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■11485 / inTopicNo.25)  Yahoo!掲示板 哲学全般カテ
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/21(Sun) 08:04:10)
    2021/03/21(Sun) 20:15:45 編集(投稿者)

    おはようございます、pipitさん。レスありがとうございます。

    No11480に返信(pipitさんの記事)

    > こんばんは、返信ありがとうございます!
    > 私が禅(やニーチェ)が怖いのは、2つあります。
    > 世俗的なことと、勝義のことと。
    > 世俗的なことを言えば、禅やニーチェには、すごく怒られそうで怖いです。(pipitの精神年齢子ども〜)
    > 勝義は、私の今の時点の想像では、怖さが出ます。
    > パニチェさんは、探究はワクワクすると前におっしゃられていました。
    > 私は余計なことを多分無意識にでも考えてか、こわさが湧く時があります。

    なるほど。私の場合は怖いというよりもニーチェだけでは尖がり過ぎるように思え、劇薬を仏教で中和しているような感覚はあります。
    逆に仏教だけでは私の性分からすると真っ当過ぎて取っつきにくいって感じはします。
    ニーチェも仏教もある種の指針(灯明)にはなっています。^^

    > 転法祖師さま、仏教を深くご存知なんだろうなぁと思っています。
    > 転法さんやパニチェさんが活発に対話されていた時の掲示板はめちゃめちゃ面白かっただろうなぁと想像します。見たかったなぁ(o^^o)
    > 難し過ぎてほとんど理解できないと思いますけど(^^;;

    転法祖師は初期仏典から大乗仏教まで詳しいですよ。仏教に限らずオールラウンダーです。
    ロムしてた人がいたかどうか、いたとしても面白かったかどうかはともかく、転法祖師との500回以上に及ぶレス交換は本当に楽しかったです。

    個人的には転法祖師vs科学教梵梵法主の教外別伝に関する法論や、転法祖師vs鰯の頭教教祖の無常宗(転法祖師がネット上で開宗した宗派)の教義に関するレス交換はめちゃめちゃ面白かったです。

    あと論理学のパンドラ先生やおくたがわさん、物理に詳しいノイズマンさん、哲学はixtlanさんをはじめ、無縁さんやエフニさん、KIDAMASAさんやget953さん、キティさん、仏教は善財さんや鯛味噌さん、愚さんや東山寺さん、ゴウさんやヤマガタさん、キリスト教はいい夢さんやクラリンさんや名もなきさん、進化論はプロテインさんや地下猫さん、月蛇さん、あと個性的な豚麻呂やカズマさん、ダンザさんやktsurutさん、リトさんやセキバさん、ウィズダムハイパーさんやヘボタロウさん、イギモッセさんやディディモさん、などなど、まだまだいましたが、ほんと個性的というか魑魅魍魎というか奇人変人が跋扈していたカテでした(笑)。

引用返信/返信 削除キー/
■11488 / inTopicNo.26)  Re[9]: 脳科学について
□投稿者/ rest -(2021/03/21(Sun) 12:31:41)
    No11413に返信(restさんの記事)
    >  脳科学は科学といえるか。大脳機能の局在論と全体論で対立が続き、決着がついていないことが根拠。
    > 1920年代米国のKarl Lashley博士はラットの迷路記憶後、大脳皮質を破壊した。脳のどこを壊したかではなく、脳をどれだけ壊したかに相関して、記憶の消失が生じることを示した。記憶の海馬説(局在論)に対して全体論の立場である。
    >  てんかんの手術で脳の右半分失った3歳男子のニコや11歳の子供ブルックスは左半分を切除後、正常な心や精神の機能を保っていたという全体論のケースもある。
    > 高次機能をもった自我や自由意志を脳のどこかに局在しているとみるか、あるいは脳全体の総合的な働きとみるかの対立もある。
    >  リベットの実験では脳の第二次運動野を中心に準備電位を記録しているので局在論の立場のようだ。

