| 2024/04/19(Fri) 15:34:34 編集(投稿者)
パソコンを久しぶりに開けたら動きがとても遅い。。。 なんとか開けました。
ストア派、自分なりの簡単なまとめを。
これまで触れていませんでしたが、ストア派の人々は占いを信じていたようです。 ストア派だけではなく逍遥派とあと忘れましたがなんだったかの派の人々も信じていたそうです。 現代の感覚では哲学と占いは相いれないものに感じるけれど、科学の発展していない古代には先々を予測するツールとして信用され重宝されていたのでしょう。
未来は今現在の時点で既に決まっている、のだとしたら、占いによって未来を知ることができるのならそしてそれが信用に値するものだと考えるなら、占いにより未来を知りたいとストア派の人々も考えたのかもしれません。
さて、ほんとうに未来は今の時点で既に決定しているのでしょうか。 占いというツールを用い未来を知り、その未来を変えようとすることも起きると思うのですが。 むしろそうするために占いを使用していたのかなぁ。。 それとも、占いの結果を神聖なものとして受け止め運命に逆らことはよしとはされなかったのでしょうか。
後者のあり方もストア派の考え方としてはあったのだろう、と思わせる文章があります。
=== 「もしも私が、宿命によっていま私が病気になるように決定されていると知ったなら、そうなることへの衝動をもちさえしただろう。」
(エピクテトスの『語録』に引用されたクリュシッポスの言葉、と注釈p14にあります。)
=== 『ストア派』ジャン=パティスト・グリナ 著 川本 愛 訳 p97より引用
「衝動をもちさえしただろう」とあり、定められた宿命に沿う生き方をすることが時に自分に不利益であろうともそれを受け入れることがストア派の人々にとって美徳ともいえたのかもしれません。
私はそうした衝動はもたないなぁ(;^_^A
「我々次第であるもの」と「我々次第ではないもの」とを分け、「我々次第ではないもの」については考えない、触れないというエピクテトスの考え方はとても参考になりました。
といったところでストア派、終わります。
|