| 2021/03/13(Sat) 10:10:46 編集(投稿者)
おくたがわさん、面白い動画の紹介をありがとうございました。 以下は好き勝手に思ったことをカキコします。
受動意識仮説はありえるとは思いますが、結論から言えば自由意志の有無も含めてペンディングです。 時間のカットや後付け解釈は支持します。
エピソード記憶を形成するために意識が生じたという仮説は疑問です。 理由は次のような点です。
ゴキブリの迷路学習はエピソード記憶ではなく意味記憶と考えるのか? そうなるとエピソード記憶と意味記憶の線引きはどこにとるのか?
個人的にはエピソード記憶というのは言語的な記憶(言語的に保存され再現される時に映像化される)であり、その根拠としては物心がつく時期と言葉を習得する時期がかぶるということ。
霊長類にもエピソード記憶を認める見解には賛成で言葉とは言語に限らず、ボディーランゲージも含まれるということ。意識と無意識がグラデーション的であるように、動物や脳の構造の違いによる意識と無意識も境界とか境目というものがない。よってエピソード記憶と意味記憶、手続き記憶も明確に分別できるようなものではないのではないか?(言葉によるラベリングに翻弄されているだけはないのか?)
ロボットに意識が生じるのかについては如何にも唯物論的な考え方。 意識やクオリアを有する人間と哲学的ゾンビに差異はないという発想は、1980年のジョン・サールによる「中国語の部屋」への代表的な反論として既に論じられており目新しくはない。哲学について触れているにもかかわらず「意識」とか「クオリア」は論じるが、〈私〉については全く考察されていない。
東洋哲学との親近性は無我(相依性縁起と無自性)と受動意識仮説の共通性にあると思いますが、今のところパニチェは初めに〈私〉がありきで、そこから意識やクオリア、言語やエピソード記憶が形成される(纏わる)と考えています。
ニューロンの発火がある一定範囲に及んだ時に意識的活動となるというのはフランシス・クリック&クリストフ・コッホによる「意識ガンマ波説」と同じですね。 詳しくは。。。 「Panietzsche Room > 探究 > 脳科学 > 4.意識のガンマ説」にまとめてあります。
無我と非我については別の機会に。。。^^
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