    無意識も脳の働き、意識も脳の働きと考えれば、脳全体の総合的な働きとして自我や自由意志があるように思える。何かを決断する時の動機は無意識から生じるし、思考は意識、無意識の相互作用にも思える。私は何か考え込んでながい間考えて結論がでない場合、ある日忽然とひらめくことがある。考えるという意志がないと無意識からくるひらめきもないのではないか。意識、無意識の双方で思考しおり、全体として自我や自由意志が成立しているのではないか。
    リベットの実験も意識が決断する0.35秒前に準備電位の反応があるというのも決断の前の動機形成という意味ではないか、強い動機だと打消すのが難しいが弱い動機だとつまりそれを打ち消すような別の動機があれば選択することができる。それを打ち消す動機が0.35秒前より後に準備電流が生じるので、つまり打ち消す動機が順序としてあとだから、打ち消すことができる。動機も含めれば自由意志は脳全体の働きとして存在しているように思える。
引用返信/返信 削除キー/
■11526 / inTopicNo.27)  Re[7]: ふと
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/22(Mon) 20:24:54)
    私が乳幼児の頃、「キリスト教」とか「仏教」とか「科学」っていうのあったのかしら?
引用返信/返信 削除キー/
■11700 / inTopicNo.28)  遺伝子決定論と自由意志
□投稿者/ rest -(2021/04/03(Sat) 21:57:18)
    遺伝子決定論と自由意志の関係について論じているのが

     https://www2.med.osaka-u.ac.jp/eth/OJ_files/OJ1-1/shimoda1.html

     ttp://www.meijigakuin.ac.jp/~katos/katos_2007_Idenshi_Ketteiron

     4つの塩基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン、という4種類)の文字配列が30億もあり、そのうちの70%が非遺伝子であり、30%が遺伝子。22000個の遺伝子があり、30%のうち3%がコード遺伝子、27%が非コード遺伝子。コードとは塩基配列をたんぱく質を構成するアミノ酸に変換するのに対応した暗号。DNAはRNAを橋渡しとして10万種類のたんぱく質をつくる。それが私たちの身体のすべての働きを担っている。
     カント的にいえば欲望の器官を規定する遺伝子の決定に対して、我慢することを通して遺伝子のままにならないという選択肢をつくりだすことによって選択の自由を得ることができる。第三アンチノミーにおける決定論的自然因果性の克服こそが自由意志の証明になる。こういう展開があってもいいのではないか。
引用返信/返信 削除キー/
■11812 / inTopicNo.29)  Re[9]: 遺伝子決定論と自由意志
□投稿者/ rest -(2021/04/10(Sat) 23:17:59)
    2021/04/10(Sat) 23:36:15 編集(投稿者)

    No11700に返信(restさんの記事)
    > 遺伝子決定論と自由意志の関係について論じているのが
    >
    >  https://www2.med.osaka-u.ac.jp/eth/OJ_files/OJ1-1/shimoda1.html
    >
    >  ttp://www.meijigakuin.ac.jp/~katos/katos_2007_Idenshi_Ketteiron
    >
    >  4つの塩基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン、という4種類)の文字配列が30億もあり、そのうちの70%が非遺伝子であり、30%が遺伝子。22000個の遺伝子があり、30%のうち3%がコード遺伝子、27%が非コード遺伝子。コードとは塩基配列をたんぱく質を構成するアミノ酸に変換するのに対応した暗号。DNAはRNAを橋渡しとして10万種類のたんぱく質をつくる。それが私たちの身体のすべての働きを担っている。
    >  カント的にいえば欲望の器官を規定する遺伝子の決定に対して、我慢することを通して遺伝子のままにならないという選択肢をつくりだすことによって選択の自由を得ることができる。第三アンチノミーにおける決定論的自然因果性の克服こそが自由意志の証明になる。こういう展開があってもいいのではないか。

