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Re[6]: つれづれなるままに 14
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/27(Sat) 17:33:49)
| No37157で、フッサールの言う「超越論的」っていうの、わたしのなかで、こんな感じの、っていうのができたんだけど、
たとえば、【フッサール著『デカルト的省察』1931浜渦辰二訳岩波書店2001】の第50節の書き始めに、
『原初的な領分の定義と分節化という、超越論的には非常に重要な前段階がすでに片付いてしまったので、次には、客観的な世界の構成に向かう前途の歩みのうちの第一の歩み、すなわち「他者」への歩みに進むことになるが、ここでの本来の、しかも実際に少なからぬ困難とぶつかることになる。その困難とは、他者がまだ人間という意味を獲得していない意味での他者経験を、超越論的に解明することにある。』(p195)
ってあるけど、ここに出て来る『超越論的』を、わたしのばあい、 〈生まれつき備わってる〉っていうふうに言いかえて見ることにしたのね。
『他者がまだ人間という意味を獲得していない意味での』 っていうの、 「現象学的還元」してるなかで、ってわたし見たのね。 現象学でいう還元っていうの、〈乳幼のころに遡って、そのうちで見る〉、って、メルポンの言う『言葉のざわめきの下』ね。
こういうなかでは、まだ、「他者」とか「人間」とかいう“語が使えない”(獲得してない)から、それをどう言葉で表現したらいいか、が難しところよね〜。
この節のなかでは、「私自身」のことを「唯一性をもった心理物理的統一体」とか言い表してたり、 No15221にあるように、「或る物体」とか「そこにある物体」っていうふうに言い表してて、これ、〈他者の身体〉のことを言ってるんだとわたし見てるんだけど、まだ「他者」とか「身体」っていう語が使えないからこういう言い方になってるんだと思う。
あと、 「原初的領分」ってあるけど、たぶん〈意識の〉だと思う。 ちなみにわたしのばあい、このような領分が意識にはある、って想定して見てて、〈意識の原初自然的な固有領域〉ってして、〈自〉って名づけてる。
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