たとえばね、
    No11393の@の中に、
    【・・・すでに物が見えている子供は、例えばハサミの使い方を初めて理解した後では、一目で直ちにハサミをハサミとして見るようになる。・・・】
    みたいに、子どものころの、を見てたりしてる。

    No37109の資料の(6)の中にも乳幼のころに遡って見てる、みたいなのあったのでその部分を書き出して見るね。
    ・・・・・・・・・・・・・
    「…例えば、乳幼児における受動的キネステーゼの充実連関は、…」
    「…この乳幼児の未分化な差異化以前の共感覚からの、視覚野、聴覚野、キネステーゼの野等々の個々の感覚野の分岐派生による形成ないし、差異化のプロセスは、フッサールにおいて発生現象学で定題化されている。…」
    「…フッサールの発生的現象学では、衝動志向性を通しての母と子の間身体的原コミュニケーションが、周到に分析され、現象学的に根拠づけることは、十分に可能なのである。そこでは、身体中心化の分析が二段階に分けて考察されている。…」
    「…このプロセスは、幼児の喃語と母親のその模倣の事例において、…」
    ・・・・・・・・・・・・・

    やっぱ、現象学ではあのころに遡って見てるじゃないかな〜?って。こういうのって、「私」の発生につながってくる気がしてる。

    ちなみに「キネステーゼ」っていうの、【「現象学事典」弘文堂2014】に、
    ・・・・・・・・・
    キネステーゼ[〔独〕Kin&#228;sthese] (p89)
    「キネステーゼ」は、ギリシャ語のキネーシス〔運動〕(κ&#943;νησι&#962;)とアイステーシス〔感覚〕(α&#912;σθησι&#962;)とから合成された述語で、それを直訳してドイツ語でBewegungsempfindungと表示されることもある。フッサールでは、1907年のいわゆる「物」講義(『物よ空間』)や『受動的綜合の分析』、『危機』などで論じられているもので、通常その言葉から想像されるような「運動の感覚」を意味するのではなくて、むしろ運動と感覚との不可分な結合、ないしは運動としての知覚を意味する。・・・
    ・・・・・・・・・
    ってあったよ。

返信/引用返信 削除キー/

■37188 / )  Re[6]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/27(Sat) 17:33:49)
    No37157で、フッサールの言う「超越論的」っていうの、わたしのなかで、こんな感じの、っていうのができたんだけど、

    たとえば、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の第50節の書き始めに、

    『原初的な領分の定義と分節化という、超越論的には非常に重要な前段階がすでに片付いてしまったので、次には、客観的な世界の構成に向かう前途の歩みのうちの第一の歩み、すなわち「他者」への歩みに進むことになるが、ここでの本来の、しかも実際に少なからぬ困難とぶつかることになる。その困難とは、他者がまだ人間という意味を獲得していない意味での他者経験を、超越論的に解明することにある。』(p195)

    ってあるけど、ここに出て来る『超越論的』を、わたしのばあい、
    〈生まれつき備わってる〉っていうふうに言いかえて見ることにしたのね。

    『他者がまだ人間という意味を獲得していない意味での』
    っていうの、
    「現象学的還元」してるなかで、ってわたし見たのね。
    現象学でいう還元っていうの、〈乳幼のころに遡って、そのうちで見る〉、って、メルポンの言う『言葉のざわめきの下』ね。

    こういうなかでは、まだ、「他者」とか「人間」とかいう“語が使えない”(獲得してない)から、それをどう言葉で表現したらいいか、が難しところよね〜。

    この節のなかでは、「私自身」のことを「唯一性をもった心理物理的統一体」とか言い表してたり、
    No15221にあるように、「或る物体」とか「そこにある物体」っていうふうに言い表してて、これ、〈他者の身体〉のことを言ってるんだとわたし見てるんだけど、まだ「他者」とか「身体」っていう語が使えないからこういう言い方になってるんだと思う。

    あと、
    「原初的領分」ってあるけど、たぶん〈意識の〉だと思う。
    ちなみにわたしのばあい、このような領分が意識にはある、って想定して見てて、〈意識の原初自然的な固有領域〉ってして、〈自〉って名づけてる。

返信/引用返信 削除キー/

■37187 / )  Re[5]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/27(Sat) 17:28:42)
    国会議員ちゃんやマスちゃんをめっちゃ褒めてみたんだけど‥‥
    わたしの言ってること理解できる頭もってないと思うから、
    なんかつまんないこと書いちゃったみたい。

    わたしの物語りつづけよっと。

    しばらく今回の資料、何言ってるかずーっと読んで見てた。
    なんかお喋りできそうになったので。
返信/引用返信 削除キー/

■37186 / )  飛ぶ矢のパラドックス
□投稿者/ rest -(2024/04/27(Sat) 09:02:40)
    2024/04/27(Sat) 10:38:31 編集(投稿者)
    2024/04/27(Sat) 10:38:18 編集(投稿者)

    過去ログより

    投稿者/ rest -(2019/07/24(Wed) 01:28:16)

    パルメニデスの弟子ゼノンは運動について四つのパラドックスを提示したが、その中でも「飛ぶ矢のパラドックス」は次のようなものである。
    @どんなものも、ある瞬間に、ある一つの場所を占める場合、静止している。