    DNAとRNAの違いについて補足。文字配列がDNAの場合AGCTだがRNAの場合はAGCUとなり,T:チミンがU:ウラシルへと変わる。RNAはDNAから転写される。RNAは一本鎖だがDNAは二重らせん。DNAはまたはしご状でありはしごには2文字の塩基がつらなり、遺伝情報の最小単位コドンはことにRNAにおいて4つの塩基AUCGのうちの3つの組み合わせ、4の3乗つまり64通りのコドンが存在する。このコドンは20種類のアミノ酸を指定できる。このアミノ酸の組み合わさったたんぱく質で生物の体はできている。
     DNAは連鎖の2位が水素Hであり、RNAは連鎖の2位が水酸基OHでありOHはHより大きすぎて柔軟に回転しない(進化しない)。Hだと柔軟に動くので相同組み換え(進化)が可能。ウイルスなどRNAを基盤とする原始的生命はほとんど進化せず、DNAを基盤とする高等真核生命が進化してきた。
     ヒトはDNAがほぼ共通しており、わずかに0.1%程度の違いがあるのみであり、0.1%の違いが姿形、性格、体質など個人差となって、1人ひとり異なる個性を生み出している。
引用返信/返信 削除キー/
■11850 / inTopicNo.30)  Re[6]: リベットの実験について
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/13(Tue) 10:10:41)
    No11473に返信(パニチェさんの記事)
    こんばんは。すごく間があいての返信で、すみません。

    https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/
    実験について自分が正確に理解していたかどうかこころもとないので、大事と思われるところを自分用に列記します。
    1シグナルが緑ならボタンを押せる(ボタンを押すという意志決定ができる)
    2その際に現れる準備電位から実際にボタンを押すまでの時間は練習段階で平均0.5秒と計測された
    3(いったんボタン押しを志向しても)シグナルが赤になったらボタン押しを取り止めるよう訓練された。
    4本番の実験では、ボタン押しの準備電位が観測された時点で赤いシグナルを出した。ここは重要。テストに出る。
    5つまり、押す準備電位が生じた後でも赤いシグナルを見た被験者が意識的にボタン押しを拒否できるかどうかを調べた。

    (2について、リベットでは 0.35+0.2=0.55秒だと思いますが、この実験では足でボタンを押すことで準備電位の発生をわずかに遅らせると書かれているので、それが0.05秒の差なのか。)

    > >>リンク先の実験で疑問に思う点は二つあります。
    > >>ひとつは中断する意思決定の準備電位は発生しているのかどうか、もし発生しているとするとそれは何秒前か?ということです。
    >
    >>その準備電位が発生していたら自由意志否定への反論にならないのではないでしょうか?
    >>もちろん「拒否」の顕在意識があって後に準備電位があれば明確な反論になると思いますが、そのような決定的な観察結果があれば明記されているはずと思われ。
    >>ボタン押す準備電位→顕在意識による意思→ボタン押し という行為決定のセットとは異なる仕組み・経路で「拒否」が割り込むということではないでしょうか。
    >
    > これは反論というより疑問です。
    > もし赤シグナルを察知して咄嗟的にボタンを押すことを中断する動作に準備電位が生じていたとしたら、緑シグナル時にボタンを押そうとする際に発生する0.35秒前の準備電位よりも短時間(もっと素早い時間)で発生することになり(そうでないと中断できない)、そうなると緑シグナル時の準備電位と赤シグナルの準備電位の差は何か?という新たなる疑問が生じます。

    取消の準備電位が生じるとしたら、ボタン押し準備電位発生=赤ランプよりも後で、そしてそこから→意識的拒否→実行為までの時間がボタン押しより短い場合のみ間に合うということになりそうですね。

    > 仮に赤シグナルの準備電位は反射的な動作に際して発生するものであるなら、これを自由意志による中断と見なすかどうかを論じる必要が生じる(赤シグナルによる中断に準備電位が発生しないなら、なおさら緑シグナルとの差異が明確になる)のではないか?という疑問です。
    >
    > >>二つ目は中断したのは自由意志によるものではなく、脊髄反射的なものではないか?ということです。つまり意思決定に際する準備電位を打ち消したのは自由意志ではなく(訓練によって習得した)反射ではないか?という疑問です。
    >>私も『赤のシグナルが現れたときには、ボタンを押すのを止めるように訓練された』という部分が引っかかりました。それは自由意志の証明になるのか…
    >
    > 同意です。一つ目の疑問もこれを土台とした疑問であり、それを準備電位が発生する時差あるいは発生するかしないかを検証するべきではないか?と考えたわけです。

