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No11859 の記事
■11859
/ )
経典
□投稿者/ pipit
-(2021/04/13(Tue) 20:59:08)
2021/04/14(Wed) 06:54:53 編集(投稿者)
おくたがわさん、こんばんは♪
■
No11852
に返信(おくたがわさんの記事)
>
https://www.youtube.com/watch?v=mYcnUX7kLc8
> 馬場 紀寿「仏教が説く秩序の形成と崩壊」
>
> この動画で
> 仏教が説く認識(十二処)として
> 目 - 色
> 耳 - 声
> などそれぞれの知覚器官がそれぞれの対象を認識しているだけであり、それらを統括するような主体(アートマン)は無い。それぞれの器官によるアンサンブルがあるだけだ。
> と言っています。
> そうすると、仏教では自由意志はないということでしょうか?<
自由意志の、【自由】についての定義が、仏教的にはややこしそうなので、
とりあえず置かせてもらって、
その前段階の十二処の箇所についてのことで書き込みさせていただきますね。
アンサンブルがあるだけという意見のもとになってるのかなと思うたくさんの経典の中の一つをご紹介しますね。(勘違いしてたらすみません)
『マールキャプッタ経(SN35-95)』です。
パーリ語の原文は、
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sltp/SN_IV_utf8.html#pts.072
です。
いろいろな方による訳がインターネットで読めます。
(Thanissaro Bhikkhuさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.than.html
========
(Maurice O'Connell Walsheさまの英訳)
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/sn/sn35/sn35.095.wlsh.html
========
(莊春江さまの中国語訳)
https://suttacentral.net/sn35.95/zh/zhuang
========
(光明寺住職さまによるサイト【光明寺経蔵】に日本語訳があります。著作権侵害になるといけないので、アドレス情報を貼るにとどめます。(^人^))
https://komyojikyozo.web.fc2.com/
相応部>六処篇>六処相応>六品・の2番目「マールキャプッタ経(SN35-95)」
Māluṅkyaputtasuttaṃ
========
Bhikkhu Sujato さまの英訳
https://suttacentral.net/sn35.95/en/sujato
長くなるので、続きは、『純粋理性批判を読んでみる』トピに投稿しますね。
わたしが他掲示板に投稿した文章を再投稿しようかと思っています。
どの角度から物事をみるか、とりあげるか、ということが難しいですが、
仏教の『八正道』の一つ、正精進はwikiでは、パーリ経典からの訳として、
『比丘たちよ、正精進とは何か。
未発生の不善は、これが生じないよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
発生した不善は、これを解消するよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
未発生の善は、これが生じるよう、比丘らは関心を持って努力し精進することである。
発生し成された善は、これが拡大するよう、比丘たちが関心を持って努力し精進することである。
比丘たちよ、これを正精進と呼ぶ。』
とあり、パーリ仏典では、つとめ励むこと、は、とても大切にされてると思っていますが、
大乗仏教ではまたいろいろな教えで説かれてるのかもしれませんね。
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