    A矢は飛んでいるあいだのどの瞬間においても、ある一つの場所を占める。

    Bゆえに矢は飛んでいるあいだのどの瞬間においても静止している。

    C飛んでいるあいだの時間はそのあいだの瞬間から成り立っている。

    Dゆえに矢は飛んでいるあいだじゅう静止している。

    比喩的には映画の映写機によって映し出された映像である。ほんとうに存在しているのは静止画像の連なりだけであって、スクリーン上の「動き」は見かけの姿にすぎない。変化は幻想である、という考えかたである。哲学者マクタガートのA系列における未来、現在、過去の変化は幻想であって、B系列の年表のような映像フィルムこそが実在であるとする結論である。実は相対論の四次元の考え方も同じである。残念だがそこには自由意志の片りんすら見られない。あるのは決定論的運命のみである。それでいいのか。ベルグソンの生き生きとした現在は過去や未来とは等価ではありえない。変化とは未来が現在に移動してくることなのか、それとも現在において未来や過去を造り出すことなのか。

    Camen McRae - My Romannce


    https://www.youtube.com/watch?v=FlXVQH3MvOE
返信/引用返信 削除キー/

■37185 / )  Re[4]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/26(Fri) 21:21:36)
    〈考知性〉に価値を持ってる人は〈感知性〉には志向しないのかも?
    たとえそれに志向したとしても、マジで知ろうとはしないのかも?
    どうしてか、っていうと、自分の〈考知性〉への価値がカオスになるって、無意識的に”感じてる”からかも?

    こんなことすら思い出せない知性の持ち主となって生きる人たちの知識は、プアーとしか言いようがないかも?

    ん〜ん、典型的な例としては、日本の国会議員ちゃんたちや、そのフンのマスちゃんたちなかな?

    こんな無能な人たちによって「この私」の生の在り方を決められるのは、な〜んか、不快。

    日本国では自殺者が多いみたいだけど、なんか分かる気がする。
返信/引用返信 削除キー/

■37184 / )  面接授業
□投稿者/ 田秋 -(2024/04/26(Fri) 19:56:44)
    明日から大阪教育大学内にある放送大学学習センターで面接授業を受けるため、天王寺近くのホテルに宿泊しています。ここでは過去2回漢字の講義を受けましたが、今回も漢字の講義で同じく白川静系の先生です。今回の講義では日本の漢字学の流派の話もあるようで楽しみです。
    漢字の講義は今取っているコースの卒業要件ではないのですが、古代中国の文明や日本の文化に触れることができるし、難しい数式も出てこないので聴いていて面白いです。


返信/引用返信 削除キー/

■37183 / )  Re[3]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/26(Fri) 19:15:42)
    No37151のつづき、
    わたしがわかんなかった、フッサールの言う「モナド」ね。これってライプニッツが使ってたみたいで、前にネットでいろいろ見たんだけどよく分かんなかったんだけど、

    No37109の(4)に、
    フッサールの「モナド」概念、ってあって、その中から簡単に書き出して見ると、
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・@フッサールによれば、「モナド」とは「全き具体化において受け取られたエゴ」(Hua T,102)、「具体的で純粋な主観性」(Hua\,216)である。つまり「モナド」とは、最も具体的な自我を表す概念である。「具体的」とはどういうことか。それは「繋がりのあったものを抽象的に切り取ることはしない」ということである。
    ・Aフッサールは「主観的」と呼ばれる経験が、そのまま「客観的」と呼ばれる「対象そのもの」と地続きであると、考えている。
    ・Bそこで「モナド」という語は、ある種の媒介的な相関そのものを言い表す語として用いられている。主体的な働きだけでなもなく、対象的な収斂点だけでもなく、それらが不可分に媒介し合う相関の出来事そのものが、「モナド」と呼ばれるのである。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ってあった。(4)からはここんとこだけ抽出。

    「媒介」って言うのをネットで調べてら、実用日本語表現辞典に
    〔媒介(ばいかい)とは、二つ以上の事物や現象が互いに関連付けられるための中間的な存在を指す言葉である。〕
    ってあった。

    簡単に見て、
    フッサールの言う「モナド」っていうの、〈具体的な、生まれつき備わってる、ななかだちする場〉、ってひとまず見ることにした。
    この〈場〉っていうのは意識のなかにあるもののことを言ってるんだとわたし見てるから、〈領域〉とか〈領分〉って言ってもいいかな。

返信/引用返信 削除キー/

■37182 / )  小生が高校当時
□投稿者/ キティダニエル -(2024/04/26(Fri) 16:32:34)
    ロックジャーナリズムはミュージックライフ、音楽専科、ニューミュージックマガジンの3誌

    が主流でした。ロッキング・オンはその中に殴り込みをかけたという感じでしたかね。

    >キティダニエルさんのDJはやさしそうな雰囲気だなー(#^.^#)
    哲学的な話題も出て私だったらきっと番組を楽しみにしてただろうなー。

    感激です!

返信/引用返信 削除キー/

■37181 / )  返礼
□投稿者/ パニチェ -(2024/04/26(Fri) 15:56:33)
    No37180に返信(knowingitselfさんの記事)

    > またまた更新、ありがとうございます。

    どういたしまして。
    knowing itselfさんなりのマイペースで末永くよろしくお願いします。
返信/引用返信 削除キー/

■37180 / )  Re[1]: 哲学の雑談 18
□投稿者/ knowingitself -(2024/04/26(Fri) 12:47:24)
    またまた更新、ありがとうございます。
返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 ツリー表示 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -