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■34602 / inTopicNo.13)  Re[6]: アドヴァイタと而今(にこん)
  
□投稿者/ パニチェ -(2023/10/22(Sun) 17:56:54)
    こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No34594に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>後の方の質問に関して:
    > >>現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性ということなんですね(この理解で合ってますか?)

    >>はい、私の解釈はそうです。

    > 正直、私にはパニチェさんがこれを肯定されるのは腑に落ちないんですよ。
    > 私には、これは明らかに違うと思われますね。
    > 私見では、ここで言う無時間性とは、「経過するものとしての時間」における「経過時間=0」(相対的無時間性)という意味ではなく、生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、と思います。
    > パルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も、そうではないでしょうか。

    > No34450におけるパニチェさんの説明なら、この私見と同じじゃないかと思うんですが、どうでしょうね?

    ここ少し分かりません。
    田秋さんが述べられた「現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性」というのは私がNo34450で返信した以下と同じだと考えていますし、またパルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も同様だと解釈してますが、具体的には何がどう違うのかが私には分かりません。詳しく教えていただければ有難いです。

    > >>>今ここに過去はない、そして今ここに未来もない。
    > >>>今ここにあるのは今という瞬間であり、そこに過去も未来も集約される(道元禅師の“而今”今に生きると重なります)。
    > >>>永遠が過去から未来へ継続するような幻想的な時間のことではなく、この瞬間の無時間性であるなら、今この瞬間に生きているものは、永遠に生きるということだと思います。


引用返信/返信 削除キー/
■34604 / inTopicNo.14)  Re[7]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/10/22(Sun) 18:39:41)
    パニチェさん、こんばんは。
    レスをありがとうございます。

    No34602に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No34594に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>>>後の方の質問に関して:
    >>>>現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性ということなんですね(この理解で合ってますか?)
    >
    > >>はい、私の解釈はそうです。
    >
    >>正直、私にはパニチェさんがこれを肯定されるのは腑に落ちないんですよ。
    >>私には、これは明らかに違うと思われますね。
    >>私見では、ここで言う無時間性とは、「経過するものとしての時間」における「経過時間=0」(相対的無時間性)という意味ではなく、生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、と思います。
    >>パルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も、そうではないでしょうか。
    >
    >>No34450におけるパニチェさんの説明なら、この私見と同じじゃないかと思うんですが、どうでしょうね?
    >
    > ここ少し分かりません。
    > 田秋さんが述べられた「現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性」というのは私がNo34450で返信した以下と同じだと考えていますし、またパルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も同様だと解釈してますが、具体的には何がどう違うのかが私には分かりません。詳しく教えていただければ有難いです。
    >
    >>>>>今ここに過去はない、そして今ここに未来もない。
    >>>>>今ここにあるのは今という瞬間であり、そこに過去も未来も集約される(道元禅師の“而今”今に生きると重なります)。
    >>>>>永遠が過去から未来へ継続するような幻想的な時間のことではなく、この瞬間の無時間性であるなら、今この瞬間に生きているものは、永遠に生きるということだと思います。
    >
    >

    そうですか。
    では、確認させてもらいたいのですが、パニチェさんとしては、私の

    >生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、

    という捉え方には違和感がある、つまり異なる考え方だということですか?




引用返信/返信 削除キー/
■34605 / inTopicNo.15)  Re[8]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ パニチェ -(2023/10/22(Sun) 19:05:40)
    2023/10/22(Sun) 19:41:21 編集(投稿者)

    レスありがとうございます、ザビビのふくろうさん。

    No34604に返信(ザビビのふくろうさんの記事)


    No34594に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>>>後の方の質問に関して:
    > >>>>現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性ということなんですね(この理解で合ってますか?)

    >>>>はい、私の解釈はそうです。

    >>> 正直、私にはパニチェさんがこれを肯定されるのは腑に落ちないんですよ。
    >>> 私には、これは明らかに違うと思われますね。
    > 私見では、ここで言う無時間性とは、「経過するものとしての時間」における「経過時間=0」(相対的無時間性)という意味ではなく、生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、と思います。
    >>> パルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も、そうではないでしょうか。

    >>> No34450におけるパニチェさんの説明なら、この私見と同じじゃないかと思うんですが、どうでしょうね?

