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■12686 / inTopicNo.25)  Re[19]: 大規模検査の必要性
  
□投稿者/ rest -(2021/05/15(Sat) 21:23:20)
    2021/05/15(Sat) 21:26:18 編集(投稿者)
    No12514に返信(restさんの記事)
    > ■No12357に返信(restさんの記事)
    >>■No12315に返信(restさんの記事)
    > >>■No12253に返信(restさんの記事)
    >>>>2021/04/29(Thu) 11:08:38 編集(投稿者)
    >>>>
    >>>> 今年2月に政府専門家会議に提出された報告書には、PCR検査を行う国内施設を調査した結果、陽性検体を陽性と判定する確率は99.4%〜99.8%だったと報告されている。つまり偽陽性は著しく少ない、ということがわかる。
    >>>> さらに日本医師会の有識者会議特別チームでは、感染していない人を陰性と判定する確率は99%以上とされている。つまり偽陰性も著しく少ない、ということを示している。
    >>>> これらのことから偽陽性、偽陰性を理由にPCR検査の大規模検査に反対する根拠はないことがわかる。大規模PCR検査を通して、できれば全数検査を通して陽性患者を早めに発見し、保護隔離することによって市中感染を防ぐことができる。
    >>>> ある少数政党の政策だからといって偏見でみるのではなく、国民の命を守るという視点から大胆に採用してもらいたいものだ。この手法は共有財産だと思う。
    >>>> 国民の自粛疲れに応えるものとして大規模検査を期待したい。
    > >>
    > >>自己レス。大規模なワクチン接種で感染を防ぐことができる、と勘違いしているようだ。イスラエルで感染が激減したのはワクチン接種によるのではなく、ロックダウン(都市封鎖)の影響によるものといわれている。ワクチンは発症予防効果は約95%と報告されているが感染予防効果は明確ではない。ワクチン接種しても感染はするが重症化はしない。だから感染を防ぐということではない。ワクチン接種後もマスク着用が必要ということのようだ。
    > >> それに対して大規模なPCR検査をすれば早めに症状のない陽性患者を保護隔離し、市中感染を防ぐことができる。感染予防効果はワクチン接種よりも大きい、といえる
    >>
    >> 自己レス。人流抑制いわば自粛との比較でいうと、いくら自粛といっても感染源を断つということはできない。感染源を温存したまま自粛解除するのですぐまた感染がひろがっていく。このくりかえしだ。第4波が来ているのもその証拠だ。
    >> それに対して大規模なPCR検査は感染源を断つことができる唯一の方法だ。
    >> 今日は憲法記念日、コロナ下で私的権利の制限としての公共の福祉と営業の自由、あるいは個人の自由のバランスをどうとるかで問題になっている。自粛ではどうしてもそうなるが、大規模なPCR検査では私的権利の制限は不必要になる。だから憲法上の矛盾は生じない。
    >
    >  自己レス。PCR検査を受けた。その結果陰性と判明した。唾液の採取による方法なのでいたって簡単だ。そこで考えた。中国で感染状況が収まったのはワクチンのせいなのか、それとも大規模なPCR検査によるものなのか。明らかに後者だろう。無論ワクチン(米国製)の接種は必要だと思う。症状の予防効果はある。しかし感染の予防効果は明確ではない。実際某県では病院関係者がワクチン接種したものの数名感染していたというニュースがあった。

    自己レス。N501Y変異株についてPCR検査に大部分は陽性反応で出るようです。

     https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2551-lab-2/10354-covid19-45.html

     207128例のうち、N501YはPCR検査で陽性が12,886例あり、また4,889例が陰性として報告された。偽陰性のリスクがあるということになる。
     偽陽性や偽陰性のリスクと、偽陽性や偽陰性のリスクを考えて何もやらないで感染拡大を放置するリスクと比較してどちらがリスクが大きいかを考えてみる。何もやらないで感染拡大を放置するリスクのほうが大きい。危機管理は最悪の状態に備えるというのが基本だ。すると大規模PCR検査の必要性が一定程度認識できるのではないか。
引用返信/返信 削除キー/
■12653 / inTopicNo.26)  Re[26]: 覚醒
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/15(Sat) 08:02:28)
    2021/05/15(Sat) 10:24:28 編集(投稿者)

    おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。

    No12651に返信(田秋さんの記事)
    > おはようございます、パニチェさん

    > 2B弾というのが昔あったのですがご存じですか?長さ5センチ位、鉛筆くらいの太さの爆竹のようなものです。おもちゃ屋で売っていました。

    知ってます。^^

    > 子どもと言うものは結構残酷で、その辺にいるががんぼを捕まえて足を全部取っちゃうとかミミズを半分にちぎってどちらが生きるんだろうとか、コガネムシの柔らかい羽根を取って(これがないと飛べません)コガネムシが硬い羽根で飛ぼうとしているのを見て楽しむとか、そういうことを平気で(無邪気に)やっていました。
    >
    > 正確な時期は忘れましたが小学校の3〜4年生の頃、カエルの口に2B弾を突っ込み火をつけたことがあります。結果、頭が吹っ飛んでいました。
    >
    > この瞬間のことは今でも覚えています。
    > 「こういうことをやってはいけないのだ」
    > 以後無益な殺生を禁止し、今に至るまでずっと守っています。

    > 禅宗の本などに「たちまち大悟する」という言葉が出てきます。今思うとあの時命の大切さを「たちまち大悟」したのかな〜って思ったりします。

    > 違うかな^^

    あはははは。
    漸悟(ゆっくり悟りに至る)対する頓悟(すばやく悟りに至る)ですね。^^

    > 懺悔
    > 畑でムカデが出てくると反射的に殺してしまいます。あと、ナメクジみつけると塩かけちゃいます。

    > 全然大悟してませんね。大体無益な殺生たって、殺生される側からみたら酷い自分本位に見えるでしょうね。

    > m(_ _)m

    今でも蚊は殺しまくっています。
    蚊の命とそこいらいにいるペットのワンコの命は同等だとは思いますが。。。(笑)
引用返信/返信 削除キー/
■12651 / inTopicNo.27)  覚醒
□投稿者/ 田秋 -(2021/05/15(Sat) 06:37:01)
    おはようございます、パニチェさん

    2B弾というのが昔あったのですがご存じですか?長さ5センチ位、鉛筆くらいの太さの爆竹のようなものです。おもちゃ屋で売っていました。

    子どもと言うものは結構残酷で、その辺にいるががんぼを捕まえて足を全部取っちゃうとかミミズを半分にちぎってどちらが生きるんだろうとか、コガネムシの柔らかい羽根を取って(これがないと飛べません)コガネムシが硬い羽根で飛ぼうとしているのを見て楽しむとか、そういうことを平気で(無邪気に)やっていました。

    正確な時期は忘れましたが小学校の3〜4年生の頃、カエルの口に2B弾を突っ込み火をつけたことがあります。結果、頭が吹っ飛んでいました。

    この瞬間のことは今でも覚えています。
    「こういうことをやってはいけないのだ」
    以後無益な殺生を禁止し、今に至るまでずっと守っています。

    禅宗の本などに「たちまち大悟する」という言葉が出てきます。今思うとあの時命の大切さを「たちまち大悟」したのかな〜って思ったりします。

    違うかな^^

    懺悔
    畑でムカデが出てくると反射的に殺してしまいます。あと、ナメクジみつけると塩かけちゃいます。

    全然大悟してませんね。大体無益な殺生たって、殺生される側からみたら酷い自分本位に見えるでしょうね。

    m(_ _)m

引用返信/返信 削除キー/
■12643 / inTopicNo.28)  Re[24]: 筏の喩え
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/14(Fri) 21:39:01)
    2021/05/15(Sat) 05:41:05 編集(投稿者)

    こんばんは、tollさん。レスありがとうございます。
    “パニーチェ様”ってのは、背中がこそばいので“パニさん”か、呼び捨ての“パニ”でお願いします。

    No12618に返信(tollさんの記事)
    > パニーチェ様は仏教全般に明るいのでしょうね

    仏教も広く浅くで、明るいなんて言えるレベルではありません。^^;

    > 前回
    > 「筏の喩」についても調べていて載せようかと思ってたのですが
    > 長くなるので止めましたがこういう事だったのですね

    > ーー引用始めーー

    > 釈迦の説いた筏の喩とは、総ての教えは筏であり、悟りを開く手段であるという事であった。
    > この筏とはバラモン教でもよいし、キリスト教でもイスラム教でもよい。もしかしたらオウム真理教でもよいし、エホバの証人でもよい、当然日本の神道でもよい、儒教でもよい。
    > これらは総て筏であり悟りを開く手段であると説いたのである。

