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■36615 / inTopicNo.49)  戒名外道論
  
□投稿者/ パニチェ -(2024/02/23(Fri) 09:18:11)
    2024/02/23(Fri) 20:50:09 編集(投稿者)

    戒名のルーツは上座部仏教で悟った人、つまり阿羅漢(上座部仏教での最高の悟りを得た人という意)に与えられた法名である。

    仏教の土台となったバラモン教の時代には生産に直接従事しない司祭や王族や武士階級の人口が増えてしまい、生産者を確保する目的から、ブラーフマナ(司祭)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農・牧・商に従事する庶民)、シュードラ(先住民を主体とする奴隷)からなる四階級のヴァルナ(種姓)制度が成立した。

    一説によれば紀元前1500年頃、コーカサス地方から東進し、西北インドに侵攻したアーリア人の身分を子孫まで確固たるものにするため、カースト制度の土台となり、正当性の根拠ともなりえる輪廻転生説が唱えられたとも言われている。

    バラモン教では人生を四つの時期に分け、75歳からは最後の遊行期に入り、家や身分を捨て乞食(こつじき:托鉢して食を乞い受ける行)しながらこの世に対する執着を捨て死ぬ準備をする時期となる。

    これが出家の起源であり、釈尊が生きた時代には世俗での地位や立場を捨て、剃髪して法衣を着すればみな等しく沙門釈子(この出家者は釈迦の子どもという意)と呼ばれていた。

    「生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのではない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。(初期仏典『スッタニパータ』より)」

    上記の釈尊の教説からして仏教の根底には平等思想があり、釈尊自身が遊行期の遥か以前に王子の身分を捨て出家したこともあり、カースト制度上の生れによる社会的身分の差を認めていない(ジャイナ教徒や一部のヴェーダーンタ学派も人間の平等を唱え、カースト制度による身分倫理を否定した)。

    法名をルーツとした戒名は中国に伝わった後、受戒儀礼を受けて与える名として定着した。

    檀家制度が成立した日本では、仏式で葬儀を執り行う際に仏弟子になるという建前でもって寺の僧侶に戒名をつけてもらうのが慣例となっており、今では戒名に位を付けて高い身分ほど高値で売っている。

    これはもはや仏道ではなく外道(仏教以外の教えという意)だろう。
    こういう悪習を真正面から否定したり、批判する真っ当な坊主はこの国にはいないのか?

    「アナヴァタプタという泉からガンガー・シンドゥ・ヴァクシュ・シーターの四つの大河が海へと流れ出している。それらは海に流れ込むと、もとの名はなくなり、ただ海と呼ばれる。同様に、クシャトリヤ・バラモン・ヴァイシャ・シュードラの四つの身分があるが、釈尊のもとで出家し、教えを学ぶ者となれば、元の身分がなくなり、釈尊の弟子というだけになる。なぜなら、私(釈尊)と教え(法)によって生れた者だからである。(『増一阿含経』より)」


    少なくとも私は実社会では本名で生きて本名で死ぬ。

引用返信/返信 削除キー/
■36617 / inTopicNo.50)  Re[22]: 戒名外道論
□投稿者/ 時 -(2024/02/23(Fri) 13:16:03)
    パニチェさん、こんにちは。

    No36615に返信(パニチェさんの記事)

    > これはもはや仏教ではなく外道(仏教以外の教えという意)だろう。
    > こういう悪習を真正面から否定したり、批判する真っ当な坊主はこの国にはいないのか?

    多分ですが、そのような"真っ当な仏弟子"はおられないように思います。例えば、おられたとしても、それらを否定や批判はされないでしょう。

    なぜならば、自灯明法灯明の教えにより、仏陀の面前で〜を私は聞いたという話を誰かがしていた時には、他者(話をしていた誰か)の言う事を鵜呑みにせず、自らを拠り処にして(自燈明)賛同も歓喜もせず、非難もしないでその場を離れ、自らが法(現代ならば仏典)に照らして(法燈明)その内容の是非を知ればよいですよ。という意味合いの記載が原始にはあります。その上で、彼の言っていた事柄は、確かに仏陀の教えとしてある、それは仏陀の教えではないという事で確認しなさいよ。という事です。

    戒名料等で命をつなぐこと・・仏弟子(真っ当な坊主)ならば、行いません。

    ですので、その悪習を真正面から否定、批判する人物は、仏陀の教えを守ろうとする人の中にはおられないと思います。おられたとしても、少なくとも我々凡夫の見えるところには出てはこられないでしょう。

    時の個人的な想いとしては、大きな、小さなお寺に住んで車を所有し、家族を持ち、檀家からそれを布施と称して金品を受け取りつつ、命を長らえているのは・・本来的には仏陀が説いた事柄とは真逆の生活に思えます。邪命です。邪命(邪な暮らしによって生活を営む)を捨断し、八支聖道の正命(邪な暮らしを捨て、正しい暮らしによって生活を営む事)を具足するために励むのが、八支聖道の正精進だからです。

    この事柄も批判になる可能性がありますので、本来的に書く必要は無いのかもしれませんが。

    仏典を読めば読むほどに、偏った見解が消えてゆき、それに伴い議論はもとより論争なども起こり得なくなるのが実感できます。そして一般的に言われる孤独の世界に埋没していきますが、そこに仏陀の説いた”楽”があるように感じています。所謂、一般的な楽を超えた楽の世界です。そこが四禅定の始まりの処、初禅の境地だと感じています。

    そしてまた仏陀の言葉が心(意・識・想)に浮かびます。「あなた方が行うべきは2つです。聖なる沈黙か、法の話です」と。

    ここも時の個人的な想いですが、現在、仏陀は不在ですので出家はできません。あくまでも在家の立場での学びです。しかし仏典内でのほとんどが出家者に向けたものですので、、、当時の出家者に向けた多くの仏典内での言葉を、現代日本の在家として、どこをどのように解釈実践していくのか?という整合性のとり方を今までは考えていました。言い換えますと、日本の在家にありながらどれだけ当時の出家者の境地に近づけるか?ですね。

    > 少なくとも私は実社会では本名で生きて本名で死ぬ。

    パニチェさんらしい表現ですね。
引用返信/返信 削除キー/
■36618 / inTopicNo.51)  Re[23]: 戒名外道論
□投稿者/ パニチェ -(2024/02/23(Fri) 16:35:24)
    2024/02/23(Fri) 17:16:19 編集(投稿者)

    こんにちは、時さん。レスありがとうございます。

    No36617に返信(時さんの記事)

    >>これはもはや仏道ではなく外道(仏教以外の教えという意)だろう。
    >>こういう悪習を真正面から否定したり、批判する真っ当な坊主はこの国にはいないのか?