    >> ここ少し分かりません。
    >> 田秋さんが述べられた「現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性」というのは私がNo34450で返信した以下と同じだと考えていますし、またパルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も同様だと解釈してますが、具体的には何がどう違うのかが私には分かりません。詳しく教えていただければ有難いです。

    > >>>今ここに過去はない、そして今ここに未来もない。
    > >>>今ここにあるのは今という瞬間であり、そこに過去も未来も集約される(道元禅師の“而今”今に生きると重なります)。
    > >>>永遠が過去から未来へ継続するような幻想的な時間のことではなく、この瞬間の無時間性であるなら、今この瞬間に生きているものは、永遠に生きるということだと思います。


    > ■No34602に返信(パニチェさんの記事)
    >>こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    >>■No34594に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>>>後の方の質問に関して:
    > >>>>現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性ということなんですね(この理解で合ってますか?)

    >>>>はい、私の解釈はそうです。

    > >>正直、私にはパニチェさんがこれを肯定されるのは腑に落ちないんですよ。
    > >>私には、これは明らかに違うと思われますね。
    > >>私見では、ここで言う無時間性とは、「経過するものとしての時間」における「経過時間=0」(相対的無時間性)という意味ではなく、生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、と思います。
    > >>パルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も、そうではないでしょうか。

    > >>No34450におけるパニチェさんの説明なら、この私見と同じじゃないかと思うんですが、どうでしょうね?

    >>ここ少し分かりません。
    >>田秋さんが述べられた「現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性」というのは私がNo34450で返信した以下と同じだと考えていますし、またパルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も同様だと解釈してますが、具体的には何がどう違うのかが私には分かりません。詳しく教えていただければ有難いです。

    > >>>>>今ここに過去はない、そして今ここに未来もない。
    > >>>>>今ここにあるのは今という瞬間であり、そこに過去も未来も集約される(道元禅師の“而今”今に生きると重なります)。
    > >>>>>永遠が過去から未来へ継続するような幻想的な時間のことではなく、この瞬間の無時間性であるなら、今この瞬間に生きているものは、永遠に生きるということだと思います。



    > そうですか。
    > では、確認させてもらいたいのですが、パニチェさんとしては、私の

    > >生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、
    > という捉え方には違和感がある、つまり異なる考え方だということですか?

    いえ、全く異論はないですよ。
    田秋さんのレスもザビビのふくろうさんのレスも先の私のレスも、私からしてみれば今という瞬間について違う言い方をしていますが論旨は同じと考えていますので、その違いが分からないという旨の質問でした。
引用返信/返信 削除キー/
■34612 / inTopicNo.16)  Re[9]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/10/23(Mon) 14:35:52)
    パニチェさん、こんにちは。


    No34605に返信(パニチェさんの記事)
    > 2023/10/22(Sun) 19:41:21 編集(投稿者)
    >

    >>そうですか。
    >>では、確認させてもらいたいのですが、パニチェさんとしては、私の
    >
    >>>生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、
    >>という捉え方には違和感がある、つまり異なる考え方だということですか?
    >
    > いえ、全く異論はないですよ。
    > 田秋さんのレスもザビビのふくろうさんのレスも先の私のレスも、私からしてみれば今という瞬間について違う言い方をしていますが論旨は同じと考えていますので、その違いが分からないという旨の質問でした。


    ふむふむ、なるほど、なかなか面白いですね。
    だとすれば、これはやはりパニチェさんと私の「独我論的私」の解釈の違いと相即していると考えられますね。
    つまり、この場合、
     絶対の「今此処に在る私」
    の、〈今〉とは何か?に対する解釈の違いと思います。

    なので、議論を詰めようとしても、平行線になるのは必至と思われますので、お互いの解釈の違いとして、そのままにしておいても良いのじゃないでしょうか?
    田秋さんもついて来れないと思いますし。