    > (中略)

    > 人間が五感から感じる悟りは総て無であり、五感から悟る真実は、総て固定的なものであり、それに執着したときにもはや真実ではないと説いたのである。
    > この考えでは釈迦の説いた無分別智でさえも、人間がその考えに執着したときにもはや無分別智では無くなるのである。
    > 例えば仏教で禁じられている殺生や性生活でさえ、釈迦はそのような事を言った事は無く、例え言ったとしても、それはガンジス川を渡るための筏に過ぎない。釈迦はこのような教条主義を最も嫌ったのである。

    > (中略)

    > このように、釈迦はこの筏の喩えで我々が真理であると思った時、それはもはや真理ではないと言ったのである。
    > なぜなら真理とは永遠のものではないからである。永遠の真実であると思った瞬間、その真実は虚偽となるのである。
    > ーー引用終わりーー

    > ttp://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/syaka42.html

    引用ありがとうございました。少し気になるのは最後の結論っぽいところです。
    何かに固執(執着)するということは固執する主体、つまり我を立てることになり、そうすると悟りから遠ざかってしまうので法門にさえ固執してはいけないってことだと思います。

    私は覚者ではないので、これは書籍やそれなりの人からの受け売りですが悟った後の修行の方が大変らしく、悟ったことすら捨てることが難しい、さらに体得した実相と日常があまりにかけ離れているので、せっかく悟って身綺麗になっても日常で汚れてしまい、その落差というか葛藤が大変みたいです。

    あと如来蔵思想(大乗起信論)や金剛般若経では真如や実相は般若心経の六不(不生不滅、不垢不浄、不増不減)の如く永遠不滅の全体運動(全体性)らしく少し引用の結論とは趣が異なります。

    > 昔『正法眼蔵』を読み始めた事がありますが
    > 直ぐに挫折しました^^
    > 道元禅師が中国に渡って「椎茸和尚」と出会った時の
    > エピソードが好きです
    > そのせいか『典座教訓』は読むのが楽しいですね
    > 勿論 どなたかの解説で読みますが^^
    > 少し引用しますーー
    > 【食事をつくることも修行である】

    > 「若き日の道元は、「人間にはもともと仏性がそなわっているのに、わたしたちはなぜ修行をするのか」という問いを胸に抱き、仏法を学ぶために宋へ渡りました。宋の禅宗寺院において彼が体験し感激したことは、禅仏教というものが「生活禅」だということの発見です。僧堂で坐ることだけでなく、日常生活のすべてが修行だということへの気づきです。これについての道元の体験の一つが、『典座教訓(きょうくん)』に記されています。」
    >  
    > ■『NHK100分de名著 道元 正法眼蔵』より
    > https://textview.jp/post/culture/26998

    見性体験(“底が抜ける”とか“目が開く”と言うそうです)というのは禅定には限らない。
    例えば日常的な作務の最中に底が抜けることもあるそうで、私たちも順序通りの単純作業や何かに集中している時には忘我になります。
    これが三昧に近いらしく“スコン!”と底が抜けることがあるそうです。
    あと正法眼蔵は90巻以上あり、膨大過ぎてなかなか全巻読破は難しいです。
    禅文化学院の『現代訳 正法眼蔵』は十数巻を抜粋したコンパクトで読みやすい書籍でした。

引用返信/返信 削除キー/
■12618 / inTopicNo.29)  筏の喩え
□投稿者/ toll -(2021/05/13(Thu) 22:32:20)

    パニーチェ様 レスありがとうございます

    パニーチェ様は仏教全般に明るいのでしょうね


    前回
    「筏の喩」についても調べていて載せようかと思ってたのですが
    長くなるので止めましたがこういう事だったのですね


    ーー引用始めーー

    釈迦の説いた筏の喩とは、総ての教えは筏であり、悟りを開く手段であるという事であった。
    この筏とはバラモン教でもよいし、キリスト教でもイスラム教でもよい。もしかしたらオウム真理教でもよいし、エホバの証人でもよい、当然日本の神道でもよい、儒教でもよい。
    これらは総て筏であり悟りを開く手段であると説いたのである。

    (中略)

    人間が五感から感じる悟りは総て無であり、五感から悟る真実は、総て固定的なものであり、それに執着したときにもはや真実ではないと説いたのである。
    この考えでは釈迦の説いた無分別智でさえも、人間がその考えに執着したときにもはや無分別智では無くなるのである。
    例えば仏教で禁じられている殺生や性生活でさえ、釈迦はそのような事を言った事は無く、例え言ったとしても、それはガンジス川を渡るための筏に過ぎない。釈迦はこのような教条主義を最も嫌ったのである。