    > 多分ですが、そのような"真っ当な仏弟子"はおられないように思います。例えば、おられたとしても、それらを否定や批判はされないでしょう。
    > なぜならば、自灯明法灯明の教えにより、仏陀の面前で〜を私は聞いたという話を誰かがしていた時には、他者(話をしていた誰か)の言う事を鵜呑みにせず、自らを拠り処にして(自燈明)賛同も歓喜もせず、非難もしないでその場を離れ、自らが法(現代ならば仏典)に照らして(法燈明)その内容の是非を知ればよいですよ。という意味合いの記載が原始にはあります。その上で、彼の言っていた事柄は、確かに仏陀の教えとしてある、それは仏陀の教えではないという事で確認しなさいよ。という事です。

    自洲・法洲(自灯明・法灯明)や十四無記の教えに沿って、無用な論争は避けるということですね。

    > 戒名料等で命をつなぐこと・・仏弟子(真っ当な坊主)ならば、行いません。

    > ですので、その悪習を真正面から否定、批判する人物は、仏陀の教えを守ろうとする人の中にはおられないと思います。おられたとしても、少なくとも我々凡夫の見えるところには出てはこられないでしょう。
    > 時の個人的な想いとしては、大きな、小さなお寺に住んで車を所有し、家族を持ち、檀家からそれを布施と称して金品を受け取りつつ、命を長らえているのは・・本来的には仏陀が説いた事柄とは真逆の生活に思えます。邪命です。邪命(邪な暮らしによって生活を営む)を捨断し、八支聖道の正命(邪な暮らしを捨て、正しい暮らしによって生活を営む事)を具足するために励むのが、八支聖道の正精進だからです。
    > この事柄も批判になる可能性がありますので、本来的に書く必要は無いのかもしれませんが。

    深いですね。
    基本的には同意ですが、その一方で少しでも仏教を本来のあるべき姿に戻すためにも、時さんのように誰かがどこかで発言すべきだとは思います。釈尊の教えを知らず僧侶も檀家も無明に囚われていますからね。

    > 仏典を読めば読むほどに、偏った見解が消えてゆき、それに伴い議論はもとより論争なども起こり得なくなるのが実感できます。そして一般的に言われる孤独の世界に埋没していきますが、そこに仏陀の説いた”楽”があるように感じています。所謂、一般的な楽を超えた楽の世界です。そこが四禅定の始まりの処、初禅の境地だと感じています。

    仰る通りだと思います。

    「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねに人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。(中村元訳『スッタニパータ40』より)」

    「のがれよ、わが友よ、きみの孤独の中へ、そしてかしこへ、或る荒々しい強い風の吹くところへ!ハエたたきとなることは、きみの運命ではないのだ。(ニーチェ著『ツァラトゥストラ 市場のハエどもについて』より)」

    ニーチェもスッタニパータを読んでいるので、上記の市場のハエが寄り付けない孤独という強風の地へ逃れよというのは、まさしく犀の角の教説に倣っているのだと思います。

    > そしてまた仏陀の言葉が心(意・識・想)に浮かびます。「あなた方が行うべきは2つです。聖なる沈黙か、法の話です」と。
    > ここも時の個人的な想いですが、現在、仏陀は不在ですので出家はできません。あくまでも在家の立場での学びです。しかし仏典内でのほとんどが出家者に向けたものですので、、、当時の出家者に向けた多くの仏典内での言葉を、現代日本の在家として、どこをどのように解釈実践していくのか?という整合性のとり方を今までは考えていました。言い換えますと、日本の在家にありながらどれだけ当時の出家者の境地に近づけるか?ですね。

    確かに。私はまだまだ未熟で実践にはほど遠いですが。。。(;^_^

    >>少なくとも私は実社会では本名で生きて本名で死ぬ。
    > パニチェさんらしい表現ですね。

    ありがとうございます。

引用返信/返信 削除キー/
■36620 / inTopicNo.52)  Re[24]: 戒名外道論
□投稿者/ 時 -(2024/02/23(Fri) 19:38:09)
    2024/02/24(Sat) 04:24:12 編集(投稿者)
    2024/02/23(Fri) 19:49:38 編集(投稿者)

    パニチェさんへ。こんばんは。返信をありがとうございます。

    No36618に返信(パニチェさんの記事)

    > 自洲・法洲(自灯明・法灯明)や十四無記の教えに沿って、無用な論争は避けるということですね。

    はい、そうですね。無用な論争を避けるというよりは、無用な論争にはならないという事でしょうか。原始の中に記載がある内容が理解できるのであれば、誰とも論争にはなりえませんかね。

    >>ですので、その悪習を真正面から否定、批判する人物は、仏陀の教えを守ろうとする人の中にはおられないと思います。おられたとしても、少なくとも我々凡夫の見えるところには出てはこられないでしょう。
    >>時の個人的な想いとしては、大きな、小さなお寺に住んで車を所有し、家族を持ち、檀家からそれを布施と称して金品を受け取りつつ、命を長らえているのは・・本来的には仏陀が説いた事柄とは真逆の生活に思えます。邪命です。邪命(邪な暮らしによって生活を営む)を捨断し、八支聖道の正命(邪な暮らしを捨て、正しい暮らしによって生活を営む事)を具足するために励むのが、八支聖道の正精進だからです。
    >>この事柄も批判になる可能性がありますので、本来的に書く必要は無いのかもしれませんが。

