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■36723 / inTopicNo.73)  瞑想とはルサンチマンに気づくこと
  
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/05(Tue) 12:20:15)
    パニチェさん、レスありがとうございます

    >> ところで、言語は呼吸の変形だ思いませんか?私はそう思います。息を吐かずに言葉を発語することはできません。基本的に言葉をつかって考えることは、過去の呼吸の時の思考を再現反復することにならざるをえない。

    >そう言われてみればそうですね。
    あと呼吸というのは身体反応の中でも意識と無意識のはざまにあることも重要だと思います。

    まさにそうですね。

    あと思い出したんですが、永井均さんが「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」と言ってました。
    まったく同意ですね。
    ルサンチマンは語源的にre+感じる・感情ですから、まさに過去の感情の再現反復をいうのではないか。



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■36726 / inTopicNo.74)  Re[4]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/05(Tue) 20:53:47)
    こんばんは、lito_simpleさん。レスありがとうございます。
    以下、ダラダラと返信しますがテッキト〜にスルーして下さい。

    No36719に返信(lito_simpleさんの記事)

    > かなりお久しぶりですよね。20年くらい前だと思います。
    > そんな昔のことなのに、パニチェさんはもちろん、パニチェさんに挙げていただいた何人かの方々(ktsurutさん等)含めて覚えています。
    > よほど私にとって印象的で大切なコミュニケーションをさせていただいていたんだなと思いました。

    同意です。
    ネットでのコミュニケーションって空間(距離)的な制約がないですよね。
    海外在住であろうと手軽に接触できるし、どこに住んでいようと集える。
    リアルではなかなかお目にかかれないような哲学好きの変わり者(笑)がネット空間とはいえ身近にいる。

    これと同じように時間もなんかネット独特の流れがあるような気がします。
    20年と言えば当たり前ですが生まれた子どもが成人になる年月が流れたことになるんですが全然そうは思えない。
    なんかネットのみに接触している時間の累積がネットで流れている時間のようにも思えるのです。
    lito_simpleさんとのレス交換も数年前くらいにしか思えないんですよねぇ〜。
    確かにktsurutにせよ、その他、個性豊かなキャラとのレス交換が強烈な印象となってるという側面もあるとは思いますが。。。^^

    > 私が紹介させていただいた4つの原則ですが、手持ちの資料には書いたまま、文字通りの内容しか載ってなく、書き手の本当の意図はわかりません。
    > 読み手が自身の経験等から解釈するしかないというのが現状です・・

    > 4については、私としてもパニチェさんが仰るように、自分の解釈は間違っているかもしれない仮説として取り扱うということだと思います。
    > その上で、「相手の発言や言動は、それがなされた背景と合わせて解釈することで初めて正しく解釈できる」との原則に基づき、必要に応じて相手の発言や言動がなされた背景を知るための努力を行い(時にはその人がどのような人生を歩んできたのかというところまで遡って)、解釈をより正しい方向にアップデートさせていくということになるのだと思います。また、相手にネガティブな印象を持ってしまったり、ネガティブな反応をする前には、特にそのような努力を行うことが推奨されるということになるのだと思います。

    その通りですね。
    相手の発言や言動、また価値観などを理解しようとすればやっぱ生まれ育った環境や境遇まで知らなければ上辺だけになるんでしょうね。
    でもやはり私秘性という高い壁があるのでお互いを完全に理解し合うことは不可能だと思います。
    「お前のことはよく分かる」なんて簡単に発言する人の底の浅さというか軽率さは反面教師にすべきだと思ってます。

    > このような考え方は、職場や家庭において、相手をよりよく理解したり、不毛な争いを避けるにあたって実践的な考え方の一つと言えるように思います。
    > 哲学は、実生活においてはあまり役立たないと思われがちな面もあると思いますが、私の実生活においては過去いろいろ考えてきたことが役立つシーンもいくらかあったと感じています。

    同意です。
    例えばウィトゲンシュタインの言語ゲームなんかは前後の文脈やシチュエーション、もっと言えば文化や慣習によって文の意味が決まるようなことを述べていて、他者の会話の聞きかじりや一部の抜粋(切文)が如何に取るに足りないか、その典型である噂話はもちろん、伝聞の頼りなさなんかが浮き彫りになります。