    (中略)


    このように、釈迦はこの筏の喩えで我々が真理であると思った時、それはもはや真理ではないと言ったのである。
    なぜなら真理とは永遠のものではないからである。永遠の真実であると思った瞬間、その真実は虚偽となるのである。
    ーー引用終わりーー

    ttp://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/syaka42.html




    昔『正法眼蔵』を読み始めた事がありますが
    直ぐに挫折しました^^
    道元禅師が中国に渡って「椎茸和尚」と出会った時の
    エピソードが好きです
    そのせいか『典座教訓』は読むのが楽しいですね
    勿論 どなたかの解説で読みますが^^


    少し引用しますーー


    【食事をつくることも修行である】

    「若き日の道元は、「人間にはもともと仏性がそなわっているのに、わたしたちはなぜ修行をするのか」という問いを胸に抱き、仏法を学ぶために宋へ渡りました。宋の禅宗寺院において彼が体験し感激したことは、禅仏教というものが「生活禅」だということの発見です。僧堂で坐ることだけでなく、日常生活のすべてが修行だということへの気づきです。これについての道元の体験の一つが、『典座教訓(きょうくん)』に記されています。」
     
    ■『NHK100分de名著 道元 正法眼蔵』より
    https://textview.jp/post/culture/26998
引用返信/返信 削除キー/
■12604 / inTopicNo.30)  Re[22]: 日蓮
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/12(Wed) 21:27:29)
    こんばんは、tollさん。レスありがとうございます。

    No12577に返信(tollさんの記事)

    > ご説明 とても判りやすく大変参考になりました
    > 感謝申し上げます

    どういたしまして。それは良かったです。
    以下は忌憚なく私の思うところを返信させてもらいますが、説明は省略し結論めいたことだけカキコしますので興味がなければスルーして下さい。

    > 人類は宇宙も見ちゃった
    > 天の何処にも「神様」なんて者は居ないのも見てしまった
    > 天国・極楽・浄土なんてものも、何処にも無いことを見てしまった
    > 輪廻転生で生まれ変わるなんて事も科学じゃあり得ない事が判ってしまった
    > そういう【お伽話の時代】はもう終わった

    科学(唯物論)によって神は葬られ、量子力学によってラプラスの悪魔も葬られた。
    神やラプラスの悪魔は葬られても、唯物論や自然の斉一性の網にはかからない〈私〉はいまここにある。
    〈私〉は数式はもちろん、言語によっても記述不能であり、逆説的に言えば世界の起点は独在論的〈特異点〉であり何ものも寄せ付けない。

    > あらゆる宗教は「一なるもの」の 根源的体験 から出てきていて
    > しかしそれを伝承していくためには、組織として存在するかなく
    > それぞれのドグマや行として伝えてきたのだが
    > それもやがては形骸化して力を無くしてきているのが現実
    > 宗教は常に、この 原点に立ち帰ろう としては
    > 進化してきたもの
    > バラモン教から釈尊が進化を遂げさせ
    > ユダヤ教からイエスが進化を遂げさせてきた

    同意。ルターも龍樹も然りですね。

    > 原始仏教が釈尊の原点から離れてしまえば
    > また大乗で元に戻そうとした
    > 釈尊にしてもイエスにしても、道元にしても親鸞にしても
    > みんな 宗教をぶっ壊し に現れた賢人

    > 未熟な人類には宗教は 必要悪だ とも云われているが
    > しかし、人類は未だに宗教を必要として居るし
    > それしか今の処方法が無いから
    > 兎に角【道】を持つという方法もあるということなのかもしれない

    原始仏教では教義(法門)も乗り物であり、目的に至れば捨て去るものと説いています(筏の喩)。
    多分世界のどの宗教にもない仏教独特の発想だと思われます。
    人類が神を求める間はニーチェが語った大いなる正午(超人の時)は遠いです。

    > 日蓮正宗から袂を分かった(控えめな言い方^^、、)創価学会の信者には
    > ティナ・ターナー、ハービー・ハンコック、オリビア・ニュートン・ジョンがいて
    > 超強力な宣伝塔になってますね