    > 深いですね。
    > 基本的には同意ですが、その一方で少しでも仏教を本来のあるべき姿に戻すためにも、時さんのように誰かがどこかで発言すべきだとは思います。釈尊の教えを知らず僧侶も檀家も無明に囚われていますからね。

    うーん、現代日本で、本来の仏教の世界観に戻るのでしょうか。。もしもそれを行うのであれば、本来の仏教への自らの見解を持ち、それを主張して、お相手の理解がありという事が必要になるように思います。しかしそれら(日本の仏教)を今まで守ってきたつもりの僧侶や檀家の皆さんが、理解できるとは思えませんかね。そこでむきになっての持論の展開、僧侶であるというマウントやそれに対する固執からの論争となり、本来の教え自体が損なわれるように思いますが。。。原始の中にも、他者が他者を清浄にできませんという内容のものもありますので、、あくまでも個人の課題だろうと思います。(ダンマパダ165)

    そして、無明とは、四聖諦を知らないことという原始の中の定義でいうのであれば、一番大きな括りでの表題となりますので「四聖諦を知ること」と文字で書くのは簡単なのですが、四聖諦の下には多くの教えがツリー状にぶら下がります。原始の中で、四聖諦は動物の中で一番大きな象の足跡のようで、全ての教えがその中に入っていると比喩されるものですので。

    ・・時個人の現時点での判断は、個々人の機根(理解する度量・器・性格)に基づいて、気づく人は気づき、学ぶ人は学び、解脱する人は解脱すると言う”自覚なき運命”の糸のようなものに導かれているのではないかと感じます。そのような中で、時個人としてできうるのは・・こうして掲示板等の場所をお借りして時々書き込み、その学びの切っ掛けとなる書き込みを行う事だけでしょうか。それを目にした人の中で、個々人の中で何がしかの興味が湧けば、見てみようとする人は見るでしょうし、スルーする人はスルーするしと言った感じです。というわけで、今まで仏教を飯の種としてきた日本の僧侶たちが、門外漢であろう時ごときのお話に耳を傾けるとは思えません。

    ですので、掲示板等で時個人は原始の内容を教えることができませんし、教える立場にも立てないのですね。例えば、教えることができたと仮定しても、それは教えられた人からすると他者(時)からのお話の内容で、その時点ではその人にとっての法灯明ではありません。いくら他者から学んだとしても、最終的には自らを拠り処として現代に残る仏典を基準に自らの感性で理解するほかはないのではないでしょうか。それが自灯明法灯明の理解だと思っています。

    つまりは、時個人ができることというのは、その切っ掛けを作ることが精一杯だと感じますが、パニチェさんは、時のこの思いについてどのようにお考えになられるでしょうか。

    > ニーチェもスッタニパータを読んでいるので、上記の市場のハエが寄り付けない孤独という強風の地へ逃れよというのは、まさしく犀の角の教説に倣っているのだと思います。

    なるほどと納得できますね。市場のハエのお話を拝見した時に、妙にその世界観が似ているなぁと感じていました。

    > 確かに。私はまだまだ未熟で実践にはほど遠いですが。。。(;^_^

    時個人の理想形ではないかもしれませんが、なにがしかの刺激という環境の形成はできたのかな?というのが率直な感想です^^ 後はパニチェさんご自身の機根にお任せとし、自覚なき運命の糸が、どこに、どのように伸びていくのかだけですね。時個人は、それに関して何も関与できませんので。
引用返信/返信 削除キー/
■36627 / inTopicNo.53)  Re[25]: 戒名外道論
□投稿者/ パニチェ -(2024/02/24(Sat) 08:46:06)
    2024/02/24(Sat) 09:10:56 編集(投稿者)

    おはようございます、時さん。レスありがとうございます。

    No36620に返信(時さんの記事)

    > ・・時個人の現時点での判断は、個々人の機根(理解する度量・器・性格)に基づいて、気づく人は気づき、学ぶ人は学び、解脱する人は解脱すると言う”自覚なき運命”の糸のようなものに導かれているのではないかと感じます。そのような中で、時個人としてできうるのは・・こうして掲示板等の場所をお借りして時々書き込み、その学びの切っ掛けとなる書き込みを行う事だけでしょうか。それを目にした人の中で、個々人の中で何がしかの興味が湧けば、見てみようとする人は見るでしょうし、スルーする人はスルーするしと言った感じです。というわけで、今まで仏教を飯の種としてきた日本の僧侶たちが、門外漢であろう時ごときのお話に耳を傾けるとは思えません。

    > ですので、掲示板等で時個人は原始の内容を教えることができませんし、教える立場にも立てないのですね。例えば、教えることができたと仮定しても、それは教えられた人からすると他者(時)からのお話の内容で、その時点ではその人にとっての法灯明ではありません。いくら他者から学んだとしても、最終的には自らを拠り処として現代に残る仏典を基準に自らの感性で理解するほかはないのではないでしょうか。それが自灯明法灯明の理解だと思っています。

    > つまりは、時個人ができることというのは、その切っ掛けを作ることが精一杯だと感じますが、パニチェさんは、時のこの思いについてどのようにお考えになられるでしょうか。

    以下、私の意見をつらつらと書いてみますが興味のないところはスルーして下さい。

    結論から言えば上記の時さんのお考え、葬式・法事仏教を生業としている大半の日本の僧侶たちが異論・反論に対して耳を傾けるとは思いませんし、無用な論争へと発展する可能性もあるとは思います。よって最終的には僧侶や檀家も含め当人の機根によって縁があれば本来の仏道を知ることになるだろうし、問題提起する側も時さんが言うように本来の仏教へのそれなりの知識と見解が必要だとは思います。切っ掛けをつくることが精一杯というのも、現実的にはそうなんでしょうね。

