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■37879 / inTopicNo.13)  Re[64]: 量子力学の多世界解釈
  
□投稿者/ akaimi -(2024/07/19(Fri) 08:07:23)
    2024/07/19(Fri) 08:49:21 編集(投稿者)

    時さん、こんにちは!

    No37876に返信(時さんの記事)
    > 自己レスです。
    >
    > ■No37871に返信(時さんの記事)
    >>これを多世界解釈での可能性の世界観で表現すると、生きている猫と死んでいる猫は、50%同志で重ね合わさっているという表現になるのでしょう。そして蓋を開けた瞬間にどちらかに決定し、100%の結果としてどちらかの世界に決定されたとなるのでしょうね。
    >
    > あれ?今読み返していて思いましたが、これって、コペンハーゲン解釈の考え方ですよね?
    >
    > 多世界解釈ならば、猫が生きている世界と死んでいる世界が同時にそれぞれ実在しているとなるのでしょうか。
    >
    > こんがらがって来ました。

    そうですね、おっしゃるようにコペンハーゲン解釈の考え方になると思います。
    『量子力学の多世界解釈』和田純夫 著に、シュレーディンガーの猫についての記述があるのでまとめてみますね。

    「シュレーディンガーの猫」という思考実験は、コペンハーゲン解釈が成立していた時期にそれへの疑問として登場したもの。
    多世界解釈で考えるなら不思議な話ではなくなる思考実験。

    テーマは「波の収縮」で、いったいどの時点で波の収縮が起きるのかということ。
    電子や光子などミクロな粒子の世界では複数の状態が共存しているが、観測すると観測された状態しかなくなってしまうというのがコペンハーゲン解釈での波の収縮。

    ミクロな信号がマクロな信号に増幅される段階で起きる説をハイゼンベルクは主張。
    人間が情報を認識した段階でという説をノイマンは主張。
    ノイマンの説に疑問を投げかけたのが「シュレーディンガーの猫」の思考実験になる。

    波の収縮が起きるのだとしたらいつ起こるのか。
    波の収縮が人間の認識によって起こるならば、人間がこの箱を開けて確認するまでは、生きている猫と死んでいる猫が共存していることになる。
    しかし、生きている猫と死んでいる猫の共存など受け入れがたいというのがシュレーディンガーの疑問だった。

    この話を多世界解釈で考えると。
    多世界解釈では複数の宇宙の共存も受け入れるので、生きている猫と死んでいる猫という二つの状態は共存している。
    その箱を人間がのぞきこんだあとでは、人間は生きている猫を見たという状態と、死んでいる猫を見たという状態が共存している。
    しかし、共存していても違いがマクロなので、この二つの状態が互いに影響を及ぼしあうことはなく、二つの状態は互いに別世界として分岐している。

    以上、p212〜p217からまとめました。


引用返信/返信 削除キー/
■37878 / inTopicNo.14)  Re[63]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/19(Fri) 08:02:07)
    2024/07/19(Fri) 08:16:48 編集(投稿者)
    No37875に返信(パニチェさんの記事)
    > 2024/07/19(Fri) 04:06:23 編集(投稿者)
    >
    > こんばんは、akaimiさん。横レス失礼します。
    > お節介ながら勝手補足させて下さい。

    パニチェさん、ありがとうございます!

    > これに対して主流派となったコペンハーゲン解釈では観測できないことは物理学の俎上に載せない。
    > 物理学とは観測したもののみを対象とすべきであり、観測不能なその背後や原因を研究対象にしないというスタンスであり、実証主義をベースとする。
    >
    > つまり観測問題とは量子力学を古典物理に押し込めたために発生する問題であるというスタンスをとる。実証主義はあきらかに素朴実在論とは相容れない波動方程式を道具として用いる道具主義と(古典物理側からは)批判されたりもする。

