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Re[7]: アドヴァイタと而今(にこん)
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□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/10/22(Sun) 18:39:41)
| パニチェさん、こんばんは。 レスをありがとうございます。
■No34602に返信(パニチェさんの記事) > こんばんは、ザビビのふくろうさん。レスありがとうございます。 > > ■No34594に返信(ザビビのふくろうさんの記事) >>>>後の方の質問に関して: >>>>現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性ということなんですね(この理解で合ってますか?) > > >>はい、私の解釈はそうです。 > >>正直、私にはパニチェさんがこれを肯定されるのは腑に落ちないんですよ。 >>私には、これは明らかに違うと思われますね。 >>私見では、ここで言う無時間性とは、「経過するものとしての時間」における「経過時間=0」(相対的無時間性)という意味ではなく、生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、と思います。 >>パルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も、そうではないでしょうか。 > >>No34450におけるパニチェさんの説明なら、この私見と同じじゃないかと思うんですが、どうでしょうね? > > ここ少し分かりません。 > 田秋さんが述べられた「現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性」というのは私がNo34450で返信した以下と同じだと考えていますし、またパルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も同様だと解釈してますが、具体的には何がどう違うのかが私には分かりません。詳しく教えていただければ有難いです。 > >>>>>今ここに過去はない、そして今ここに未来もない。 >>>>>今ここにあるのは今という瞬間であり、そこに過去も未来も集約される(道元禅師の“而今”今に生きると重なります)。 >>>>>永遠が過去から未来へ継続するような幻想的な時間のことではなく、この瞬間の無時間性であるなら、今この瞬間に生きているものは、永遠に生きるということだと思います。 > >
そうですか。 では、確認させてもらいたいのですが、パニチェさんとしては、私の
>生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、
という捉え方には違和感がある、つまり異なる考え方だということですか?
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