| 2021/11/19(Fri) 21:50:53 編集(投稿者)
これはこれは、できるだけ相手の主張を理解しようと努め、よっぽどのことがない限り理解できるつもりであるにもかかわらず、全く永井哲学を理解していないくせにアンチ永井などとほざき、大嘘つきで藁人形論法と後出しジャンケンと印象操作が得意で、聞いてもないことを長々とペロペロ語りまくるが、突っ込まれだすと急に無口で自閉的なレスしかできなくなるザビビの藁人形製フクロウさん、こんばんは♪
ほなひとつづつ叩き潰していくで(懐かしい地下猫風w)。わしのレスは全てザビビの藁人形製フクロウのカキコを元にしてるからな。ザビビの藁人形製フクロウの得意技である藁人形論法ではない(藁
> 私の主張は、次にはっきりと書いているわけです。 > No18176 > ただ、私の主張は,簡単に言うと、 > 1. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。
ザビビの藁人形製フクロウは主張を変えとるやん。 もともとは「少なくとも『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。(18151)」やろ。
ザビビの藁人形製フクロウの新婚さんいらっしゃ〜い的イエスノー枕脳では「比類なき先言の<私>」は『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである」と「『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません」が一緒になるんかい?
「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは全く異なるものである」 正しい→全く異なる?耳は長いし、ヒョンピョン跳ねるし、ともに白いうさぎ(“ウサギとカメ”のウサギも白兎だとすれば)だろ。 間違い→同じって?何でワニを並べて川を渡ろうとした白兎と油断してカメに競争で負けたウサギが同じやねん!物語も違うし役も違うやろ
「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じものではない」 正しい、よってザビビの藁人形製フクロウは、もともと「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べていないパニチェに対して、あたかも「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べているかのように歪めて長々と反論のレスを付けた(No18151) 紛れもない藁人形論法1やろ
> 2. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」についての言説は、無意味である
「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じものでない」とパニチェから指摘し、それをザビビの藁人形製フクロウは理解してもなおかつ「パニチェの主張(比類なき先言の<私>)を『論考』の思想に依拠して、無意味だと論証したNo18151。」って論理もクソもないやろ。
「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じものでない」と述べているにもかかわらず、「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じであることを前提として(ここ歪めとるがな)成立する論理、「比類なき先言の<私>)を『論考』の思想に依拠して、無意味だと論証した」と主張しとるわけや。 紛れもない藁人形論法2やろ。
> ただ、私が理解していないという判断はパニチェさんの勝手ではありますが、この議論を読んでくださっている人に私がそれを認めていると誤解を与えてもいけませんので、少し付言しておきます。 > 私は永井の独在論には関心がありませんから全部をフォローしてはいませんが、『ウィトゲンシュタイン入門』を始め、初期の勁草書房から出版されている諸著作、複数の研究者によるウィトゲンシュタイン哲学についての論文集に永井が寄稿した論文等、相当数の著作は読んでいます。なので、永井のウィトゲンシュタイン解釈(とくに『論考』解釈)については私なりに一応理解しているつもりです。
これは真っ赤な嘘やろ。もしくは「論語読みの論語知らず」。 永井氏の提起する〈私〉を全く理解してないにもかかわらず、アンチ永井などとラッパを吹く単なるええかっこしい。 〈私〉という表記に関して何も理解してない。 ザビビの藁人形製フクロウは形而上学的主体である「私」を常に〈私〉と表記しとるけど何でやねん。 理解してると言うなら説明してみろ。
あと『論考』のトンデモ独自解釈はザビビの藁人形製フクロウも認めたからそれはいいとして。。。
上記を全てまとめると。。。 『論考』のトンデモ解釈、永井哲学を全く理解してないにもかかわらずアンチ永井宣言、パニチェの「比類なき先言の<私>」を全く理解していないにもかかわらず藁人形論法、その後、主張のすり替え、後出しジャンケン、印象操作に熱心な情けないヤツ、これがザビビの藁人形製フクロウね
森の守り神、知性、学問、芸術の象徴、女神アテネの聖鳥が泣くで。 ホォ〜ホケキョ♪
〜〜〜〜〜〜〜 ”⌒( ゜ρ゜)⌒〃パタパタ
|