    この部分について、『量子力学の多世界解釈』のp97に同じように書かれています。

    > 「観測問題」は、そもそも観測によって波束が収縮すると認めるから上記のような問題が生じるのであって、観測によって波束が収縮しなければ上記の問題は生じない。
    >
    > 波束が収縮するのではなくて観測された位置に量子が存在する世界に分岐するのであって、確率的に共存している複数の世界が同時並行(パラレルワールド)として存在するという仮説。
    >
    > つまり多世界解釈とは素朴実在論を前提とした理論に量子力学を戻したということもできます。
    > 著者の和田純夫氏は多世界解釈を支持する物理学者です。

    多世界解釈では波束の収縮を取らずに、観測者も共存する状態に一まとめのセットでいる分岐世界として説明している、ということなのかなと少しだけ本の続き部分を読んでみたのとパニチェさんに書いていただいたのを拝見して考えています。

    私にはやはり難しい本ですが、少しでも理解できたらと思ってます。

    ありがとうございました<m(__)m>
引用返信/返信 削除キー/
■37876 / inTopicNo.15)  Re[63]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/19(Fri) 01:29:49)
    自己レスです。

    No37871に返信(時さんの記事)
    > これを多世界解釈での可能性の世界観で表現すると、生きている猫と死んでいる猫は、50%同志で重ね合わさっているという表現になるのでしょう。そして蓋を開けた瞬間にどちらかに決定し、100%の結果としてどちらかの世界に決定されたとなるのでしょうね。

    あれ?今読み返していて思いましたが、これって、コペンハーゲン解釈の考え方ですよね?

    多世界解釈ならば、猫が生きている世界と死んでいる世界が同時にそれぞれ実在しているとなるのでしょうか。

    こんがらがって来ました。
引用返信/返信 削除キー/
■37875 / inTopicNo.16)  Re[62]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ パニチェ -(2024/07/18(Thu) 21:07:06)
    2024/07/19(Fri) 04:06:23 編集(投稿者)

    こんばんは、akaimiさん。横レス失礼します。
    お節介ながら勝手補足させて下さい。

    量子力学の登場で相対性理論までの物理は古典物理と呼ばれるようになった。
    古典物理の特徴は素朴実在論を前提としているということ。

    素朴実在論とは観測対象は観測する私たちの意識とは独立して(無関係に)存在(実在)しているということ。
    これを前提として組み立てられたニュートン力学も含めた相対論までの物理理論が古典と呼ばれるようになった。

    量子力学では私たちが観測する以前は、量子は空間に波のように広がった運動(シュレディンガー方程式=波動方程式)で記述すれば現象と合致する。
    観測した瞬間に波束が収縮し(空間に広がって存在していた非局所的な位置を持たない量子が)局所的な位置を持つ粒子として観測される。

    何故、私たちの観測という行為、あるいは意識が対象の存在様相に影響を与えるのか?
    何故、空間に広がっていた波が観測という行為によって収縮するのか?
    これは素朴実在論にも反する理論となる。
    これらの疑問が量子力学によって生じた「観測問題」と呼ばれる物理&科学哲学的な問題。

    これに対して主流派となったコペンハーゲン解釈では観測できないことは物理学の俎上に載せない。
    物理学とは観測したもののみを対象とすべきであり、観測不能なその背後や原因を研究対象にしないというスタンスであり、実証主義をベースとする。

    つまり観測問題とは量子力学を古典物理に押し込めたために発生する問題であるというスタンスをとる。実証主義はあきらかに素朴実在論とは相容れない波動方程式を道具として用いる道具主義と(古典物理側からは)批判されたりもする。

    「観測問題」は、そもそも観測によって波束が収縮すると認めるから上記のような問題が生じるのであって、観測によって波束が収縮しなければ上記の問題は生じない。

    波束が収縮するのではなくて観測された位置に量子が存在する世界に分岐するのであって、確率的に共存している複数の世界が同時並行(パラレルワールド)として存在するという仮説。