    それとも、パニチェさんは違いがよくわからないということなので、このまま放置すると気持ち悪いですかね?
    せめて私の考える、お互いの解釈の違いを一応説明したほうがよいですか?
    まあただ、独我論的私のときと同様、理解してもらえる自信はあんまりありませんが(笑)
    でも、お望みなら言ってください^^
    どうしましょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■34618 / inTopicNo.17)  Re[10]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ パニチェ -(2023/10/23(Mon) 20:38:47)
    こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。

    No34612に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    > >>>生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、
    > >>という捉え方には違和感がある、つまり異なる考え方だということですか?

    >>いえ、全く異論はないですよ。
    >>田秋さんのレスもザビビのふくろうさんのレスも先の私のレスも、私からしてみれば今という瞬間について違う言い方をしていますが論旨は同じと考えていますので、その違いが分からないという旨の質問でした。


    > ふむふむ、なるほど、なかなか面白いですね。
    > だとすれば、これはやはりパニチェさんと私の「独我論的私」の解釈の違いと相即していると考えられますね。
    > つまり、この場合、
    >  絶対の「今此処に在る私」
    > の、〈今〉とは何か?に対する解釈の違いと思います。

    > なので、議論を詰めようとしても、平行線になるのは必至と思われますので、お互いの解釈の違いとして、そのままにしておいても良いのじゃないでしょうか?
    > 田秋さんもついて来れないと思いますし。

    > それとも、パニチェさんは違いがよくわからないということなので、このまま放置すると気持ち悪いですかね?
    > せめて私の考える、お互いの解釈の違いを一応説明したほうがよいですか?
    > まあただ、独我論的私のときと同様、理解してもらえる自信はあんまりありませんが(笑)
    > でも、お望みなら言ってください^^
    > どうしましょうか?

    議論を前提としてではなく、是非教えて下さい。
    興味があります。

引用返信/返信 削除キー/
■34624 / inTopicNo.18)  Re[11]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/10/23(Mon) 23:13:56)
    2023/10/24(Tue) 06:07:43 編集(投稿者)
    2023/10/23(Mon) 23:21:44 編集(投稿者)

    パニチェさん、こんばんは。
    レスをありがとうございます。

    No34618に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。
    >
    > ■No34612に返信(ザビビのふくろうさんの記事)
    >>>>>生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、
    >>>>という捉え方には違和感がある、つまり異なる考え方だということですか?
    >
    > >>いえ、全く異論はないですよ。
    > >>田秋さんのレスもザビビのふくろうさんのレスも先の私のレスも、私からしてみれば今という瞬間について違う言い方をしていますが論旨は同じと考えていますので、その違いが分からないという旨の質問でした。
    >
    >
    >>ふむふむ、なるほど、なかなか面白いですね。
    >>だとすれば、これはやはりパニチェさんと私の「独我論的私」の解釈の違いと相即していると考えられますね。
    >>つまり、この場合、
    >> 絶対の「今此処に在る私」
    >>の、〈今〉とは何か?に対する解釈の違いと思います。
    >
    >>なので、議論を詰めようとしても、平行線になるのは必至と思われますので、お互いの解釈の違いとして、そのままにしておいても良いのじゃないでしょうか?
    >>田秋さんもついて来れないと思いますし。
    >
    >>それとも、パニチェさんは違いがよくわからないということなので、このまま放置すると気持ち悪いですかね?
    >>せめて私の考える、お互いの解釈の違いを一応説明したほうがよいですか?
    >>まあただ、独我論的私のときと同様、理解してもらえる自信はあんまりありませんが(笑)
    >>でも、お望みなら言ってください^^
    >>どうしましょうか?
    >
    > 議論を前提としてではなく、是非教えて下さい。
    > 興味があります。
    >