    分かりました。パニチェさんの疑問は自分も共有できているように思います。準備電位の有無やタイミングを知りたいです。
    準備電位のタイミングについて気づいたことがあるのですが、少し話がズレるかもしれないので、後であらためて投稿します。

    > >>上記の実験は自由意志による行為より反射の方が速度的に(ショートカット経路によって)上回るので、反射は自由意志による行為を抑え込めることができるということの証明であって、自由意志に関する検証にはならないのではないか?という疑問です。
    > >>さらに言えば、突如現れた蛇を避けるために通常の認識経路ではなく、扁桃体経由のショートカットで反射的に飛び退くような動作を自由意志とするかどうか。言いかえれば何をもって自由意志とするか?という言葉の定義問題にも発展しそうな結果だと思います。

    同感です。科学的な知見に合わせて自由意志の定義を変えていくとしても、本来自由意志のなにが大事なのかも問われることになりそう。


    準備電位から動作までの0.5秒の間に発動できる拒否が思考による判断ではなく、反射的なものの場合、生得的な反射ではなく学習によって身に付くものがあるとして、その学習をするという決断まで自由意志が遡るのか。しかしそうなると、そもそもの問題は未解決になりそう。
    また、教育(価値観・判断基準の植え込み)と自由意志の関係とか。

    >>そもそもの、準備電位が顕在意識より先にあるから自由意志は幻想ではないか という問題について反論なり解決になっているかどうか私には分かりませんでした。
    >
    > 無意識時に脳が反応して、それを後付けで自分の意志であるかのように考えていたら、自由意志があるという主張は説得力があまりないように思えます。
    > 要するに私たちは外部刺激という人形師とこれに反応する神経系(脳も含めた)に操られたマリオネットってことにもなります。
    >
    >>無意識が提示してくる様々な行為の準備に対し、それを拒否するかそのまま実行するかを選べる別なシステムがある。それらの総合で実際の人の行いがきまる。という仕組みが示唆される気がするのですが、仮にそうだった場合にも、そのどの部分に自由意志があるかないか、という問題は難しいままのような気がしています。
    >
    > おくたがわさんは、例えば腱反射には自由意志が入り込む余地があると思いますか?

    腱反射と言うのは脚気のテストみたいなのですか。自由意志は入らないのではないでしょうか。詳しく知らないので直観的にですが。

    > なんか昔々に鮭場と議論(ディベート)した「信号機に意志はあるのか?」が思い出されます。^^

    その話題で議論されていたのは憶えているのですが、内容は思い出せませんすいません。

    >>もしかしたら理解できず、トンチンカンを書いているかもしれません。
    >
    > 全然トンチンカンだとは思いません。むしろ心地よい知的な刺激になるレスです。^^

    ありがとうございます。
    しかし、自分が分かっていなくて変なことを書いている可能性というのをいつも感じます。今回も。

    遅レスでもありますし、返信は自由意志におまかせします。


    追記
    ある動画では、
    身体に対して「歩け」と指令を出す脳の部位に対して「歩けと指令を出せ」と指令を出す脳部位があり、さらにそこに指令を出す部位がある
    そういうことが分かってきて自由意志の問題がさらに難しくなっている
    というようなことを言っていました。
    たしか↓これだったと思います
    https://www.youtube.com/watch?v=wPXLUxkqEt8
    酒井邦嘉「脳から見る人間の言語と心」

引用返信/返信 削除キー/
■11851 / inTopicNo.31)  Re[7]: リベットの実験について
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/13(Tue) 10:15:38)
    『「自由意志」は存在する(ただし、ほんの0.2秒間だけ):研究結果』
    https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/