    つまり多世界解釈とは素朴実在論を前提とした理論に量子力学を戻したということもできます。
    著者の和田純夫氏は多世界解釈を支持する物理学者です。
引用返信/返信 削除キー/
■37871 / inTopicNo.17)  Re[62]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ 時 -(2024/07/18(Thu) 15:00:27)
    2024/07/18(Thu) 16:50:25 編集(投稿者)

    akaimiさんへ。こんにちは。

    No37869に返信(akaimiさんの記事)
    > 電子というミクロなもののふるまいが人間や世界というマクロなものにも適用されるという多世界解釈(例えば一人の人間が複数の世界に存在するという解釈)について、理解の範囲を超えすぎているなぁと思う反面、興味もあります。
    > 続けて読める部分だけでも読んでいこうと思います。

    多世界解釈、面白いですね。

    ある日の午後、宝くじ売り場へ向かう男性が一人いました。連番で10枚宝くじを買って帰り、発表の日になり、残念ながら一番違いで外れくじばかりでした。。

    そういえば、後ろに並んでいた女性も連番で10枚買っていたなぁというのを思い出し、きっと当たったのはあの女性だ。とその想いを巡らせました。。

    最初に宝くじ売り場へ向かう男性Aと向かわなかった場合の男性A´、どちらも同じ男性ですね。向かわなかった場合のパターンはこの際考えないことにしますが、男性Aの場合、その列のその位置に並んだという場合と、もう一人分後ろにずれて並んだ場合で、結果としての宝くじが当たったと外れたに分岐します。。

    多分ですが、多世界解釈の世界では、全てが可能性という事で、可能性の世界を分岐と言っているのではないでしょうか?

    実際の過ぎ去った現実としては、その日、男性Aは宝くじ売り場に向かって列に並んで連番で10枚購入したが、全てが外れくじだった。という事になりますが、可能性の世界を考えると、宝くじを買いに向かわなかった男性A。宝くじを買いに向かったが途中で事故にあい、結果列に並べず買えなかった男性A。宝くじを買いに向かい、列に並ぶ前に女性に割り込みされてしまい、女性と順番が逆になった場合の男性A。と、男性Aの世界で無限にその可能性の世界は広がりますね。

    過去に、多世界解釈で神という存在を表現されていた方と、掲示板上で長くお話をしていただいたことがあります。物理が苦手な私でも面白かったですよ。(笑)

    http://qualiatouitsu.blog.fc2.com/

    箱の中の猫は生きているのか?死んでいるのか?・・通常の答えは、”分からない”です。

    これを多世界解釈での可能性の世界観で表現すると、生きている猫と死んでいる猫は、50%同志で重ね合わさっているという表現になるのでしょう。そして蓋を開けた瞬間にどちらかに決定し、100%の結果としてどちらかの世界に決定されたとなるのでしょうね。

    そして、目の前で猫が生きているという現実を見たとしても、宝くじの時と同じく、その時点で猫が死んでいる世界を見ている私も可能性としてあるというような世界観なのだろうと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■37869 / inTopicNo.18)  Re[61]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/18(Thu) 11:47:03)
    二重スリット実験の概要を簡単にですが見てきたので、『量子力学の多世界解釈』和田純夫 著 に戻ります。

    P79〜p81 奇妙な波の収縮 というタイトルの部分をまとめてみます。

    波であるとして計算した電子が、観測の時点でなぜ急に粒子のようにふるまうのか。
    広がっていた波は観測のたびに、検出された位置に突然、集中する。
    ただしそれがどこであるかは確率的にしか決まらない。
    この現象を波の収縮(波束の収縮)と呼ぶ。
    「確率則」と「波の収縮」を組み合わせた量子力学の実用的な体系がボーアを中心とした人々の議論の中から生まれた。
    確率則と波の収縮を基本として量子力学を正当化する考え方をコペンハーゲン解釈という。
    現在の量子力学の標準解釈となっている。

    P82〜p83 コペンハーゲン解釈への疑問 というタイトルの部分のまとめを次に。

    「波の収縮」について、人間がそこに観測したからそこに収縮したのだと言うだけで、なぜ収縮するのか、観測されなかった部分はどこにいってしまったのかなど、本質的な疑問には答えていない。
    ボーア、ハイゼンベルクは波の収縮を、量子力学であらわされるミクロな世界と、量子力学では記述されない(古典力学的な)マクロな観測装置との関りによっておこると表現した。
    マクロな観測装置にしても原子から構成されていることには違いはなく、世界の根本原理だとしたら、原子から構成されるすべての物質も量子力学で記述されるはずである。

