□投稿者/ パニチェ -(2021/10/14(Thu) 21:35:41)
| 2021/10/14(Thu) 21:39:25 編集(投稿者)
レスありがとうございます。 以下、忌憚なく返信させてもらいます。
■No17543に返信(pipitさんの記事)
> >>〈私〉を『意識』に変えても、通じそうと思いました。 > >>意識は、言語に先立って存在するものなのだ。って。(^ ^)
>>これは全く違いますし、〈私〉は意識ではありません。 >>意識って万人に共通しますよね?〈私〉は万人には共通しません、それが〈私〉の本質です。 >>だから一般化してしまう言語では伝われないということです。< > 〈私〉は、パニチェさんの意識から論理的に導かれた、形而上学的主体ではないのですか?
いえ、意識から論理的に導き出すような存在ではないです。 導き出す必要も、見出す必要もない、もともとあるがままにあるものです。 「形而上学的主体」という表現はパニチェ的には〈私〉には合いません。 あくまでも形而下的存在、存在者の存在そのものです。
気付くか気付かないか?ってな存在です。 気付かない人もあるがままにある。 (厳密には他者の〈私〉とは違いますけど)
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