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No37157 の記事


■37157 / )  Re[2]: つれづれなるままに 14
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/20(Sat) 19:34:01)
    きょうは切りのいいところまで書いとこっと。

    いま、フッサールが使う用語とその意味を分かろうとしてるところ(もっとも日訳ので、だけど)。
    哲学者によってその用語の使い方(意味)が異なってる感じしてるから。

    No37154、カントの、なんか、めんどくさそう(pipitさまやうましかさんが“沼”って言ってるの、なんかわかるわ〜)なんだけど、
    カントの用語を簡単に見ちゃうと、
    ・@「純粋」≒「経験的ではない」≒「アプリオリ」
    ・A「経験的なもの」≒「アポステリオリ」
    ・B「超越論的」=「経験的な混入物がない」ことではなく、「経験的な混入物がない」にもかかわらず経験に適用されるのはなぜか、という問いの全体にかかわること。
    こういう感じになるかな。

    こういうのをふまえて、フッサールのを見て見た。

    【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の中に、
    (a)『すべての推論の過程には必然的に、純粋な我に内在的で「生まれつき備わっている」原理を手引きにして行われることになる。』(p21)
    ってあって、この「生まれつき備わっている」っていうのを「アプリオリ」ってして、わたし見た。
    「誰かに教わったわけじゃないのに自然と」みたいな?
    ほら、1歳ぐらいになると、“自然と”立てるようになるじゃん、これって誰かに立ち方を教わったわけじゃないのに。
    こんな感じの。
    でね、
    フッサールの、
    ・C「超越論的」=「純粋」=「アプリオリ」=「経験的ではない」=「生まれつき備わっている」
    ってして見した。
    中島さんが言うような、カントのBのような「超越論的」の意味じゃなくて。

    フッサールの言う「超越論的」っていうのはこんな感じので使ってる、って見とくことにした。

    あと、(a)に、「推論」ってあるけど、これ、〈考知性(思考)〉の領域で行われてること、ってわたし見てる。
    No15221の(FD-7)あるような、
    【それは或る種の類似にもとづく統覚という把握の働きであろうが、だからと言って、それは類推〔類比推理〕なのではない。ここで言う統覚とは推理ではないし、思考作用でもない。…】
    みたいなのから。

    Cのような、「生まれつき備わっている」ものを見ようとするとき、
    No27553にあるような、
    【モーリス・メルロ=ポンティ著 『知覚の現象学』1945中島盛夫訳法政大学出版局2009】にあった、
    【言葉のざわめきの下の原初的な沈黙を再発見しない限り、そしてその沈黙をやぶる身振りを描き出さない限り、われわれの人間考察はいつまでたっても表面的なものにとどまるだろう。】(p305)
    っていう、「幼少の頃に遡ってそのうちで(外からじゃなくて)見る」のが現象学的還元っていう方法なのかも。

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