    一方で私は大乗運動が生じた意義や価値も認める立場です。
    ご存じだとは思いますが、人里離れたところで自身の悟りや解脱に集中し修行や学究を主とした上座部仏教(小乗仏教)への反動として、自身の悟りや解脱よりも釈尊が行ったように民衆に向けて釈尊の教えや仏道を説くことを菩薩行とし重視すべきではないかという見解と運動が釈尊の遺骨をおさめた塔(ストゥーバ)を礼拝対象とし、この仏塔を守っていた在家信者を中心に生じました(この文章は大乗側からみた小乗という見解が主となっていますが)。

    上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えており、例え一人でも本来の仏道を知る切っ掛けになればそこから優秀な人が出てくる可能性もゼロではなく(日本人の無意識的な仏教的精神、排他的ではない和の心や他者を思いやる利他的発想も持ち合わせていることから)いつかは大きな流れとなり本来の仏教哲学が日本人的な思想として根付いてくるのではないかという期待もあります。

    大袈裟に言えば私は仏教哲学(融和的精神と利他の心)こそ世界平和への唯一の教義(道しるべ)だと考えています。

    私はニーチェファンでもあるのでツァラトゥストラでも描かれている山を下りて民衆の元へ向かう(ツァラトゥストラは“没落”と呼びます)ことの意義や価値も(例え無駄な努力であったとしても)認めています。

    『──そして或る朝、彼は曙光とともに起きて、太陽の前に歩み寄り、太陽に向かって次のように語った。「おまえ、大いなる天体よ!もしおまえが、照らしてやる者たちを持たなかったら、お前の幸福はどうなることであろう!十年間おまえはここへわたしの洞窟に向かって昇ってきた。わたしとわたしのワシとわたしのヘビとがいなかったら、おまえはおまえの光とおまえの道とに飽き果てたことであろう。だが、わたしたちは毎朝おまえを待ち、おまえからおまえの過剰を奪い取り、その代わりにおまえを祝福した。見よ!蜜をあまりに多く集めすぎたミツバチのように、わたしは自分の知恵に飽き果てている。わたしは差し出される手を必要とする。私は贈与し分与したい、人間たちのなかの賢者たちが、いま一度その愚かさを、そして貧しい者たちが、いま一度その豊かさを、喜ぶようになるまで。そのために、わたしは深みに降りて行かなくてはならない、おまえが夕方、海の背後に沈み行き、なお下界に光をもたらすとき、するように。おまえ、溢れるほど豊かな天体よ!わたしは人間たちのところへ下って行こうとするのだが、この人間たちの呼び方によれば、わたしは、おまえと同じように、没落しなくてはならない。」(ツァラトゥストラ 序説1-1)』

    物語の最初と最後が同じ場面となっており(永劫回帰を象徴する)、この曙光を音楽であらわしたのが有名なリヒャルト・シュトラウスの交響曲(交響詩)『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭部です。
    https://www.youtube.com/watch?v=91173MqgohI


    > 時個人の理想形ではないかもしれませんが、なにがしかの刺激という環境の形成はできたのかな?というのが率直な感想です^^ 後はパニチェさんご自身の機根にお任せとし、自覚なき運命の糸が、どこに、どのように伸びていくのかだけですね。時個人は、それに関して何も関与できませんので。

    ありがとうございます。

引用返信/返信 削除キー/
■36631 / inTopicNo.54)  Re[26]: 戒名外道論
□投稿者/ 時 -(2024/02/24(Sat) 13:25:55)
    2024/02/24(Sat) 13:44:43 編集(投稿者)

    パニチェさんへ。こんにちは。ご丁寧な返信をありがとうございます。

    No36627に返信(パニチェさんの記事)

    >>つまりは、時個人ができることというのは、その切っ掛けを作ることが精一杯だと感じますが、パニチェさんは、時のこの思いについてどのようにお考えになられるでしょうか。

    > 以下、私の意見をつらつらと書いてみますが興味のないところはスルーして下さい。

    了解しました。

    > 結論から言えば上記の時さんのお考え、葬式・法事仏教を生業としている大半の日本の僧侶たちが異論・反論に対して耳を傾けるとは思いませんし、無用な論争へと発展する可能性もあるとは思います。よって最終的には僧侶や檀家も含め当人の機根によって縁があれば本来の仏道を知ることになるだろうし、問題提起する側も時さんが言うように本来の仏教へのそれなりの知識と見解が必要だとは思います。切っ掛けをつくることが精一杯というのも、現実的にはそうなんでしょうね。

    ご理解いただきありがとうございます。

    > 一方で私は大乗運動が生じた意義や価値も認める立場です。

    パニチェさんのご認識は了解しました。

    > ご存じだとは思いますが、人里離れたところで自身の悟りや解脱に集中し修行や学究を主とした上座部仏教(小乗仏教)への反動として、自身の悟りや解脱よりも釈尊が行ったように民衆に向けて釈尊の教えや仏道を説くことを菩薩行とし重視すべきではないかという見解と運動が釈尊の遺骨をおさめた塔(ストゥーバ)を礼拝対象とし、この仏塔を守っていた在家信者を中心に生じました(この文章は大乗側からみた小乗という見解が主となっていますが)。

    時自身の現在での思いは、もともとが仏陀ありきでの教えであり、仏陀自身は文字で何も書き残してはいません。恐らくその理由は簡単で、それ(教え)に対して固執がないとき、書き記すという事(行為)が起こるでしょうか?という事だと思います。答えは否でしょう。

    半面、仏典という書き記されたものがあったので、現代でもそれを日本語訳として我々でも目にすることができるというのも事実だと思います。

    仮に当時、教えを受けた人々全員が阿羅漢果クラスになっていたとするならば、書き記すものは何もなかったのだと思いますが、必然的に、まだ学びの途中の弟子たちが多くいて、忘れなうちにと書き記したという事だと思っています。つまり、当時、修業中でありまだ固執があった比丘たちがいたお陰で現在にまで伝わる仏典軍が残っていると想像しています。表現が適切かはわかりませんが、怪我の功名でしょうか。