    ちょっと思ったこと。
    通常ならボタン押し準備電位発生=赤ランプ から0.3秒後にボタン押しの顕在意識が自覚できるはず。すると、この実験では取消せと示唆する赤シグナルより遅れてボタンを押すという自覚的意志がノコノコ現れることになるのか…。
    この紹介サイトでは
    『そして今回の実験によって示されたのは、まさに脳からの司令を拒否するのは可能だということである。ただし、後戻りできないポイントというのは確かに存在する。実験では、ボタンを押す約0.2秒前までならば、動作を中断、または拒否することが可能であったという。0.2秒を下回ると、ボタンを押す動作は止められなかった。』
    こう結論しています。
    動作の約0.2秒前というのは通常は顕在意識が動作を意志するタイミング。準備電位からは0.3〜0.35秒後。
    その時点に間に合うとは、何が間に合う 何が動作の0.2秒前までと言っているのか。
    『赤いシグナルを見た被験者が意識的にボタンを押すのを中断、または、拒否できるかどうかを調べた。』
    というのだから「取り消す」という顕在意識は生じるという前提のよう。
    その取消そうという顕在意識が動作の0.2秒前までに為されれば間に合うという意味だとしたら、赤ランプ点灯より少し意志が遅れてしまいボタン押し動作予定の0.2秒前(通常ならボタン押しの意志が発生するタイミング)より遅れると取り消せないということか。あるいは、赤ランプのタイミングをズラして色々試したか。
    いずれにしても、ボタン押しの意志が生じるタイミングより前に取消しの意志もしくは指示が出るときだけ取り消せるということになりそうなのですが…
    その取り消せる場合、ボタンを押すという意志の顕在意識はどうなるのか。
    普通に考えると被験者は『緑の間にボタン押しを決定したが、赤になったので取り消した』と自覚するはず。しかしその場合は、事実とは異なる意識を体験しており、意識が現実そのままの反映ではなく後付けであることを示す証拠の一つになりそう。本当はボタン押し意志の意識より前に取消意志の意識もしくは赤シグナルが来ないと取り消せないのだから。
    ボタン押しの準備電位と取消指示の赤シグナルのタイミングをシンクロさせるという設定が非常に面白く思えてきました。準備電位が自覚的決断より先にあるがゆえに生じる奇妙さかと思います。
    そういう点からも、実際の被験者がどういう意識を自覚するのか(ボタン押しの意志・取消の意志の有無と順番)、そして取消の準備電位はどのタイミングで計測されるのかされないのか。知りたいです。

    ただし、こういう場合、私の勘違いということも多いので、おかしいと思われましたらご指摘ください。
引用返信/返信 削除キー/
■11852 / inTopicNo.32)  Re[8]: リベットの実験について
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/13(Tue) 10:19:47)
    https://www.youtube.com/watch?v=mYcnUX7kLc8
    馬場 紀寿「仏教が説く秩序の形成と崩壊」

    この動画で
    仏教が説く認識(十二処)として
    目 - 色
    耳 - 声
    などそれぞれの知覚器官がそれぞれの対象を認識しているだけであり、それらを統括するような主体(アートマン)は無い。それぞれの器官によるアンサンブルがあるだけだ。
    と言っています。
    そうすると、仏教では自由意志はないということでしょうか?

    それで今 「自由意思 仏教」でググってみたら愚さんの動画が表示されました。
    https://www.youtube.com/watch?time_continue=8&v=HBjbfDeLn8w&feature=emb_logo
    151125 KB会:思考は自発的ではない、自由意志はない_1:13:20 / 2:20:46

    まさに 自由意志はないという表題
    (仏教についてそんな基本的(?)なことも知らなかった自分…)
引用返信/返信 削除キー/
■11859 / inTopicNo.33)  経典
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 20:59:08)
    2021/04/14(Wed) 06:54:53 編集(投稿者)

    おくたがわさん、こんばんは♪

    No11852に返信(おくたがわさんの記事)
    > https://www.youtube.com/watch?v=mYcnUX7kLc8
    > 馬場 紀寿「仏教が説く秩序の形成と崩壊」
    >
    > この動画で
    > 仏教が説く認識(十二処)として
    > 目 - 色
    > 耳 - 声
    > などそれぞれの知覚器官がそれぞれの対象を認識しているだけであり、それらを統括するような主体(アートマン)は無い。それぞれの器官によるアンサンブルがあるだけだ。
    > と言っています。
    > そうすると、仏教では自由意志はないということでしょうか?<