    いやいや、教えるなんて(笑)
    一応私なりの考えを述べてみます。
    参考になれば幸いです。

    細かい抽象的ロジックの説明をしてもかえって理解が困難になると思いますので、なるべくイメージをつかみやすいように説明したいと思います。

    私の理解では、「経過時間=0の瞬間」というのは、「時間の流れが止まった瞬間」としての無時間性とも言えると思うんですね。
    そうすると、違うかもしれませんが、私のベタな具体的イメージとしては
     「ボールが止まって見えた」  by 川上哲治
    って感じかなと(笑)。
    間違っていたら言ってください。
    あと、イメージ的にはこんな感じでしょうか。

    「人が[現に]生きているのは、瞬間にすぎないこの現在だけである」(M.アウレリウス)
    「生きることができるのは刻一刻の〈今ここ〉だけ」「一瞬の存在がすべて」(古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』(講談社メチエ)からの引用)


    それに対して私の言う無時間性=永遠は、たとえば、ピタゴラスの定理は永遠の真理だ、という場合の無時間性のイメージですね。
    ですから、時間の流れが止まるんじゃなくて、時間(川の流れ)の外に出て、いわば岸辺(不変・不動)の視座(幾何学的観点)に立つ、という感じです。
    で、この視座から捉えられる対象が「永遠の相の下で」捉えられた対象だ、ということになります。
    これは平たく言うと、対象を「イデア」として見る、ってことです。

    ですから、幾何学的真理のような、この無時間的=永遠の真理というのは、「(流れる)時間を超越した」真理、とも言えますよね。
    これと同様な意味で、
     《私》は《今》《此処》に《在る》
    という独我論的(形而上学的)真理も、(流れとしての)時間を超越した無時間的真理であり、したがってこの《今》は「永遠の今」でもあるわけです。

    ということで、パニチェさんの解釈と私の解釈の違いは、この絶対の「今」を、時間の流れを止めて観る一瞬一瞬とみなすか、それとも、それ自身は時間の流れの外にあって、流れがそれに対して流れる同一・不変の形式とみなすか、の違いとも言えるように思います。
    (思い付き補足:「瞬間としての今」に対して「イデアとしての今」と言ったほうが、イメージ的には違いがはっきりするかも。)
    なので、パニチェさんの〈今、ここ〉は、特異点、原点といった点のイメージですよね。
    それに対して、私の考える《今、此処》は、あくまで抽象的な場、座標形式のイメージです。
    少なくとも私にとっては、これらは全く異なるものなんです。
    ちなみにこれは、ショーペンハウアー図とマッハ図の違いとも相即していると私は考えています。
    ********************
    最後に補足として、ちょっとネタばらし的なことを書いておきます。
    少し引用した古東哲明さんて方の本を読まれたことあります?
    knowingitselfさんにも言ったのですが、
    『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)
    という著作は、今のテーマともろかぶりだと思うんですが、改めて読み直さないと内容についてきちんと言えないので措きますが、先ほど引用した
    『現代思想としてのギリシア哲学』(今は
    という著作について言えば、むしろパニチェさんと似た考え方じゃないかと思うんですね。
    つまり、この方は、私が分離・区別した捉え方を、一つのものとして観ておられるわけです。
    しかもその語り口が大変魅力的で、説得力があるんですよ。
    なので、ひょっとしたら究極同じかもしれないという思いもあるんですが、私としては『論考』のはしごを上って見えてくる風景は上に述べたようなものに思えるので、私なりに詰めた考えとして提示しました。
    面白かったらいいんですが^^

引用返信/返信 削除キー/
■34635 / inTopicNo.19)  アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ 田秋 -(2023/10/24(Tue) 09:52:03)
    2023/10/24(Tue) 09:56:53 編集(投稿者)

    おはようございます、ザビビのふくろうさん

    説明ありがとうございます。

    ボクが、「経過時間=0の瞬間」を無時間性だと思ったのは、
    時間の流れを直線で表わし、その1点を切り取った時のイメージからです。
    点には長さがないのでいくら集めても線にはならないはずなのに、直線は点の集合と言われます。長さ(ここでは経過時間=0)の無いものを集めると時間の流れになるならば、例えば自分の人生がどれ程の長さであるにしてもそれは「経過時間=0の瞬間」の集合であるので、これを無時間性と言っているのかな、と想像しました。