    ・・・・・
    P86から多世界解釈についてに入ります。

    電子というミクロなもののふるまいが人間や世界というマクロなものにも適用されるという多世界解釈(例えば一人の人間が複数の世界に存在するという解釈)について、理解の範囲を超えすぎているなぁと思う反面、興味もあります。
    続けて読める部分だけでも読んでいこうと思います。

引用返信/返信 削除キー/
■37853 / inTopicNo.19)  Re[60]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/16(Tue) 09:49:56)
    2024/07/16(Tue) 10:02:51 編集(投稿者)

    光の粒は【異なる二つの可能性の両者を持ち合わせている】と考えられる。
    一つの粒であっても、左右両方の穴を通った光の「両者を持ち合わせる」という発想。

    光の小さな粒は、複数の場所に同時に存在する。
    この不可解な真実が、量子力学の核になる。

    二重スリット実験で見られた縞模様は、「光の干渉縞」と呼ばれる。
    水面での二つの波がタイミングよくぶつかり合うと上下の動き(波)はさらに激しくなり、
    タイミンクが合わないと上下の動き(波)をかき消してしまう。
    これと同じように、スクリーンに表れた縞模様のあるところと無いところという「波の干渉」という現象が起きることから、光の粒は波としての性質を持つことがわかる。

    対してアインシュタインは「光は粒である」として、光は波だというそれまでの説に異論を唱えた。
    光の性質について、波なのか粒なのかの激論がなされることになった。
    これに決着をつけたアイデアが「波動関数」。
    実体としての光は粒という形で現れるが、その動きを決めるのは波の性質をもったもの。
    このアイデアの正しさを裏付けたのが、二重スリットに光の粒を一つずつ飛ばす実験。
    光の粒は一つだけの軌道ではなく、あらゆる可能性を持つ複数の軌道を持ち、左右の穴の両方を同時に通った二つの異なる可能性を重ね合わせた動きを示す。
    この動きを考えるには、波の方程式「波動関数」が用いられる。
    光の粒のこのような動きはなぜそうなるのかについての答えは出ていないが、波動関数を用いた説明で実験事実と矛盾したおかしな結果が出たことはなく、検証を重ね信頼された理論となっている。

    以上、『先生、それって「量子」の仕業ですか?』大関真之 著 p25〜p35からまとめてみました。

    ・・・・・
    人間は光を明るさ、眩しさとしてしか体感できないけれど、実験では光が粒として表れたり、波のような性質を持つことが明らかになっているのですね。
    ふと思ったのですが、蛍光灯にしても、光が波の性質を持つことを利用して作られているので、部屋の隅々までが照らされるのかもしれないと考えました。(違うかもですが。)

引用返信/返信 削除キー/
■37815 / inTopicNo.20)  Re[59]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/11(Thu) 09:18:43)
    2024/07/11(Thu) 09:20:20 編集(投稿者)

    二重スリット実験について、とてもわかりやすい説明がされている本でまず概要をつかもうと思います。
    『先生、それって「量子」の仕業ですか?』大関真之 著。
    P17〜p33を読みまとめます。

    スクリーンの前に二つの縦長の穴(スリット)が開いたものを立て、そこに向けて光の粒を一度にたくさんの量ずつを放出していく。
    二つの穴に飛び込むのだから、それぞれの穴を通った光の粒はスクリーンにもそれぞれ二つの輝点ができると考えられる。
    しかし、実際には、スクリーン一面に何本もの縞模様ができる。

    次に、たくさんの量ずつではなく、一個ずつの光の粒を飛ばしてみる。
    1個ずつの光の粒は、一つの輝点になるが、同じことを繰り返していくと、輝点はさまざまなところになり、違う場所にも光の点がそれそれ積み重なり何本もの縞模様ができる。
    ここで、【同じ操作をしても同じ結果を示さない】という量子の一端が見える。