    その仏典軍の中には、当時の仏陀の言葉や論理、行為が多く記載されていますので、結果的に、時個人の知りたいことが記載されているのですね。自灯明法灯明と言うことで、仏陀ではない時には、それで十二分だと感じています。

    仏陀の死後、部派だ大乗だ小乗だと分岐してきた事は、その当時の弟子たち夫々の解釈によるものだと考えていますので、時にとっては無関係なことだと認識しています。

    仮に、、、当時の大乗だ小乗だと分岐する時のその場に、今現在の仏典内容の解釈をしている時が存在していたとするならば(時代背景が矛盾しますが)、、現在の解釈を持って、どこにも属さないのではないかと思います。あくまでも学びは個人の学びで、自灯明法灯明だと考えるからです。

    > 上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えており、

    中道とは、実在論と虚無論の2種類の誤見にこの世の人々の多くが固執するようなことは避けて(二元での価値判断基準を避けて)、物事の両極端に近づかないという意味の記載があります。それを学ぶのも八支聖道です。

    ですので、パニチェさんの解釈される、上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えておられという内容は、勿論了解しますが、時個人は、中道をこのような捉え方はしないと思います。

    > 例え一人でも本来の仏道を知る切っ掛けになればそこから優秀な人が出てくる可能性もゼロではなく(日本人の無意識的な仏教的精神、排他的ではない和の心や他者を思いやる利他的発想も持ち合わせていることから)いつかは大きな流れとなり本来の仏教哲学が日本人的な思想として根付いてくるのではないかという期待もあります。

    はい、そうですね。それらへの期待もほんの少しはありますが、、それらも含めて、時個人は運命にお任せし、今まで通りその運命を受けいれると思います。

    > 大袈裟に言えば私は仏教哲学(融和的精神と利他の心)こそ世界平和への唯一の教義(道しるべ)だと考えています。

    これは仏教哲学とは言わずとも、古来から受け継がれてる日本文化の精神、おもてなしの文化、配慮や思いやりの心を、日本人が取り戻せれば良いように時個人は思っています。

    > 私はニーチェファンでもあるのでツァラトゥストラでも描かれている山を下りて民衆の元へ向かう(ツァラトゥストラは“没落”と呼びます)ことの意義や価値も(例え無駄な努力であったとしても)認めています。

    はい。パニチェさんのご認識は了解しました。

    > 『──そして或る朝、彼は曙光とともに起きて、太陽の前に歩み寄り、太陽に向かって次のように語った。「おまえ、大いなる天体よ!もしおまえが、照らしてやる者たちを持たなかったら、お前の幸福はどうなることであろう!十年間おまえはここへわたしの洞窟に向かって昇ってきた。わたしとわたしのワシとわたしのヘビとがいなかったら、おまえはおまえの光とおまえの道とに飽き果てたことであろう。だが、わたしたちは毎朝おまえを待ち、おまえからおまえの過剰を奪い取り、その代わりにおまえを祝福した。見よ!蜜をあまりに多く集めすぎたミツバチのように、わたしは自分の知恵に飽き果てている。わたしは差し出される手を必要とする。私は贈与し分与したい、人間たちのなかの賢者たちが、いま一度その愚かさを、そして貧しい者たちが、いま一度その豊かさを、喜ぶようになるまで。そのために、わたしは深みに降りて行かなくてはならない、おまえが夕方、海の背後に沈み行き、なお下界に光をもたらすとき、するように。おまえ、溢れるほど豊かな天体よ!わたしは人間たちのところへ下って行こうとするのだが、この人間たちの呼び方によれば、わたしは、おまえと同じように、没落しなくてはならない。」(ツァラトゥストラ 序説1-1)』

    ありがとうございます。

    > 物語の最初と最後が同じ場面となっており(永劫回帰を象徴する)、この曙光を音楽であらわしたのが有名なリヒャルト・シュトラウスの交響曲(交響詩)『ツァラトゥストラはかく語りき』の冒頭部です。
    > https://www.youtube.com/watch?v=91173MqgohI

    この曲の名前は知りませんでしたが、よく耳にする音楽ですね^^

    全く詳しくはないのですが、ここで永遠回帰という概念について少し考えてみました。

    永劫回帰を、あらゆる出来事が今までと同じ順番で、永遠に繰り返し起こるような世界と仮定してみます。

    問いは、そのあなたの人生を肯定できますか?とします。

    答えは、Yesです。

    理由は、時の人生哲学で、全く同じという概念は存在しませんが、仮に存在するとしてという事を考えてみました。そこで、今現在では、前世の記憶は想像の中にありますが、確定的な事が言えないのが現状です。ですので、永遠回帰の思想では、同じことの繰り返しですね。つまりは、来世に、また、来来世にも同じことが起こるのであれば、今を観れば来るべき来世のその時(瞬間)と同じです。

    仏教の輪廻転生思想とは似て非なるもののように感じますが、原始には、危難がないなら厭離しないという表現があります。

    危難(苦しみ・患い・災難)がこの世間にないのであれば、人々は、厭離(それを嫌って離れること)を望みませんと言う意味ですが、その為に梵行が実行され、時個人はそれ(厭離)を目指しました。

    永遠回帰のお話に戻すと、自らの苦しみや災いを滅しつつの現在の環境が、もう一度来世にも起こるのであれば現世と同じことになり、現在、前世の記憶がはっきりとしていないという事は、来世でも同じことですね。

    つまり、永遠回帰の問いは、現在、今の現状である今現在の人生を肯定できますか?と言う問いだと思いましたので、答えはYesになりました。
引用返信/返信 削除キー/
■36635 / inTopicNo.55)  Re[27]: 戒名外道論
□投稿者/ pipit -(2024/02/24(Sat) 18:29:50)
    パニチェさん、時さん、こんばんは(^○^)

