□投稿者/ akaimi -(2024/03/19(Tue) 10:28:03)
| 時さん、おはようございます。 レスありがとうございます。
■No36856に返信(時さんの記事)
> https://todays-list.com/i/?q=/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%88%E3%82%B9%E3%80%8E%E8%AA%9E%E9%8C%B2%E3%80%8F/1/1/ > > 上記リンク先の「エピクテトス『語録』」というところに > > ・自由意志は盗人の手のとどかざる財宝なり。 > > とういう一文があるのですね。 > > このエピクテトス語録の中の「自由意志」が何を示しているのか?なのですね。。 > > No36837 >>それならば、運命においては何を行為しても無駄(宿命論)になるという事に帰結する議論が生じ、それに対してクリュシッポスにより、運命論によっても自由意志の存在は否定されず、両者は問題なく両立するとみなす立場(両立論)が主張されました。 > >>ここでは、例え運命論であっても自由意志の存在は否定されないと言う両立論が展開されました。そしてその内容は、人間の行為(ないし同意・意欲)の決定的な原因は、各人の性向(性質の上での傾向。気質)にある点に自由意志を担保しようとしたものでした。 > > と、私は論文に書かれていた内容について考察したのですが、だとすると、クリュシッポスの主張した両立論における、各人の性向にある点に自由意志を担保しようとしたという事になりそうなのですが、、はたしてストア派においてのエピクテトスの立ち位置で、この意味をもって「自由意志は盗人の手のとどかざる財宝なり。」という言葉を残したものなのかが私には分からなのですね。。 > > ストア派は、基本的には運命論で、しかし自由意志の存在をも担保するために両立論が主張されという・・・ > > 私の誤読かもしれませんので、これはこの辺で(笑)
『ストア派』ジャン=パティスト・グリナ 著 川本 愛 訳を昨日からぱらぱらと読んでみています。 全体の印象としてやはり難しい本です。 第二章に「ストア派の更新」としてエピクテトスについて書かれているので、そこから引用してみますね。
=== 彼によれば、私たち次第であるたった一つのものこそが、私たち自身の選択なのである。その結果、ブロアイレシスは私自身と同一のものであり、ゼウス自身ですらそれを強制することはできない。(一・一・二三) === 同書p121より引用
プロアイレシスというのは選択のこと。 文末の数字は『提要』中の番号のようです。
外的なことは「我々次第ではないもの」だけれど、選択は「我々次第であるもの」だとエピクテトスは考えていたのだろう、と私は現時点では捉えています。
> ・自由意志は盗人の手のとどかざる財宝なり。
同書p117によると、財産、名誉、身体、健康は選択の外にあるものとエピクテトスはしていたそうです。 外的なものは選択のための素材にすぎず、したがって善でも悪でもなく、伝統的な枠組みにおける無差別なものである。
貧しさは選択の外にあるもので、それは善でも悪でもなく無差別なものである。 私たち次第であるたった一つのものであるプロアイレシス(選択)次第で盗みをするかしないかは決められる。 このようにエピクテトスは考えるのじゃないかな、と想像します。
時さんが書いてくださったものによると、 >各人の性向(性質の上での傾向。気質)< が両立論としての自由意志に反映される、とするのが前期ストア派の立ち位置で、 エピクテトスは、各人の性向というよりどういう「選択」をするかがその人である、と考えたのかなと、そのように私は見ました。
といったところでまたぼちぼちと可能な範囲で最初から読んでいこうと思います。
|
|