    > いまはちょっと時間がなかなかとりにくい事情もあり、哲学からは離れてしまっていますが、いつかまた時間ができたらいろいろ本を読んだり考えたりしてみたいと思います^^

    何か面白い本があったら教えて下さい。
    時間があって気が向いたらいつでもどんな話題でもいいので、BBS Dionysos Hallに投稿してもらえれば嬉しいです。

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■36727 / inTopicNo.75)  Re[6]: 瞑想とはルサンチマンに気づくこと
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/05(Tue) 21:20:29)
    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No36723に返信(knowingitselfさんの記事)

    > > あと呼吸というのは身体反応の中でも意識と無意識のはざまにあることも重要だと思います。
    > まさにそうですね。

    呼吸が血圧や脈拍みたく意識的なコントロールが難しければ水中で溺れ死にますもんね(笑)
    一方で無意識的な反応がないと眠っている間に窒息死します。うまいことできてますね。^^

    > あと思い出したんですが、永井均さんが「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」と言ってました。
    > まったく同意ですね。
    > ルサンチマンは語源的にre+感じる・感情ですから、まさに過去の感情の再現反復をいうのではないか。

    そうなんですね。ルサンチマンの語源は知りませんでした。
    あと私の理解では「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」というのは内観になります。
    この対極にあるのが只管打坐です。
    数息観は阿字観や月輪観と同じく意識をある対象に集中させる手法です。
    脳をスキャンすれば瞑想の手法によって血流や活発化したり沈静化したりする部位が異なるようですね。

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■36737 / inTopicNo.76)  Re[7]: 瞑想とはルサンチマンに気づくこと
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/07(Thu) 12:23:04)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >> あと思い出したんですが、永井均さんが「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」と言ってました。
    > まったく同意ですね。
    > ルサンチマンは語源的にre+感じる・感情ですから、まさに過去の感情の再現反復をいうのではないか。

    >そうなんですね。ルサンチマンの語源は知りませんでした。
    あと私の理解では「瞑想はルサンチマンに気づくことだ」というのは内観になります。

    一般的にいえば、仏教瞑想としては、観(ヴィパッサナー)にあたるともいえると思います。

    浄土真宗の系統で、「内観」という行法もありますね。



    >この対極にあるのが只管打坐です。
    数息観は阿字観や月輪観と同じく意識をある対象に集中させる手法です。
    脳をスキャンすれば瞑想の手法によって血流や活発化したり沈静化したりする部位が異なるようですね。

    禅宗の系統では、数息観、随息観、只管打坐、マントラ的な無字などがあり、いずれも呼吸が要にならざるをえませんが、テーラワーダ的な手法としてのアナパナは、表面的には違うようにもみえます。

    テーラワーダ的なアナパナは、呼吸が出入りする鼻腔の接触感覚を集中の対象にしたり、鼻先の一点だけを意識したり、腹の膨らみを対象にしたりですね。マントラは使いません。

    そうはいっても、同じ人間ですから、時代や環境によって違う呼吸をするわけではありません。脳の構造も同じです。根底では同じ課題にぶち当たり、それを克服しなければならない点において、変わりはないと思います。
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■36740 / inTopicNo.77)  アナパナに加えるマントラ
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/07(Thu) 16:12:06)
    >テーラワーダ的なアナパナは、呼吸が出入りする鼻腔の接触感覚を集中の対象にしたり、鼻先の一点だけを意識したり、腹の膨らみを対象にしたりですね。マントラは使いません。

    不正確でした。すみません。

    アジャンブラムの著書を読んでいたら、タイの森林の伝統では、アナパナにマントラを加えることがあるそうです。


    吸う息で、Bud

    吐く息で、Dho


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■36744 / inTopicNo.78)  Re[5]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ lito_simple -(2024/03/07(Thu) 22:09:39)
    ご返信ありがとうございます。こちらは他にはなかなかない貴重な場だと感じます。
    また哲学が楽しめる時期が来ましたらぜひ訪問させてください!
引用返信/返信 削除キー/
■36747 / inTopicNo.79)  Re[8]: 瞑想とはルサンチマンに気づくこと
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/08(Fri) 20:53:59)
    こんばんは、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No36737に返信(knowingitselfさんの記事)

