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Re[7]: つれづれなるままに 14
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□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2024/04/27(Sat) 18:14:45)
| わたしの物語り、感想文なんだな〜って、思う。わたしの感性による想像の文ね。
No37157や No37188で、ちょっと触れた、 「現象学的還元」っていうの、メルポンの言う『言葉のざわめきの下』、〈乳幼のころに遡って、そのうちで見る〉っていう方法、フッサールもそういうの見てたみたいなのね。っていうか〜、それに倣ってなのかもだけど。
たとえばね、 No11393の@の中に、 【・・・すでに物が見えている子供は、例えばハサミの使い方を初めて理解した後では、一目で直ちにハサミをハサミとして見るようになる。・・・】 みたいに、子どものころの、を見てたりしてる。
No37109の資料の(6)の中にも乳幼のころに遡って見てる、みたいなのあったのでその部分を書き出して見るね。 ・・・・・・・・・・・・・ 「…例えば、乳幼児における受動的キネステーゼの充実連関は、…」 「…この乳幼児の未分化な差異化以前の共感覚からの、視覚野、聴覚野、キネステーゼの野等々の個々の感覚野の分岐派生による形成ないし、差異化のプロセスは、フッサールにおいて発生現象学で定題化されている。…」 「…フッサールの発生的現象学では、衝動志向性を通しての母と子の間身体的原コミュニケーションが、周到に分析され、現象学的に根拠づけることは、十分に可能なのである。そこでは、身体中心化の分析が二段階に分けて考察されている。…」 「…このプロセスは、幼児の喃語と母親のその模倣の事例において、…」 ・・・・・・・・・・・・・
やっぱ、現象学ではあのころに遡って見てるじゃないかな〜?って。こういうのって、「私」の発生につながってくる気がしてる。
ちなみに「キネステーゼ」っていうの、【「現象学事典」弘文堂2014】に、 ・・・・・・・・・ キネステーゼ[〔独〕Kinästhese] (p89) 「キネステーゼ」は、ギリシャ語のキネーシス〔運動〕(κίνησις)とアイステーシス〔感覚〕(αΐσθησις)とから合成された述語で、それを直訳してドイツ語でBewegungsempfindungと表示されることもある。フッサールでは、1907年のいわゆる「物」講義(『物よ空間』)や『受動的綜合の分析』、『危機』などで論じられているもので、通常その言葉から想像されるような「運動の感覚」を意味するのではなくて、むしろ運動と感覚との不可分な結合、ないしは運動としての知覚を意味する。・・・ ・・・・・・・・・ ってあったよ。
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