    同じ実験で、スリットの穴の片方を塞いで光の粒を飛ばすと、スクリーンの一部分が輝く。
    次に、開けていた方を塞ぎ、塞いでいた方だけにして飛ばすと、別な場所が輝く。
    しかし、再び二つの穴を開いたまま光の粒を飛ばすと、また縞模様が現れる。

    二つの穴のうち片方の穴を閉じて、もう片方のみを通る場合にはただの粒と似た動きを示す。
    しかし、二つとも通れるようにしておくとまったく異なる縞模様を示す。

    次に、二つの穴のそばに仕掛けを置き、粒がどちらの穴を通ったか監視し、光の粒を二重スリットをめがけて飛ばす。
    すると、ただの粒をたくさん投げたかのように、スリットを通った粒がまっすぐにスクリーンにぶつかり二つの輝点ができる。

    こうした実験により、縞模様は、光の粒がどちらのスリットを通ったのか申告せずにスリットを通さないと出現しない、さらに、どちらの穴も通れる状態にしないとできないものであることがわかる。
    これらの事実から、光の粒を投げるときに、どちらの穴を通るのか両方の可能性を残している状態かどうかが、縞模様の形成に関わっていることがわかる。

    以上の部分、p17〜p24を読みまとめました。次回続きます。

引用返信/返信 削除キー/
■37796 / inTopicNo.21)  Re[58]: 量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/09(Tue) 09:03:25)
    2024/07/09(Tue) 09:16:10 編集(投稿者)

    『量子力学の多世界解釈』和田純夫 著の「はじめに」の部分から、今日はまとめてみます。
    そして、自分の頭の中にラフな地図を入れておこうと思います。

    p3〜p5からまとめます。

    原子のふるまいを説明するために誕生した理論が量子力学で、量子力学は現代の自然科学の基本であり、それによって科学と技術はめざましい発展をとげてきた。
    しかし量子力学の使い方はわかっても、それが意味する粒子像、物質像は何かという原理的な部分では、いまだに議論が続いている。
    これが量子力学の解釈問題。

    通常、教科書に書かれている説明は、コペンハーゲン解釈とよばれるもので、これによって量子力学は実用化されたが、それに不満をもつ人も多く、多世界解釈も提唱された。

    多世界解釈の考え方によれば、世界は1つではない。ある場所に存在する電子と同じ電子が別の場所にも同時に存在する世界など、複数の世界が存在する。
    量子力学を虚心坦懐に見つめ、そのまま受け入れようとすれば自然に出てくる考え方というのが多世界解釈論者の主張。

    コペンハーゲン解釈では、複数の世界が共存するなどとは言わず、共存していると不都合なことが起きそうなので「1つを除いて他の世界を捨ててしまう」のが基本方針で、この捨ててしまうという操作を「波の収縮」とよぶ。

    この操作を受け入れるのか、受け入れるとしたらどのように理解するのかという問題が、解釈論争における中心的なテーマだった。

    ===

    多世界解釈なら、「シュレーディンガーの猫」はとるに足らない問題となる、
    とこの本の帯にあります。
    この思考実験で、もし箱の中の猫が生きているとしたら、別な世界では同じ猫が箱の中で死んでいるということに多世界解釈ならばなるのですね。

    私(akaimi)は今、パソコンを使い投稿している最中ですが、外で草刈りしていたり、夏バテして寝込んでいる状態というのも同時に存在しているということに、多世界解釈だとなるのだと思います。

    二重スリット実験について、それの結果で分かれる解釈について、を浅いところだけでも再度自分で納得して、それから多世界解釈についても少しでも理解できたらと思っています。

引用返信/返信 削除キー/
■37773 / inTopicNo.22)  量子力学の多世界解釈
□投稿者/ akaimi -(2024/07/08(Mon) 08:10:03)
    2024/07/08(Mon) 08:23:19 編集(投稿者)