    > そうはいっても、同じ人間ですから、時代や環境によって違う呼吸をするわけではありません。脳の構造も同じです。根底では同じ課題にぶち当たり、それを克服しなければならない点において、変わりはないと思います。

    参考までに以下が禅定中の脳をスキャンした結果とのことです。

    以下、「脳と意識の地形図」より引用
    ******************************************
    集中力が高まり、澄みきった心境が伺える特徴もあって、たとえば不安を作りだす扁桃体はいつもりずっとおとなしい。視床下部も自律神経系──「戦うか逃げるか」の反応の源である──の働きを阻止し、代謝を低くするという独特の働きをしていた。そのいっぽう、超越意識ならではの特徴もいくつか見られた。指向(ひとつの対象に注意を向けること)が固定され、前頭前野の活動が最高二割も盛んになり、頭頂葉の活動めっきり減っていたのである。

    瞑想時に脳のどの領域で、どんな活動に変化が起きるかがわかれば、超越体験がもたらす主観的な特徴を、脳がいかにつくりだしているのか仮説を立てることもできる──あくまで憶測の色彩が強いが。まず指向が固定される現象を考えよう。指向とは、「あれは何だ?」とばかりに対象に注意を向ける反射作用である。これは、ある刺激(感覚刺激でも、内部で生成された刺激でもよい)が突出していて、競合するほかの刺激に打ち勝ったときに自動的に起こる。その刺激に関連する神経活動が、興奮性の神経伝達物質によって増幅され、脳の底にある青班というところから皮質へと脈打つように伝わっていく。ふつうの意識では、指向は数秒ごとに切りかわっている。脳はもともと探求好きだからだ。実際に首を動かしてまわりを見ていなくても、脳はいつも周囲を探っている。たとえばマントラを唱えつづけるといった、単一でしかもあまり刺激のないことに指向を固定させるのは不自然なことであり、それを実践するにはかなりの努力が必要となる。

    刺激に対して指向が働き、注意が向けられると、脳のほかの領域はそれを維持しようとする。たとえば前頭前野は、ほかから入ってくる情報を積極的に阻害しはじめるので、競合する刺激は意識まで上がってくることができない。眠っているときに感覚が遮断されるのとまったく同じことが起こっているのだ。睡眠中は、視床が刺激をせきとめて皮質に行くのを防いでいるのに対し、注意を集中させているときは、感覚情報はちゃんと脳に入り、高いレベルで構築され、表現までできている。

    高いレベルの表現は記憶に「しまいこまれる」こともあるので、「いまの瞬間」の意識と異なり、促されれば感覚情報について本人が語ることもできる。場合によっては、こうした「うわの空」の状態のほうが、感覚に注意を向けているときより完全かつ正確に表現できる。身近な例を挙げよう。何かの作業に熱中している人に話しかけるとする。しかし相手は聞えてないらしい。そこで「いま言ったことわかった?」と念を押すと、そこで初めて相手は「スイッチ」が入り、しばし考えて言われたことを復唱する。ということは最初からはっきり聞いたことを意識していたのか。それとも気持ちはよそに向いているあいだに入ってきた情報に、機械的にアクセスしていただけなのか。それは当人もふくめて誰にもわからない。
    瞑想中の前頭葉に起こる変化を見ると、ひとつの対象に注意をしっかり固定しているので、感覚情報は意識できなさそうだ。しかし、それは瞑想中も感覚(外から聞こえる音など)は鋭く意識していて、ただ影響を受けないだけという証言と矛盾する、しかしこうした証言は、瞑想状態に起こっていることを正確に反映しているのか。それとも、瞑想中に経験したと思っているだけで、そのとき脳に入ってきた知識にあとからアクセスしているのか?これもまた判断の下しようがない。

    注意を狭い範囲に集中させるあまり、「我を見失う」ようなことはあまり起こらない。何かに熱中していて相手の話を聞きもらすようなときでも、物理的な境界を監視する身体地図は機能しているので、かすかではあるが身体的な自己の概念は保たれている。しかし、瞑想の場合、指向が長いあいだ固定されることで前頭前野の活動が極端に高まり、身体地図を担当する領域が静まって身体概念が失われる。その結果、身体の境界に関する無意識の認識さえも消失するのである。

