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Re[36]: エピクテトス
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□投稿者/ 時 -(2024/03/16(Sat) 12:07:10)
| パニチェさんへ。こんにちは。意見の交換という事で、有意義です。^^
■No36819に返信(パニチェさんの記事)
> akaimiさんや時さんの意見を聞ければ有難いですが、もちろんスルーでも結構です。
>>=== >>出来事が、君の望むように起こることを求めてはならない。 >>むしろ、出来事が起こるように起こることを望みたまえ。 >>そうすれば君は穏やかで幸福な生活を送れるだろう。
> 「人生で起こることは必然であり、それらには意味や価値がある」や、上記の「出来事が起こるように起こることを望みたまえ」という台詞の背後には神への信仰があるように思うのです。 > または苦難を乗り越えることができた勝者の言葉。
過去のakaimiさんのご投稿より
No36430 >自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した >ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係 >ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた
エピクテトスの属していたストア派の関心事は、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係であり、それは自らへ降りかかる苦難などの運命をどのように降伏していくかの哲学であり、それを生活の方法として表していると解釈しました。
浅学での現在での私の理解では、ストア派は、基本的には汎神論的な思想であるが、同時に、人間は自由意志を持つという思想だろうと感じました。
ですので、人格神ではない、神への信仰がなかったとは言えないように思いますね。ただ、、それを信仰心と彼らが表現していたのかは疑問です。
一方で、私の学びましたアドヴァイタでの理解は、神のみが実在するという最終理解となりますので、現代で表現すると汎神論のみですので、そこに現代で表現される人間の自由意志は認められません。アドヴァイタでの理解が起これば、この世の一切の問題は消滅しますが、ストア派での思想では、そこに問題が残ります。なぜならば、そこに自由意志の存在を認めるからです。そして自由意志により必然的に起こった問題を、その自由意志で解決する方法(考え方)を説いていたのではないでしょうか。
>>出来事が、君の望むように起こることを求めてはならない。
あなた都合での良い事ばかりを期待してはいけません。なぜならば、あなた都合での悪い事も起こるからです。
>>むしろ、出来事が起こるように起こることを望みたまえ。
そのようなことよりも、何かを望むのであれば、ありのままで起こる事象は、起こるべくして起こるのだという事を望みなさい。なぜならば、宇宙論的決定論で事は起こるのですから。
>>そうすれば君は穏やかで幸福な生活を送れるだろう。
宇宙論的決定論で起こる事を理解できたのであれば、あなたは穏やかで幸せな生活を送れるでしょう。
> 最悪の状態で死を迎えた人、例えば一方的に無残な殺され方をした人たちにも同じことが言えるのか疑問です。
悲しみに暮れる親族に対して、通常は言わないでしょうし、言えないでしょう。ですが、仮にその親族が本当に何が原因でという事を真剣に知りたいと思われたのであれば、そしてそれを伝えるという運命にあるのであれば、賢者、聖者は、伝えると思います。
命に価値など無いのだという事も含めてです。そして、その時その命が消えることも運命なのだという事をですが。
ですので、分類するのであれば、苦難を乗り越えることができた勝者の言葉。となるでしょうか。
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