    自由意志の、【自由】についての定義が、仏教的にはややこしそうなので、
    とりあえず置かせてもらって、
    その前段階の十二処の箇所についてのことで書き込みさせていただきますね。
    アンサンブルがあるだけという意見のもとになってるのかなと思うたくさんの経典の中の一つをご紹介しますね。(勘違いしてたらすみません)

    『マールキャプッタ経(SN35-95)』です。
    パーリ語の原文は、
    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
    です。
    いろいろな方による訳がインターネットで読めます。
    (Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
    ========
    (Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
    https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
    ========
    (莊春江さまの中国語訳)
    https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
    ========
    (光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
    https://komyojikyozo.web.fc2.com/
    相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
    M&#257;lu&#7749;kyaputtasutta&#7747;
    ========
    Bhikkhu Sujato さまの英訳
    https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato


    長くなるので、続きは、『純粋理性批判を読んでみる』トピに投稿しますね。
    わたしが他掲示板に投稿した文章を再投稿しようかと思っています。

    どの角度から物事をみるか、とりあげるか、ということが難しいですが、
    仏教の『八正道』の一つ、正精進はwikiでは、パーリ経典からの訳として、

    『比丘たちよ、正精進とは何か。

    未発生の不善は、これが生じないよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。

    発生した不善は、これを解消するよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。

    未発生の善は、これが生じるよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。

    発生し成された善は、これが拡大するよう、比丘たちが関心を持って努力し精進することである。

    比丘たちよ、これを正精進と呼ぶ。』

    とあり、パーリ仏典では、つとめ励むこと、は、とても大切にされてると思っていますが、
    大乗仏教ではまたいろいろな教えで説かれてるのかもしれませんね。




引用返信/返信 削除キー/
■11861 / inTopicNo.34)  志(チェータナー)
□投稿者/ knowing itself -(2021/04/13(Tue) 21:25:38)
    横レス失礼します。

    テーラワーダのアビダンマによると、どんな心にも必ず現れる・欠かせない心所が7つあります。その中に「志(チェータナー)」というのがあって、これが意志の働きそのものという感じです。西洋哲学の伝統的な自由意志ほど純粋なものではないですが、人間が思いや行動を制御していく方向づけの機能だと思います。仏教で重要な「業」も、「志」と深い関わりがあるようです。
引用返信/返信 削除キー/
■11864 / inTopicNo.35)  Re[11]: 志(チェータナー)
□投稿者/ pipit -(2021/04/13(Tue) 21:47:39)
    knowing itselfさん、こんばんは ! (^o^)/ ♪ ♪

    No11861
    > テーラワーダのアビダンマによると、どんな心にも必ず現れる・欠かせない心所が7つあります。その中に「志(チェータナー)」というのがあって、これが意志の働きそのものという感じです。西洋哲学の伝統的な自由意志ほど純粋なものではないですが、人間が思いや行動を制御していく方向づけの機能だと思います。仏教で重要な「業」も、「志」と深い関わりがあるようです。<

    意志が業である、とわたしは言います、とお釈迦さまが説く経文もあったような(・・?)
    いろんなこと、対話するときにはすごくややこしくなりそうですよね。

    なにを『自由』と言うのか、という問題もありますよね。

    わたし、十二因縁の『行』も意志っぽいと思ってて、
    最終的に無明が滅すると行も滅するのかな、って。
    ここらへんのことも、対話がすごくややこしくなりそうですよね。

    自分でみえたらいいんだけどなぁ

    レスありがとうございます(o^^o)




引用返信/返信 削除キー/
■11868 / inTopicNo.36)  Re[10]: 経典
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/14(Wed) 11:33:16)
    No11859に返信(pipitさんの記事)
    pipitさん おはようございます!