    通常存在する概念上の境界がなくなると、その枠におさまっていた自己の感覚は蒸気のように外に流れ出し、周囲のあらゆるものを組み込んでいく。世界を「内側」からではなく、あらゆる側から見ているような気がするのはそのためだ。自分はどこにもいないようで、すべての場所にいる──他のものから切りはなされているのではなく、一体となった感覚が生まれる。

    ************ 引用終わり ************

引用返信/返信 削除キー/
■36748 / inTopicNo.80)  Re[6]: lito_simpleさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/08(Fri) 20:55:13)
    こんばんは、lito_simpleさん。レスありがとうございます。

    No36744に返信(lito_simpleさんの記事)
    > ご返信ありがとうございます。こちらは他にはなかなかない貴重な場だと感じます。

    ありがとうございます。

    > また哲学が楽しめる時期が来ましたらぜひ訪問させてください!

    はい、いつでもお越し下さい。大歓迎です♪

引用返信/返信 削除キー/
■36753 / inTopicNo.81)  長年の瞑想経験による意識の変容
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/09(Sat) 16:19:27)
    パニチェさん、レスありがとうございます。

    引用いただいた文の脳科学的な説明は基本的に妥当だと思います。

    ちょっと観点は違うかもしれませんが、私の知っているのでは、イェール大学医学大学院で行われた脳スキャン研究では、非常に熟達した瞑想家や高名な瞑想家が多数参加して、深い瞑想時にはデフォルト・モード・ネットワークが静かになることが発見されたそうです。すごい人は瞑想をしなくてもデフォルト・モード・ネットワークが沈静化していて、長年の瞑想で意識の基本が変容し、脳の測定でもそれが裏付けられたと。
引用返信/返信 削除キー/
■36758 / inTopicNo.82)  Re[10]: 長年の瞑想経験による意識の変容
□投稿者/ パニチェ -(2024/03/10(Sun) 09:23:34)
    おはようございます、knowing itselfさん。レスありがとうございます。

    No36753に返信(knowingitselfさんの記事)

    > 引用いただいた文の脳科学的な説明は基本的に妥当だと思います。

    > ちょっと観点は違うかもしれませんが、私の知っているのでは、イェール大学医学大学院で行われた脳スキャン研究では、非常に熟達した瞑想家や高名な瞑想家が多数参加して、深い瞑想時にはデフォルト・モード・ネットワークが静かになることが発見されたそうです。すごい人は瞑想をしなくてもデフォルト・モード・ネットワークが沈静化していて、長年の瞑想で意識の基本が変容し、脳の測定でもそれが裏付けられたと。

    Yahoo!掲示板で投稿されていた愚さんこと渡辺充さんが翻訳された本でJ・クリシュナムルテイとD・ボームの対談集『時間の終焉』の第6章が「洞察は脳細胞に変容をもたらすことができるか?」という見出しになっています。この書籍の結論から言えば“yes”です。

    J・クリシュナムルテイによれば「洞察は物質的な過程から独立しているのですが、その過程に働きかけることができるのです。(P.192)」「洞察には原因がないので、原因を持っているものに対してははっきりとした影響を与えるのです」と述べています。

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■36773 / inTopicNo.83)  Re[11]: 長年の瞑想経験による意識の変容
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/11(Mon) 16:32:08)
    パニチェさん レスありがとうございます

    >J・クリシュナムルテイによれば「洞察は物質的な過程から独立しているのですが、その過程に働きかけることができるのです。(P.192)」

    呼吸は心と物質に跨っている働きですね。どちらの過程にも同時に関わっています。
    もちろん、脳は物質です。

    瞑想で呼吸がものすごく重要なのはそういうことからも来ているのでしょう。
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■36839 / inTopicNo.84)  日常の行動に向ける意図
□投稿者/ knowingitself -(2024/03/17(Sun) 17:23:32)
    自由意志はあるのかという哲学の議論は置くとして、
    瞑想をやればやるほど、瞑想以外の日常での意図、意志が要をなすことがわかってくる。

    仏教なら瞑想以外での貪瞋痴に向けた意図が強ければ、瞑想で貪瞋痴の想念が消えることはありえない。

    意志、意図、意欲、認容。貪瞋痴への微かなOKを出してもまずい。
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