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No36430 の記事


■36430 / )  Re[22]: エピクテトス
□投稿者/ akaimi -(2024/02/05(Mon) 09:09:20)
    2024/02/05(Mon) 10:17:32 編集(投稿者)

    エピクテトスは後期ストア派の哲学者とされています。
    ストア派、名前は知ってはいましたが内容についての知識がないので、ストア派についてwikiで調べます。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A2%E6%B4%BE

    ===
    ストア派(ストアは、希: Στωικισμός、英: Stoicism、ストイシズム)は、ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。

    自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した[1]。例えば、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない、と説いている[2]。
    ===wikiより

    ストア派の創始者と書かれているゼノン。
    このゼノンというのは、アキレスと亀など(パラドクス)のゼノンとは名前は同じでも別人だそうです。

    ===
    概要
    ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係や、自然と一致する意志(プロハイレーシスと呼ばれる)を維持することが道徳的なことであるという教説である。このため、ストア派は自らの哲学を生活の方法として表し、個々人の哲学を最もよく示すものは発言内容よりも行動内容であると考えた[3]。

    ルキウス・アンナエウス・セネカやエピクテトスのような後期ストア派は、「徳は幸福により十全となる」という信念から、知者は不幸に動じないと主張した。この思想は「ストア的静寂」というフレーズが意味するところに近い。だが、知者は真に自由とされ、あらゆる道徳的腐敗は等しく悪徳であるという「過激倫理的な」ストア派の思想を含意しない[2]。

    ヘレニズム時代以降の古代ギリシア・ローマの時代においてはアカデメイア学派、逍遥学派、エピクロス派と並んで四大学派とされていた。創始以降、ストア派の思想は古代ギリシアやローマ帝国を通じて非常に流行し、マルクス・アウレリウス・アントニヌスをも信奉者として、哲学の異教的な性格をキリスト教の教義と調和しないものとしてユスティニアヌス1世が全ての学派を廃するまで続いた[4][5]。

    ストア派なる名は、ゼノンがアテナイのアゴラ北面の彩色柱廊(ストア・ポイキレ)で教授していたことにちなむ。

    多くの古代ギリシャの哲学者が、一神教と似た多神教的な一神教を信じていた[6]が、ストア派や影響を受けた中期・後期プラトン主義についても異教の一神教(pagan monotheism)として分類することがある[7]。
    ===wikiより

    >ストア派が関心を抱いていたのは、宇宙論的決定論と人間の自由意思との関係

    ここはおそらくですが、
    自分の意志でどうにかできうること、変えられることと、それが不可能なことを区分けして、自分には変えることのできないどうすることもできないことについては関知せずそっとしておく、
    というエピクテトスの思想と共通するものなのだろうと考えます。
    そうだとしたら、こうしたエピクテトスの言説はオリジナルなものというより、ストア派の言説からきているものと考えられるのかもしれません。

    >ヘレニズム時代以降の古代ギリシア・ローマの時代においてはアカデメイア学派、逍遥学派、エピクロス派と並んで四大学派とされていた。

    四大学派の一つとされていたのですね。
    この中で、エピクロス派しか名前を知らない。。。

    ほんの少しだけ調べておこう。
          ↓

    アカデメイア学派はプラトン哲学の系譜ならしい。
    逍遥学派はアリストテレス哲学を学んだ人たちの哲学。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
    エピクロス派についてはwikiを貼ります。
    興味深いところを下に引用します。

    ===
    エピクロスの生涯と学説について、3世紀のディオゲネス・ラエルティウスは歴史的根拠のない伝説を容認し、ストア派が行ったエピクロスの醜聞なるものの告発・攻撃を行なった[1]。そのため「快楽の存在」よりも「心の平安、苦痛がない状態」を賢者の目的としたはずのエピクロス哲学はいかがわしいうわさ話や伝説から選り分けなければならず、俗人には誤読されることになった。しかしディオゲネスはエピクロスをきちんと評価している。たとえば、・・・エピクロスその人も他の先行した哲学者に寛容ではなく、自己の教説を独裁的に弟子に押しつけたため、真のエピクロス派の影響は限られた。
    ===エピクロス派についてのwikiより引用

    ディオゲネス・ラエルティウスというのは3世紀の哲学史家で、犬儒派のディオゲネスとは別人です。
    一瞬、あのディオゲネスだと思ったのですが、3世紀ってことは名前が同じでも別人だよなー、と調べたらやはり別人でした。


    ストア派とエピクロス派の言説も実は似ているところがあるようなんです。

    それぞれ、ストイック、エピキュリアンの語源になっていたりするので真逆の思想だと世の中的には思われる傾向があるのだと思いますし、私もなんとなくとしては逆の方向性の思想だとばかり思ってたのですがどうもそうではないようです。


    ストア派の言説についても途中だけど、今日はここまでにします。
    また次回の投稿で続きをします。

    それから、読んでた本はどうにもわかりにくいので、読みやすいであろう人気のエピクテトスの本を読んでみることにしました。
    エピクテトスが何を言っていたのか、についてわかりやすく知りたいので。


    一つの投稿につき投稿した後に、新たに知った内容を追加編集して(例えるならノートに書き足していくような形で)最終的に一つの投稿を完成(?)させるスタイル、言い換えれば自分の勉強用に投稿を使用させていただいているスタイルでしているので、読む方にはまとまりがなくつまらない内容になってると思います。
    どうぞご容赦願います(;^_^A


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