    『マールキャプッタ経』の紹介ありがとうございます。
    素晴らしいです!
    禅の「あるがまま」にも通じそうな。


    光明寺さんの訳で、
    『彼が〈色〉を見、また〈受〉に近づくにしても、
    それが滅び、積まれないように、そのように彼は念をもっておこなう。』

    最初自分がバカで「滅び積まれ-ない」と読んで意味が分からなかったのですが、
    それが消え去るように、それが積み上げられないように する
    ですね。
    ところで3人の方の英訳では、それぞれ
    ・He'll pull down the pile, not build it up.
    ・you wear away, you don’t heap up.
    ・it falls away and doesn't accumulate.
    最初の2つは、人の側の主体が強めに見えます。
    光明寺さんも、その全体を「そのように彼は念をもっておこなう。」と人を主体にくくっていますが…。

    なんでこんなことを書いているかと言うと。
    座禅で、様々な思いが湧いてきても、取り合わずそのまま放っておけと言う。
    打ち消そうとか、考えまい、とかもしない。勝手に湧いてきて勝手に消え去るのにまかせる。
    その思いを消そうとするのも逆に固執である。(結果的にかえって積み上げることにもなりかねない。)
    白雲自去来 
    雲は勝手にやってきて勝手に去っていく

    そんなことに引き付けて
    目が見た光景耳が聞いた音は、ほうっておけば消え去る、そのままにまかせる。集めて積み上げようとしない。
    という読み方を自分がしたので、そのあたりの訳が目に付いたのでしょう。

    これは自分自身の先入観にもとずく読み方であるかもしれません。最初に「あるがままにつながりそう」と書いたことも。

    しかし、それらの知覚を束ねる主体・アートマンがあるかないかというのが元の話だったので、関係はあるかな。

    「(そのように彼は)念をもっておこなう。」がどういうことなのか。どうすれば『それが滅び、積まれないように』なるのか。
    解釈は分かれるのかな?

    > 2021/04/14(Wed) 06:54:53 編集(投稿者)
    >
    > おくたがわさん、こんばんは♪
    >
    > ■No11852に返信(おくたがわさんの記事)
    >>https://www.youtube.com/watch?v=mYcnUX7kLc8
    >>馬場 紀寿「仏教が説く秩序の形成と崩壊」
    >>
    >>この動画で
    >>仏教が説く認識(十二処)として
    >>目 - 色
    >>耳 - 声
    >>などそれぞれの知覚器官がそれぞれの対象を認識しているだけであり、それらを統括するような主体(アートマン)は無い。それぞれの器官によるアンサンブルがあるだけだ。
    >>と言っています。
    >>そうすると、仏教では自由意志はないということでしょうか?<
    >
    > 自由意志の、【自由】についての定義が、仏教的にはややこしそうなので、
    > とりあえず置かせてもらって、
    > その前段階の十二処の箇所についてのことで書き込みさせていただきますね。
    > アンサンブルがあるだけという意見のもとになってるのかなと思うたくさんの経典の中の一つをご紹介しますね。(勘違いしてたらすみません)
    >
    > 『マールキャプッタ経(SN35-95)』です。
    > パーリ語の原文は、
    > https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
    > です。
    > いろいろな方による訳がインターネットで読めます。
    > (Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
    > https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
    > ========
    > (Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
    > https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
    > ========
    > (莊春江さまの中国語訳)
    > https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
    > ========
    > (光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
    > https://komyojikyozo.web.fc2.com/
    > 相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
    > M&#257;lu&#7749;kyaputtasutta&#7747;
    > ========
    > Bhikkhu Sujato さまの英訳
    > https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato
    >
    >
    > 長くなるので、続きは、『純粋理性批判を読んでみる』トピに投稿しますね。
    > わたしが他掲示板に投稿した文章を再投稿しようかと思っています。
    >
    > どの角度から物事をみるか、とりあげるか、ということが難しいですが、
    > 仏教の『八正道』の一つ、正精進はwikiでは、パーリ経典からの訳として、
    >
    > 『比丘たちよ、正精進とは何か。
    >
    > 未発生の不善は、これが生じないよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
    >
    > 発生した不善は、これを解消するよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
    >
    > 未発生の善は、これが生じるよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
    >
    > 発生し成された善は、これが拡大するよう、比丘たちが関心を持って努力し精進することである。
    >
    > 比丘たちよ、これを正精進と呼ぶ。』
    >
    > とあり、パーリ仏典では、つとめ励むこと、は、とても大切にされてると思っていますが、
    > 大乗仏教ではまたいろいろな教えで説かれてるのかもしれませんね。

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