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Re[18]: ロムしてくださっている皆さんへ
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□投稿者/ ヴィランの梟 -(2021/11/20(Sat) 00:52:02)
| 板杉くん
こんばんは。
準備が終わったんで、少しだけ。
>>私の主張は、次にはっきりと書いているわけです。 >> No18176 >> ただ、私の主張は,簡単に言うと、 >> 1. パニチェさんの「比類なき先言の<私>」は、『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである。
>ザビビの藁人形製フクロウは主張を変えとるやん。 >もともとは「少なくとも『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません。(18151)」やろ。
べつに本質的に内容は変えてないよ。 No18151の時点では、板杉くんが自分の「先言の〈私〉」と『論考』の形而上学的主体である〈わたし〉(=示されるべき独我論的主体である〈わたし〉→以後、〈わたし〉と表記)との異同についてどう考えているか不分明だったから、「少なくとも」と書いたって言ったやん。 もし仮に、きみがそれらは同一やと主張しているのなら、 先言の〈私〉≠ 『論考』の〈わたし〉 と私が主張した時点で、同時に、きみの「それらは同一や」という主張は間違いやっていう主張を論理的に含意してしまうわけよ。 しかし、その時点では、きみがどう考えているかわからないから、そこまで言う気はない、少なくとも、 先言の〈私〉≠ 『論考』の〈わたし〉 は正しいと、私は主張しているんですよ、と言うてるわけや。 ところが、後に、板杉くんが、それらを同じやなんて言うとらんて言うから、ほんじゃ、もう「少なくとも」とつける必要がないから、とった、ってだけ。 おわかり?
>「比類なき先言の<私>」は『論考』で示されるとされる独我論的「私」とは全く異なるものである」と「『論考』の〈私〉は、「先言の〈私〉」と同じものではありません」が一緒になるんかい?
そりゃそうだよ。 「『論考』の〈私〉」というのは、世界の限界たる〈わたし〉であり、語られず示される独我論的主体であり、形而上学的主体のことだからね。これらはすべて同じじゃん。 だから、全部きみの「先言の〈私〉」と同じじゃない、全く異なるものだ、ってことだよ。いったい何がわからんの?
>「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じものではない」 >正しい、よってザビビの藁人形製フクロウは、もともと「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べていないパニチェに対して、あたかも「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べているかのように歪めて長々と反論のレスを付けた(No18151) >紛れもない藁人形論法1やろ
いやいや(笑)
>あたかも「“因幡の白兎”の白兎と“ウサギとカメ”のウサギは同じ」と述べているかのように歪めて長々と反論のレスを付けた(No18151)
ってさ、いったい具体的にどこなのさ? その私が「歪めて」いるという部分を引用してもらおうかね。
>「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じものでない」と述べているにもかかわらず、「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じであることを前提として(ここ歪めとるがな)成立する論理、「比類なき先言の<私>)を『論考』の思想に依拠して、無意味だと論証した」と主張しとるわけや。 >紛れもない藁人形論法2やろ。
「「比類なき先言の<私>」と『論考』で示されている形而上学的主体は同じであることを前提として(ここ歪めとるがな)成立する論理、」
とは、具体的にどこを指して言っているのかな? 私は、そんなことを全く前提になどしていないって、何べん言えばわかるの。 ほれ具体的に示しなさい。どこやねん?ほれほれ。
ま、あとはどうでもよい君の独断なので無視するということで。
以上。
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