    > こういうものが観れますね
    > ( ティナ・ターナーは辛い人生を送った後のことで、人それぞれの理由がありますから)
    > 学会についての展開を望んでいる訳ではありません
    > 単純に音楽的に興味があるだけで^^
    > ↓コレを貼りますが観ない選択もあります

    > Tina Turner Chant "Nam-Myoho-Renge-Kyo"
    > https://youtu.be/Yf1YfZefBrk

    創価学会がやってる勤行ですね。十如是が説かれる方便品第二です。

    > 南無妙法蓮華経
    > Tina Turner - Nam Myoho Renge Kyo (2H Buddhist Mantra)
    > https://youtu.be/isXLBHCDo4Y

    これはさすがに長いので全部は見ていませんが、方便品第二&自我偈が説かれる如来寿量品第十六でしょうか。
    音楽に乗せて読誦してるんですね。

引用返信/返信 削除キー/
■12583 / inTopicNo.31)  Re[24]: 日蓮
□投稿者/ アートポット -(2021/05/12(Wed) 16:47:09)
    他力本願ですね
    スミマセン
引用返信/返信 削除キー/
■12582 / inTopicNo.32)  Re[23]: 日蓮
□投稿者/ アートポット -(2021/05/12(Wed) 16:36:13)
    失礼しました

    前言は、ぼやき、と思ってスルーしてください

    ニーチェクラブに居れば、頭も良くなってドンドン得する人生に
    なるんじゃって期待しちゃってます
引用返信/返信 削除キー/
■12578 / inTopicNo.33)  Re[22]: 日蓮
□投稿者/ アートポット -(2021/05/12(Wed) 11:36:29)
    自分は、アメリカが日本にもたらした民主主義が好きで
    現実でシアワセになりたいので思想も日蓮系に近いのですが
    亡くなった母親が浄土系の時宗で、父親の実家は浄土真宗、
    婿養子なので家族全員、時宗、で母の実家の近所は時宗の方々が
    多いのですが、皆さん一家に一人は統合失調症の人が居て
    あまりにも奇妙で、これは四箇格言なんでしょうかねえ

    いや、ちょっと気になったので
引用返信/返信 削除キー/
■12577 / inTopicNo.34)  Re[21]: 日蓮
□投稿者/ toll -(2021/05/12(Wed) 09:14:51)

    横レス失礼します


    No12572に返信(パニチェさんの記事)


    ご説明 とても判りやすく大変参考になりました
    感謝申し上げます


    >まぁ今もそうですがいつの時代にも先行している伝統仏教というのは権威主義になったり形骸化したり堕落したりしてますから(例外なくこれも諸行無常だと思います)、後発の新宗派として既存仏教との差別化は必要だったんだと思います。



    これは自分で納得いった解説や個々の人の意見から纏めてみたので
    大部分が受け売りなのですが
    私の意見として書かせて頂きました




    人類は宇宙も見ちゃった
    天の何処にも「神様」なんて者は居ないのも見てしまった
    天国・極楽・浄土なんてものも、何処にも無いことを見てしまった
    輪廻転生で生まれ変わるなんて事も科学じゃあり得ない事が判ってしまった
    そういう【お伽話の時代】はもう終わった

    あらゆる宗教は「一なるもの」の 根源的体験 から出てきていて
    しかしそれを伝承していくためには、組織として存在するかなく
    それぞれのドグマや行として伝えてきたのだが
    それもやがては形骸化して力を無くしてきているのが現実

    宗教は常に、この 原点に立ち帰ろう としては
    進化してきたもの

    バラモン教から釈尊が進化を遂げさせ
    ユダヤ教からイエスが進化を遂げさせてきた

    原始仏教が釈尊の原点から離れてしまえば
    また大乗で元に戻そうとした
    釈尊にしてもイエスにしても、道元にしても親鸞にしても
    みんな 宗教をぶっ壊し に現れた賢人

    未熟な人類には宗教は 必要悪だ とも云われているが
    しかし、人類は未だに宗教を必要として居るし
    それしか今の処方法が無いから
    兎に角【道】を持つという方法もあるということなのかもしれない




    日蓮正宗から袂を分かった(控えめな言い方^^、、)創価学会の信者には
    ティナ・ターナー、ハービー・ハンコック、オリビア・ニュートン・ジョンがいて
    超強力な宣伝塔になってますね