    横レス失礼します。

    pipitには何が事実かはわかりませんけど、パーリ経典を伝えてきたグループ内での伝承を本などで読んだのでお伝えします。(記憶違いしてたらすみません。もし元になった各文章を読みたいときは当該箇所を探してみますのでおっしゃってください)

    お釈迦さまが亡くなられた時、ある一人の弟子の、「あーうるさく言う人がいなくなったーこれから好きなことできるぞー」みたいな発言を聞いたマハーカッサパ長老(阿羅漢)が、こりゃいかん、教えをまとめるぞー、と、阿羅漢ばかりのメンバー限定で教えの編集を行ったそうです。(第一結集)

    当時のインドは口伝文化だったので、各グループが経典を担当分けして伝承していたのですが、ある時飢饉や戦争などで比丘の数がすごく減ってしまって、初めて葉っぱに書写して文字化して伝えようと決意されたそうです。(第四結集)

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E9%9B%86


    この話を聞いてpipitが思うのは、第一結集での阿羅漢のお坊様たちの利他の行いです。
    お釈迦さまもそうですよね、利他行されて説法されました。

    大乗仏教も元来はすごく優しい心から生まれたものだとpipitは思っています。
    (でも戒名で大金を要求するとかは仏教として変だ、と思います。)

    伝言ゲームのように変質を免れるものはなにもなく、生じたものは滅していくのかなとも思います。

    それぞれ少しでもいい方向に進むといいですね!

引用返信/返信 削除キー/
■36638 / inTopicNo.56)  Re[28]: 戒名外道論
□投稿者/ 時 -(2024/02/24(Sat) 20:04:44)
    pipitさんへ。こんばんは。ご返信並びに貴重な情報をありがとうございます。

    No36635に返信(pipitさんの記事)

    > お釈迦さまが亡くなられた時、ある一人の弟子の、「あーうるさく言う人がいなくなったーこれから好きなことできるぞー」みたいな発言を聞いたマハーカッサパ長老(阿羅漢)が、こりゃいかん、教えをまとめるぞー、と、阿羅漢ばかりのメンバー限定で教えの編集を行ったそうです。(第一結集)

    ん?このお話は、どこかで見たように思うなぁという事で探してみたところ、前段の「あーうるさく言う人がいなくなったーこれから好きなことできるぞー」みたいな発言というのは、長部16経の大般涅槃経に記載があるようです。が、後段の「こりゃいかん、教えをまとめるぞー」的なマハーカッサパの発言らしきものが、実際にはあるのかもしれませんが、現時点では見つかっていません。でも多分、この辺りがpipitさんが仰る第一結集の切っ掛けとなるのでしょうね。

    > 当時のインドは口伝文化だったので、各グループが経典を担当分けして伝承していたのですが、ある時飢饉や戦争などで比丘の数がすごく減ってしまって、初めて葉っぱに書写して文字化して伝えようと決意されたそうです。(第四結集)

    > https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E9%9B%86

    貴重な情報をありがとうございます。m(__)m

    > この話を聞いてpipitが思うのは、第一結集での阿羅漢のお坊様たちの利他の行いです。
    > お釈迦さまもそうですよね、利他行されて説法されました。

    > 大乗仏教も元来はすごく優しい心から生まれたものだとpipitは思っています。
    > (でも戒名で大金を要求するとかは仏教として変だ、と思います。)

    そうですね。時の仏典内容から受ける印象でも、憐憫の情で仏陀は説いていたようですので、利他での行為ですね。

    時は、仏典以外の歴史的事実(と思われる)事柄については詳しくなく、どちらかといえば、基本的に分からないというのが本音であり、スタンスなのですね。

    歴史的には、仏陀の没後に大乗や小乗等に分かれていったのでしょう。しかしこれは、、仏教の歴史辞典的な学者になろうとは考えていない、現代日本で生活している時には無関係な事なのですね。。。時にとって重要なことは、その仏典内容のみでしょうか。ですので、それ以外の事柄につきましては、ほぼ無知なのです(笑)どこかでも書いたかもしれませんが、仏陀は何を説いていたのか?だけが時にとっての重要項目であり、果たしてそれが実践可能なのか?が重要なのです。

    仏陀が存命中には分裂しなかった僧伽が、その没後に分裂したという事のみ、知っていることなのですね。そして時に巷で聞く様な利他の大乗、利己の小乗と時は分けられないのです。(一般的に言われていることは承知していますが)上手く伝わるでしょうか。

    貴重な情報をありがとうございました。
引用返信/返信 削除キー/
■36641 / inTopicNo.57)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/24(Sat) 21:56:42)
    2024/02/24(Sat) 21:57:28 編集(投稿者)

    兄上さま、返信ありがとうございます!

    No36638
    > ん?このお話は、どこかで見たように思うなぁという事で探してみたところ、前段の「あーうるさく言う人がいなくなったーこれから好きなことできるぞー」みたいな発言というのは、長部16経の大般涅槃経に記載があるようです。が、後段の「こりゃいかん、教えをまとめるぞー」的なマハーカッサパの発言らしきものが、実際にはあるのかもしれませんが、現時点では見つかっていません。でも多分、この辺りがpipitさんが仰る第一結集の切っ掛けとなるのでしょうね。<

    【律蔵】の けん度(けんど)・小品(しょうほん)・「五百結集けん度 」にあるようです。
    wiki↓

    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%8D%E5%BA%A6

    ↓英訳を見つけました(*_*)

    https://suttacentral.net/pli-tv-kd21/en/brahmali?lang=en&layout=plain&reference=none&notes=asterisk&highlight=false&script=latin