    この命題6.4311は、前半に人は死を経験しない、後半に無時間性が置かれているので、この二つは関係しているのだと思うのですが、その関係性がイマイチわかりません。ひょっとして死を経験しないということを無時間性で以て解釈せよ、ということなのですか。


引用返信/返信 削除キー/
■34639 / inTopicNo.20)  Re[4]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/10/24(Tue) 18:23:36)
    2023/10/25(Wed) 17:37:08 編集(投稿者)
    田秋さん、こんばんは。
    レスをありがとうございます。

    No34635に返信(田秋さんの記事)
    > 2023/10/24(Tue) 09:56:53 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます、ザビビのふくろうさん
    >
    > 説明ありがとうございます。
    >
    > ボクが、「経過時間=0の瞬間」を無時間性だと思ったのは、
    > 時間の流れを直線で表わし、その1点を切り取った時のイメージからです。
    > 点には長さがないのでいくら集めても線にはならないはずなのに、直線は点の集合と言われます。長さ(ここでは経過時間=0)の無いものを集めると時間の流れになるならば、例えば自分の人生がどれ程の長さであるにしてもそれは「経過時間=0の瞬間」の集合であるので、これを無時間性と言っているのかな、と想像しました。
    >

    既述したように、私はその解釈を採りません。
    『論考』の思想からどのようなロジックでそういう考え方が導かれるのかわかりませんし、他の命題とのつながりや整合性も私にはわかりません。


    > この命題6.4311は、前半に人は死を経験しない、後半に無時間性が置かれているので、この二つは関係しているのだと思うのですが、その関係性がイマイチわかりません。ひょっとして死を経験しないということを無時間性で以て解釈せよ、ということなのですか。
    >
    >

    というか、私の解釈は既に説明しましたので、あとは田秋さんご自身がどう考えられるかではないでしょうか?^^

    【追記】

    田秋さんの「無時間性」の解釈では、

     無時間性=永遠性

    が成り立たないということではないでしょうか?

引用返信/返信 削除キー/
■34644 / inTopicNo.21)  Re[12]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ パニチェ -(2023/10/24(Tue) 20:32:49)
    こんばんは、ザビビのふくろうさん。いつもながら丁寧かつ誠意ある返信をありがとうございます。

    No34624に返信(ザビビのふくろうさんの記事)

    >>議論を前提としてではなく、是非教えて下さい。
    >>興味があります。

    > いやいや、教えるなんて(笑)
    > 一応私なりの考えを述べてみます。
    > 参考になれば幸いです。

    > 細かい抽象的ロジックの説明をしてもかえって理解が困難になると思いますので、なるべくイメージをつかみやすいように説明したいと思います。

    > 私の理解では、「経過時間=0の瞬間」というのは、「時間の流れが止まった瞬間」としての無時間性とも言えると思うんですね。
    > そうすると、違うかもしれませんが、私のベタな具体的イメージとしては
    >  「ボールが止まって見えた」  by 川上哲治
    > って感じかなと(笑)。
    > 間違っていたら言ってください。
    > あと、イメージ的にはこんな感じでしょうか。

    > 「人が[現に]生きているのは、瞬間にすぎないこの現在だけである」(M.アウレリウス)
    > 「生きることができるのは刻一刻の〈今ここ〉だけ」「一瞬の存在がすべて」(古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』(講談社メチエ)からの引用)

    > それに対して私の言う無時間性=永遠は、たとえば、ピタゴラスの定理は永遠の真理だ、という場合の無時間性のイメージですね。
    > ですから、時間の流れが止まるんじゃなくて、時間(川の流れ)の外に出て、いわば岸辺(不変・不動)の視座(幾何学的観点)に立つ、という感じです。
    > で、この視座から捉えられる対象が「永遠の相の下で」捉えられた対象だ、ということになります。
    > これは平たく言うと、対象を「イデア」として見る、ってことです。