    去年ふとしたきっかけから『量子力学の多世界解釈』和田純夫 著 という本をぱらぱらと読んでみていました。
    でも難しくて理解が進められず残念に思っていました。
    最近、体調もよく気力もある気がするので(ほんとか? ^ω^)、また読んで少しでも理解できたらと思っています。

    まず、量子とは何かから確認していきます。
    ===
    量子とは粒子と波の性質をあわせ持った、小さな物質やエネルギーの単位のこと。
    物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手。
    光を粒子としてみたときの光子やニュートリノやクォーク、ミュオンといった素粒子も量子に含まれます。
    ===

    https://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/ryoushi/detail/1316005.htm
    文部科学省の資料からお借りしました。


    原子そのものも粒子と波の性質をあわせもっているのですね。
    漠然とですが、原子は単位としてもう少し大きくて、量子と言われるものの範疇ではないと思っていました。


    地域の活動で、今は公園などの草刈りが最盛期で、私も参加しています。
    高齢化が進んで、これまでされてきた方々がだんだんと出来なくなってきてるのでやらないと、なのです。
    たいへんですが綺麗になると嬉しいのはありますね。
    読書のほうもマイペースでしていきます♪
引用返信/返信 削除キー/
■37661 / inTopicNo.23)  ラベンダー
□投稿者/ akaimi -(2024/07/02(Tue) 07:57:01)
    15年ぐらい前に鉢植のラベンダーを地植えしたものが毎年咲いてます。
    ラベンダーは梅雨や暑さには弱いとされてますが、肥料も水やりもしなくても丈夫に咲いてほんとにすごい。
    小さなリース台に挿してみました。
2176×2732 => 478×600

1719874621.jpg
/1402KB
引用返信/返信 削除キー/
■37652 / inTopicNo.24)  Re[55]: ストア派
□投稿者/ akaimi -(2024/07/01(Mon) 11:03:54)
    2024/07/01(Mon) 11:20:07 編集(投稿者)

    『ストア派』ジャン=バティスト・グリナ 著 川本 愛 訳 から、宿命が存在するということを論理でどうストア派が説明したかについての部分で理解できたと思う部分を抜き出してみます。


    ===
    あらゆる命題は真か偽のいずれかであるという二値原理である。この最後の論によれば、もし原因のない運動があったとすると、未来についての命題は真でも偽でもないということになってしまう(未来についての命題が真か偽のいずれかであるためには、その命題は、それを真か偽のいずれかとする原因をもたなければならない)。
    だが命題は真か偽かのいずれかである。
    したがって、原因のない運動は存在せず、そして、「もしこのようであるならば、生じることはすべて先行する原因によって生じるのであり、もしそうであるならあらゆることは宿命によって生じるのである。
    ===p94より引用

    例えば、「水たまりができているのは雨が降ったからだ」という命題は、降雨と水たまりの因果関係が明確な時に真になる。
    その時、「降雨という原因があってできた水たまりができることは宿命である」、ということになるということを言っているのだと思います。
    結果には原因がある、という自然の理を見出し、それを論理でも表したのでしょう。
    「太陽が昇ると明るくなる」「食物・水を摂らないと人は死ぬ」などもそうですね。

    ただ。。世界はそうそう単純には出来ていないと思うのです。
    降雨はたしかにあり、水たまりもできている、としても、水たまりの原因が降雨だとは言い切れない場合もある。(降雨ではない液体が溜まっているとも考えられる。)

    ・・・・・

    ある結果が起きた原因を一つに絞れるのは、誰の目にも明らかな現象の場合だけで、実際の世界での出来事は複雑に入り組んでいて原因が明確にできない場合が多い。
    まして、世界のあらゆることについて、例えば私が明日何を食べるかは意外と予測できなかったりする。
    明日何を食べるか(食べたか)を因果関係として説明したとしても、誰の目にも明らかなものではないし、普遍性はまったく無い(;^_^A

    論理でどこまで世界を説明できるか、未来を説明できるかというのは、限界のあることだと漠然とですが思います。

引用返信/返信 削除キー/

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