    『Then Venerable Mahakassapa addressed the monks:
    (マハーカッサパ尊者は修行僧たちに語りかけました)』

    と始まり、途中でスバッダさんの発言が取り上げられて、直後に、

    『英訳略
    (それでは、教えと律を合誦(ごうじゅ)しましょうー教えに反するものが光り輝き、教えが妨げられる前に)』

    などと宣言され、その後500人を任命して雨季のラージャガハで結集されたようです。

    > 時は、仏典以外の歴史的事実(と思われる)事柄については詳しくなく、どちらかといえば、基本的に分からないというのが本音であり、スタンスなのですね。
    >
    > 歴史的には、仏陀の没後に大乗や小乗等に分かれていったのでしょう。しかしこれは、、仏教の歴史辞典的な学者になろうとは考えていない、現代日本で生活している時には無関係な事なのですね。。。時にとって重要なことは、その仏典内容のみでしょうか。ですので、それ以外の事柄につきましては、ほぼ無知なのです(笑)どこかでも書いたかもしれませんが、仏陀は何を説いていたのか?だけが時にとっての重要項目であり、果たしてそれが実践可能なのか?が重要なのです。
    >
    > 仏陀が存命中には分裂しなかった僧伽が、その没後に分裂したという事のみ、知っていることなのですね。そして時に巷で聞く様な利他の大乗、利己の小乗と時は分けられないのです。(一般的に言われていることは承知していますが)上手く伝わるでしょうか。<

    はい、私が不出来なのでわかってないと思うのですが、兄上のおっしゃりたいことが私に理解できたらいいなーと思っています(^ ^)

    兄上さま、私、釈尊が阿羅漢にこの教えを伝えるために遊行しなさい、とおっしゃった経典を今回探しているのですがまだ見つけられないのですがご存知でしょうか
    (*_*)?
    岩波文庫にあったと思ってパラパラ探してるんですけど、なくて、、、あれー?

    でももしあったとしてもこれはきちんと悟った阿羅漢に向けてですもんね

    まず自分が精進しなくちゃと思ってますp(^_^)q←怠け者

    横レスしてすみませんでしたm(_ _)m
    いつもありがとうございます!

引用返信/返信 削除キー/
■36643 / inTopicNo.58)  pipitさんへ
□投稿者/ 時 -(2024/02/25(Sun) 00:20:41)
    pipitさんへ。こんばんは。返信をありがとうございます。

    No36641に返信(pipitさんの記事)

    > 【律蔵】の けん度(けんど)・小品(しょうほん)・「五百結集けん度 」にあるようです。

    ありがとうございます。律蔵でしたか。僧伽内での規則集ですかね。経典で手いっぱいで、律蔵は見たことがありませんでした。(リンク先も拝見しました)

    > 兄上さま、私、釈尊が阿羅漢にこの教えを伝えるために遊行しなさい、とおっしゃった経典を今回探しているのですがまだ見つけられないのですがご存知でしょうか
    > (*_*)?

    ある粗暴な人々の住む地方に遊行に出たいと仏陀に申し出て、了解されたものならば、

    ・中部経典145経のブンナ教誡経(中部経典 後分五十篇 六処品 145 プンナ教誡経)
    ・相応部経典 4-35-88 (相応部 六処篇 六処相応 チャンナ品 プンナ経) 

    でしょうか。それ以外だと・・すみません。今は分かりません。 m(__)m

    > 横レスしてすみませんでしたm(_ _)m
    > いつもありがとうございます!

    いえいえ、こちらこそいつもお付き合いをありがとうございます。横レスはいつでもご自由にどうぞ。^^

    しかし時の書き込みをあらためてみると、、、日本語で書いてはいるのですが、まるで外国語の文章ようですね(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■36645 / inTopicNo.59)  時さんへ
□投稿者/ pipit -(2024/02/25(Sun) 00:29:49)
    こんばんは!返信ありがとうございます♪

    No36643
    > ある粗暴な人々の住む地方に遊行に出たいと仏陀に申し出て、了解されたものならば、
    >
    > ・中部経典145経のブンナ教誡経(中部経典 後分五十篇 六処品 145 プンナ教誡経)
    > ・相応部経典 4-35-88 (相応部 六処篇 六処相応 チャンナ品 プンナ経) <


    わーい、また光明寺さまのホームページなどで読ませていただきますね!
    ありがとうございます(*^◯^*)
    感謝ですm(_ _)m
引用返信/返信 削除キー/
■36647 / inTopicNo.60)  Re[27]: 戒名外道論
□投稿者/ パニチェ -(2024/02/25(Sun) 09:24:39)
    おはようございます、時さん。レスありがとうございます。

    No36631に返信(時さんの記事)
    >>一方で私は大乗運動が生じた意義や価値も認める立場です。

    > パニチェさんのご認識は了解しました。

    >>ご存じだとは思いますが、人里離れたところで自身の悟りや解脱に集中し修行や学究を主とした上座部仏教(小乗仏教)への反動として、自身の悟りや解脱よりも釈尊が行ったように民衆に向けて釈尊の教えや仏道を説くことを菩薩行とし重視すべきではないかという見解と運動が釈尊の遺骨をおさめた塔(ストゥーバ)を礼拝対象とし、この仏塔を守っていた在家信者を中心に生じました(この文章は大乗側からみた小乗という見解が主となっていますが)。

    > 時自身の現在での思いは、もともとが仏陀ありきでの教えであり、仏陀自身は文字で何も書き残してはいません。恐らくその理由は簡単で、それ(教え)に対して固執がないとき、書き記すという事(行為)が起こるでしょうか?という事だと思います。答えは否でしょう。

    同意しますが、他の理由としては当時の慣習として文字は商業用として使われていたとか、文字に残すことよりも、今、目の前にいる人たちの苦を軽減させるための説法(活動)を優先したとかいろいろとあるとは思います。

    あと、結集が口伝中心で行われたのは釈尊の尊い教えは自らの身につけるべきもので、忘れないために書きとめるということからして、書きとめる行為自体が教えを身から離すことになると考えられていたようです。