    > ですから、幾何学的真理のような、この無時間的=永遠の真理というのは、「(流れる)時間を超越した」真理、とも言えますよね。
    > これと同様な意味で、
    >  《私》は《今》《此処》に《在る》
    > という独我論的(形而上学的)真理も、(流れとしての)時間を超越した無時間的真理であり、したがってこの《今》は「永遠の今」でもあるわけです。

    > ということで、パニチェさんの解釈と私の解釈の違いは、この絶対の「今」を、時間の流れを止めて観る一瞬一瞬とみなすか、それとも、それ自身は時間の流れの外にあって、流れがそれに対して流れる同一・不変の形式とみなすか、の違いとも言えるように思います。
    > (思い付き補足:「瞬間としての今」に対して「イデアとしての今」と言ったほうが、イメージ的には違いがはっきりするかも。)
    > なので、パニチェさんの〈今、ここ〉は、特異点、原点といった点のイメージですよね。
    > それに対して、私の考える《今、此処》は、あくまで抽象的な場、座標形式のイメージです。
    > 少なくとも私にとっては、これらは全く異なるものなんです。
    > ちなみにこれは、ショーペンハウアー図とマッハ図の違いとも相即していると私は考えています。

    なるほど。違いがよく分かりました。
    確かに『論考』の階段を忠実に上がるとザビビのふくろうさんが上記で述べられた通りかもしれません。
    むしろ私の解釈には禅的な発想が混在してる可能性が大ですね。

    > ********************
    > 最後に補足として、ちょっとネタばらし的なことを書いておきます。
    > 少し引用した古東哲明さんて方の本を読まれたことあります?

    いえ、読んだことがありません。

    > knowingitselfさんにも言ったのですが、
    > 『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)
    > という著作は、今のテーマともろかぶりだと思うんですが、改めて読み直さないと内容についてきちんと言えないので措きますが、先ほど引用した
    > 『現代思想としてのギリシア哲学』(今は
    > という著作について言えば、むしろパニチェさんと似た考え方じゃないかと思うんですね。
    > つまり、この方は、私が分離・区別した捉え方を、一つのものとして観ておられるわけです。
    > しかもその語り口が大変魅力的で、説得力があるんですよ。
    > なので、ひょっとしたら究極同じかもしれないという思いもあるんですが、私としては『論考』のはしごを上って見えてくる風景は上に述べたようなものに思えるので、私なりに詰めた考えとして提示しました。
    > 面白かったらいいんですが^^

    ありがとうございます。大変興味深くかつ面白かったです。
    『瞬間を生きる哲学』(筑摩選書)は要チェックです。
    あと可能性としてはザビビのふくろうさんも述べられているように究極同じかもしれないということに同意です。

引用返信/返信 削除キー/
■34651 / inTopicNo.22)  Re[5]: アドヴァイタと而今(にこん)
□投稿者/ マジカルモンキー -(2023/10/25(Wed) 10:44:12)
引用返信/返信 削除キー/
■34866 / inTopicNo.23)  色彩論からの観測問題、そして存在論
□投稿者/ パニチェ -(2023/10/31(Tue) 21:08:19)
引用返信/返信 削除キー/
■34870 / inTopicNo.24)  色彩論からの観測問題、そして存在論
□投稿者/ 田秋 -(2023/11/01(Wed) 16:36:59)
    こんにちは、パニチェさん

    >田秋さんの投稿に触発されて
    光栄なことで、汗顔の至りです^^;

    パニチェさん紹介のリンク、読みました。ま、量子論は不思議の塊でボクの理解を遥かに超えています。でもあのアインシュタインでさえ量子論に対しては懐疑的だったのですから。なんら恥じることはないと思っています^^;

    観測問題や情報が瞬時に伝わる(量子テレポーションでしたっけ?)話とか、いつか全て謎が解け、当たり前の常識になる時代がくるのでしょうか・・・
引用返信/返信 削除キー/

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