    こういうものが観れますね
    ( ティナ・ターナーは辛い人生を送った後のことで、人それぞれの理由がありますから)
    学会についての展開を望んでいる訳ではありません
    単純に音楽的に興味があるだけで^^
    ↓コレを貼りますが観ない選択もあります

    Tina Turner Chant "Nam-Myoho-Renge-Kyo"
    https://youtu.be/Yf1YfZefBrk

    南無妙法蓮華経
    Tina Turner - Nam Myoho Renge Kyo (2H Buddhist Mantra)
    https://youtu.be/isXLBHCDo4Y











引用返信/返信 削除キー/
■12572 / inTopicNo.35)  Re[20]: 日蓮
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/11(Tue) 21:05:06)
    2021/05/11(Tue) 22:15:05 編集(投稿者)

    No12566に返信(田秋さんの記事)

    こんばんは、田秋さん。レスありがとうございます。
    道元禅師の次が日蓮聖人なら、最後は白隠禅師あたりでしょうかねぇ〜。

    日蓮聖人は他宗派を批判した四箇の格言「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」が有名ですね。
    まぁ今もそうですがいつの時代にも先行している伝統仏教というのは権威主義になったり形骸化したり堕落したりしてますから(例外なくこれも諸行無常だと思います)、後発の新宗派として既存仏教との差別化は必要だったんだと思います。

    日蓮は多くの宗派に分かれていることに疑問を感じ「釈尊の本位はどこにあるのか」を究めようようとし法華経に行きつきました。よく言えば革命家または原点回帰、悪く言えば少し過激(排他的)な原理主義者で、「立正安国論」は法華経(正法)に帰依することによって日本は理想的な仏国土となるという政治的な要素のある書で、田秋さんが共感される現実的な活動家でもあったように思います。

    あと宗派が起こったり流行ったりするのは時代背景の影響も強く、例えば浄土系仏教が民衆の間で広がったのは飢餓や飢饉のため明日の食い扶持すらままならない時代にあっては、庶民は学究や修行などできるはずもなく、ただ合掌して念仏を唱えるくらいしかできなかった農民の間で広がりました。

    日蓮聖人は飢餓や飢饉、疫病や災害が繰り返されるのは法華経に帰依せず、邪宗を重んじているためだと「立正安国論」で訴え、さらなる国難を予言したために迫害されます(伊豆流罪)。

    法華経はよく言えばマントラ的な要素(言葉の呪術性)まで取り入れた大乗仏教の集大成ですし、悪く言えば釈尊を極限まで神格化したSF小説みたいな大乗仏典です。
    仏教系の新宗教は日蓮宗から派生した新宗教が多く、宗派によって法華経の読み方や解釈が異なります(一致派と勝劣派)。身延山から袂を分かった日蓮宗の分派として日蓮本仏論を唱える富士門流(日興門流)があり、創価学会は発足当初はこの檀家組織でした。
    あと法華経&日蓮系の有名どころでは立正佼成会や霊友会などなどがあります。

    田秋さんが指摘される通り、心に染み入るような称名とは違って唱題は太鼓も入って妙法蓮華経に帰依(南無)する決意表明の如く力強く賑やかです。

引用返信/返信 削除キー/
■12566 / inTopicNo.36)  日蓮
□投稿者/ 田秋 -(2021/05/11(Tue) 08:12:22)
    2021/05/11(Tue) 11:12:26 編集(投稿者)

    おはようございます、パニチェさん

    道元の次は日蓮の講義でした。教科書読んで講義を聴いて日蓮に抱いたイメージは《過激な新興宗教の教祖》です。法華経以外の宗派は全て否定、政治と仏教は結びついていましたから、当然権力にも歯向かい、島流しになったり殺されそうになります。そういう受難も来るべき幸福のための肥やしと捉えます(プラス志向!)。また釈迦は無限の過去から存在するものとしています(釈迦の神さま化?)

    ボクはついていけないと思いました。ただ一つ、法然、親鸞などが衆生を極楽浄土で成仏させようとしたのに対し、日蓮はこの世を理想の仏国土にすることを目標にしたのですね。ここには大変共感を覚えます。西方浄土に逃げず(?)にこの世を理想のものにしようする考え方は大賛成です。もしこれが日蓮の最終目標だったのなら、ボクは日蓮宗に宗旨替えしなきゃいけないのかも?

    あと、一度だけ法華経のお葬式に参列したことがありますが、大変お賑やかで好感が持てました。
引用返信/返信 削除キー/

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