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Re[5]: アドヴァイタと而今(にこん)
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□投稿者/ ザビビのふくろう -(2023/10/22(Sun) 12:53:37)
| ■No34577に返信(パニチェさんの記事) > おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。 > > ■No34487に返信(田秋さんの記事) > >>初めの質問に関して: >>やはり生と死は同時には存在はしない、というように感じてしまいます。独我論の我というのは生きているということが前提ではないのでしょうか。 > > それはその通りだと思いますがウィトゲンシュタインが6.431〜6.4311で表明したいのは私の世界(ミクロコスモス=独我論)に「私の死は存在しない」ということだと思います。 > 大修館書店「ウィトゲンシュタイン全集1 論理哲学論考」より引用しておきますね。 > > ************************************ > 6.431 また同じく、死に際しても世界が変わるのではなく、世界が終わるのである。 > 6.4311死は生の出来事ではない。人は死を体験しない。 > もし永遠ということで無限な時の継続ではなく無時間性が理解されているのなら、現在の中で生きる人は永遠に生きるのである。 > 我々の視野が限界を欠くのと全く同様に、我々の生も終わりを欠いている > ************ 引用終わり ************ > >>後の方の質問に関して: >>現在という一瞬=時間経過がゼロ、という意味において無時間性ということなんですね(この理解で合ってますか?) > > はい、私の解釈はそうです。 >
正直、私にはパニチェさんがこれを肯定されるのは腑に落ちないんですよ。 私には、これは明らかに違うと思われますね。 私見では、ここで言う無時間性とは、「経過するものとしての時間」における「経過時間=0」(相対的無時間性)という意味ではなく、生の形式としての「不動の今」「絶対の今」=「永遠の今」の「永遠」のことである、と思います。 パルメニデスやショーペンハウアーなどの「現在」も、そうではないでしょうか。
No34450におけるパニチェさんの説明なら、この私見と同じじゃないかと思うんですが、どうでしょうね?
>>>ザビビのふくろうさんの解説もリクエストしたいなぁ〜。 >>禿同 > > ザビビのふくろうさん、よろしくお願いします。^^ >
お二人とも、このあたりでご勘弁をm(__)m
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