    > 半面、仏典という書き記されたものがあったので、現代でもそれを日本語訳として我々でも目にすることができるというのも事実だと思います。
    > 仮に当時、教えを受けた人々全員が阿羅漢果クラスになっていたとするならば、書き記すものは何もなかったのだと思いますが、必然的に、まだ学びの途中の弟子たちが多くいて、忘れなうちにと書き記したという事だと思っています。つまり、当時、修業中でありまだ固執があった比丘たちがいたお陰で現在にまで伝わる仏典軍が残っていると想像しています。表現が適切かはわかりませんが、怪我の功名でしょうか。

    同意です。
    結集についてはピピットさんも返信されていましたが、第一回の結集は釈尊の死の翌年であり、口伝の期間は400年とも500年とも言われています。
    最初に文字にしたのはマウリア王朝の第三代のアショーカ王(BC269?〜BC232?第三結集が行われた時期)が上座部仏教の信者となり、石碑や摩崖に刻んだとのこと、(仏弟子による書写は諸説あるようですが一説には)BC100年頃に上座部の正統派マハーヴィハーラの比丘たちによって書写されたとのことでした。

    > その仏典軍の中には、当時の仏陀の言葉や論理、行為が多く記載されていますので、結果的に、時個人の知りたいことが記載されているのですね。自灯明法灯明と言うことで、仏陀ではない時には、それで十二分だと感じています。
    > 仏陀の死後、部派だ大乗だ小乗だと分岐してきた事は、その当時の弟子たち夫々の解釈によるものだと考えていますので、時にとっては無関係なことだと認識しています。
    > 仮に、、、当時の大乗だ小乗だと分岐する時のその場に、今現在の仏典内容の解釈をしている時が存在していたとするならば(時代背景が矛盾しますが)、、現在の解釈を持って、どこにも属さないのではないかと思います。あくまでも学びは個人の学びで、自灯明法灯明だと考えるからです。


    >>上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えており、
    > 中道とは、実在論と虚無論の2種類の誤見にこの世の人々の多くが固執するようなことは避けて(二元での価値判断基準を避けて)、物事の両極端に近づかないという意味の記載があります。それを学ぶのも八支聖道です。
    > ですので、パニチェさんの解釈される、上座部仏教的発想(自身の悟りを目指す)と大乗仏教的発想(民衆の教化によって苦を軽減させる)の双方、言い換えればこのバランス(中道)を重視すべきだと考えておられという内容は、勿論了解しますが、時個人は、中道をこのような捉え方はしないと思います。

    はい。私の中道解釈は拡大解釈だという自覚はありますが、実生活のさまざまな場面での指針にはしています。
    例えば子育てにおいても過保護も過放任もよくないとか、右だと思った時には左も想定してみて、自身のバランス感覚を省みる。。。etc。

    これは後学のためにお聞きします。
    パーリ律蔵 大品(マハーヴァッガ)にある有名な「箜篌の喩」。釈尊が肉体を極限にまで追い詰める苦行から離れたとさせる逸話(中村元博士の見解によれば、後に創作されたエピソードとされているようですが)は、断・常の二見や有・無の二辺より、もう少し広範囲な教説だと思うのですが、如何でしょうか。

    >>例え一人でも本来の仏道を知る切っ掛けになればそこから優秀な人が出てくる可能性もゼロではなく(日本人の無意識的な仏教的精神、排他的ではない和の心や他者を思いやる利他的発想も持ち合わせていることから)いつかは大きな流れとなり本来の仏教哲学が日本人的な思想として根付いてくるのではないかという期待もあります。
    > はい、そうですね。それらへの期待もほんの少しはありますが、、それらも含めて、時個人は運命にお任せし、今まで通りその運命を受けいれると思います。

    了解しました。

    >>大袈裟に言えば私は仏教哲学(融和的精神と利他の心)こそ世界平和への唯一の教義(道しるべ)だと考えています。
    > これは仏教哲学とは言わずとも、古来から受け継がれてる日本文化の精神、おもてなしの文化、配慮や思いやりの心を、日本人が取り戻せれば良いように時個人は思っています。

    私は聖徳太子が仏教精神を政治的に体現した「十七条憲法(和をもって尊しとなす)」や神仏習合(外来の仏教と神道を融合させた)は日本人的な和の心を重んじる原点だと考えています。大乗仏教自体も日本に伝来する途上でインドや中国の神々も集合しており、仏教の懐の深さをあらわしていると思っています。

    > 全く詳しくはないのですが、ここで永遠回帰という概念について少し考えてみました。
    > 永劫回帰を、あらゆる出来事が今までと同じ順番で、永遠に繰り返し起こるような世界と仮定してみます。
    > 問いは、そのあなたの人生を肯定できますか?とします。
    > 答えは、Yesです。

    > 理由は、時の人生哲学で、全く同じという概念は存在しませんが、仮に存在するとしてという事を考えてみました。そこで、今現在では、前世の記憶は想像の中にありますが、確定的な事が言えないのが現状です。ですので、永遠回帰の思想では、同じことの繰り返しですね。つまりは、来世に、また、来来世にも同じことが起こるのであれば、今を観れば来るべき来世のその時(瞬間)と同じです。
    > 仏教の輪廻転生思想とは似て非なるもののように感じますが、原始には、危難がないなら厭離しないという表現があります。
    > 危難(苦しみ・患い・災難)がこの世間にないのであれば、人々は、厭離(それを嫌って離れること)を望みませんと言う意味ですが、その為に梵行が実行され、時個人はそれ(厭離)を目指しました。
    > 永遠回帰のお話に戻すと、自らの苦しみや災いを滅しつつの現在の環境が、もう一度来世にも起こるのであれば現世と同じことになり、現在、前世の記憶がはっきりとしていないという事は、来世でも同じことですね。
    > つまり、永遠回帰の問いは、現在、今の現状である今現在の人生を肯定できますか?と言う問いだと思いましたので、答えはYesになりました。

    素晴らしい!その通りです。
    永劫回帰の問いに“Yes”と答えることは、最高にして最も厳しい自己肯定だと思います。
    現在の自分を肯定するなら、自身を形成したこれまでの生も全肯定せよ、と。

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