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No18177 の記事


■18177 / )  Re[46]: 〈私〉についての議論
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2021/11/02(Tue) 18:52:14)
    以下は、主にパニチェさん以外に私のレスを読んでくださっている方(がいるとして)に向けて、少し補足しておきます。
    私が今回、どうせ理解されないだろうな〜という思いをもちながらレスしてしまったひとつの要因は、パニチェさんとpipitさんとの、このトピにおけるやりとりを読んだからです。

    パニチェさんは、pipitさんの理解が得られないことについて次のように述べています。

    No17554
    > 余計なお世話かもしれませんが、ありとあらゆる先入観や想像を取っ払ったところからでないと〈私〉を知ることは厳しいと思います。
    >普通は言葉の言い換えや未知のものを既知にあてはめて理解しようとしますが、〈私〉に関してはそうすればそうするほど遠のいていくような存在です。

    このpipitさんの無理解について、私は異なる意見をもっています。
    どういうことか説明します。
    例えば、やりとりにおける次のパニチェさんの発言を見てください。

    No17546
    >> 〈私〉は、パニチェさんの意識から論理的に導かれた、形而上学的主体ではないのですか?
    >いえ、意識から論理的に導き出すような存在ではないです。
    導き出す必要も、見出す必要もない、もともとあるがままにあるものです。
    >「形而上学的主体」という表現はパニチェ的には〈私〉には合いません。
    >あくまでも形而下的存在、存在者の存在そのものです。

    No17539
    >〈私〉は位置情報によっても指定は不可能です、そもそも〈私〉は日常的に使う世界の中には含まれませんから、〈私〉の位置は世界の中にはなく世界の外になります。

    パニチェさんは、一方で〈私〉は世界の外に位置すると言い、他方で、「形而上学的主体」ではなく、形而下的存在、存在者の存在であると述べています。
    きちんと哲学を勉強された方ならわかるように、これは明らかに不整合な発言です。
    辞典を見てもらえば明らかですが、形而下的存在、存在者の存在であれば、時空内存在を意味しますし、時空を超えた存在であれば、形而上的存在です。
    先に引用した
    >言語学習をする主体者にして、言語学習以前に存在する〈私〉のこと
    というのも明らかに時空内存在です。
    後で引用する文章では「世界の端っこに位置し」ているとされています。
    「部屋の端っこ」って、「部屋の外」でしたかね?

    このような指摘に対して、仮に
    >普通は言葉の言い換えや未知のものを既知にあてはめて理解しようとしますが、〈私〉に関してはそうすればそうするほど遠のいていくような存在です。

    などと言ったところで、無理というものです。
    つまり、パニチェさんの言説は、重要なポイントで不整合な発言が多いわけです。
    したがって、理解不能なのは、当然至極なのです。
    理解できないpipitさんに罪は全くありません。
    もし仮に罪があるとしたら、pipitさんが、パニチェさんの考えが整合的であろうという前提で解釈しようとしたことにあります。
    そうではないのです。
    パニチェさんの述べておられるのは不整合きわまりないしろものであり、本来、「原理的に理解不可能」なのです。
    ……あれ?パニチェさん自身がまさにそう言ってたっけ?(笑)

    >pipitさんへ

    今回のレスは、私が勝手に擁護しただけで、あなたにとって言わずもがななことを述べて、あなたを困らせることは全く本意ではありません。全く空気を読まない奴でほんとうにすみませんm(__)m
    だから、仮に読んだとしても、レスは要りません。完全スルーでけっこうですよ!

    *******************

    この文章を読んでくださっている方の参考になるように、もうひとつおまけ。
    次はパニチェさんの主張です。

    ><私> の哲学
    >11.頽落
    >『私が存在している地点は、世界の他のどの地点と比較することもできないような特異点である。(パニチェ)』

    >地点とは時間的な地点と空間的な地点の両方を含みます。
    >私が特異点に存在する理由のひとつとして、他者も物質も(私の手足や胴体も)私から見た世界の中に位置するが、私自身は世界の中には位置しておらず、(私の目や、世界を感じ取る主体は)世界の端っこに位置し、そこから世界を見たり五感を通して感じている。

    『論考』の命題 T.5.63-5.634 を素直に読んでみられれば、
    まさに、上の引用に示された考えが否定されていることがわかるでしょう。

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