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■13150 / inTopicNo.85)  Re[24]: 阿含経
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/24(Mon) 20:54:07)
    こんばんは、おくたがわさん。
    動画の紹介ありがとうございます。

    No13132に返信(おくたがわさんの記事)

    > こんにちは。
    > 続きの動画で関連する内容があり、中村さんの考えへの言及がありました。
    > 『佐々木閑の仏教講義 3「阿含経の教え 1−7」』
    > https://youtu.be/iLh-rVv_UBo?t=595

    > どちらが正しいか言える素養が私にはまったくありませんし議論もできず申し訳ありませんが、あくまでご参考までに。

    佐々木閑氏はどうも藁人形論法をやってるように私には思えます。
    中村元博士は仏教に我を認めているということではなくて、原始仏典では無我説以前に非我説が先行しており、その非我説は「アートマンならざるもの」という表現が用いられているということを解説している。

    純粋に学問的に原始仏典で用いられている表現をもとに解説しているのであって、これに反論するなら、やはり原始仏典でアートマンの存在を否定しているものを提示すべきだと思う。
    もっとも私は梵語やパーリ語を読めるわけではないので、この点については中村元博士の解説を信用しているということにはなるが。。。

    *** 以下、中村元選集第15巻 原始仏教の思想Tより ***
    「五つの構成要素のいちいちが苦であるがゆえに非我であるという教説、また無常であるがゆえに無我であるという教説も述べれれているが、とくに次の句がしばしばくり返されている。『物質的なかたち[または感受作用・形成作用・識別作用]は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはアートマンではない(yad anatta tam netam mama neso hamasim na meso atta)。正しい知恵をもってこの[道理]を如実に観ずべし。』(大正経 二巻2ページ上)」


引用返信/返信 削除キー/
■13174 / inTopicNo.86)  Re[25]: 阿含経
□投稿者/ おくたがわ -(2021/05/25(Tue) 20:16:44)
    No13150に返信(パニチェさんの記事)
    こんばんは。レスありがとうございます。

    > 佐々木閑氏はどうも藁人形論法をやってるように私には思えます。
    > 中村元博士は仏教に我を認めているということではなくて、原始仏典では無我説以前に非我説が先行しており、その非我説は「アートマンならざるもの」という表現が用いられているということを解説している。

    これは佐々木氏が言っている中村氏の著書の該当部分で、佐々木氏が反論しているようなことを中村氏は書いていないということでしょうか?

    > 純粋に学問的に原始仏典で用いられている表現をもとに解説しているのであって、これに反論するなら、やはり原始仏典でアートマンの存在を否定しているものを提示すべきだと思う。
    > もっとも私は梵語やパーリ語を読めるわけではないので、この点については中村元博士の解説を信用しているということにはなるが。。。
    >
    > *** 以下、中村元選集第15巻 原始仏教の思想Tより ***
    > 「五つの構成要素のいちいちが苦であるがゆえに非我であるという教説、また無常であるがゆえに無我であるという教説も述べれれているが、とくに次の句がしばしばくり返されている。『物質的なかたち[または感受作用・形成作用・識別作用]は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはアートマンではない(yad anatta tam netam mama neso hamasim na meso atta)。正しい知恵をもってこの[道理]を如実に観ずべし。』(大正経 二巻2ページ上)」

    原始仏典ではアートマンがあるかないかについては言っていないということでしょうか? あるいは、これはアートマンではない(非我)という言説がアートマンの存在を認めているという解釈でしょうか?

    ほんとに何も知らない上に物分かりが悪いので、話にならないと思われましたらスルーしてください。
引用返信/返信 削除キー/
■13187 / inTopicNo.87)  Re[26]: 阿含経
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/25(Tue) 20:59:16)
    2021/05/25(Tue) 21:18:48 編集(投稿者)

    こんばんは、おくたがわさん。レスありがとうございます。

    No13174に返信(おくたがわさんの記事)

    > これは佐々木氏が言っている中村氏の著書の該当部分で、佐々木氏が反論しているようなことを中村氏は書いていないということでしょうか?

    私は神々との対話という本も読んでいませんので、中村博士が佐々木氏の示している箇所をどのように解説しているかは実際には知りません。

    ただ佐々木氏は「私」や「我」を「アートマン」と同義に考えており、これがそもそもの間違いだと思います。
    少なくとも私は中村博士が「仏教では我を認めている」とか「我の実在を認めていた」と主張しているなんてことは知りませんし、そんな主張は読んだ記憶がありません。

    私が知っているのは先にも述べましたが原始仏典では無我以前に非我が使われており、この非我とは「アートマンならざるもの」という意味だと解説されています。
    原始仏典ではアートマンの存在は否定していないという主張はどこかでされているかもしれませんが、これをもって「仏教では我を認めている」や「我の実在を認めていた」とはイコールにならないということです。

    佐々木氏も12:02で「(中村先生は)岩波文庫の中ではアートマンを認めている議論のひとつの証拠なんだというふうにおっしゃってるんですね」と言い直して(当人は無自覚だとは思いますが)おり、これなら中村博士としての主張は辻褄は合います。
    むしろ私が佐々木氏に問いたいのは「では原始仏教での『非我』とは『どういう我に非ず』なんですか?」ですね。^^

    > 原始仏典ではアートマンがあるかないかについては言っていないということでしょうか? あるいは、これはアートマンではない(非我)という言説がアートマンの存在を認めているという解釈でしょうか?

    多分、アートマンではない(非我)という言説がアートマンの存在を認めていることになるという解釈でしょうね。(次の土日で調べ直してみます)

    > ほんとに何も知らない上に物分かりが悪いので、話にならないと思われましたらスルーしてください。

    全然、大丈夫ですし、むしろ有難いです。
    私も返信することによって自分の考えをまとめたり、書籍で再確認するきっかけになっていますから。

引用返信/返信 削除キー/
■13312 / inTopicNo.88)  藁人形論法と確定する!(笑)
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/28(Fri) 20:31:18)
    No13187に追記(パニチェさんの記事)

    > 多分、アートマンではない(非我)という言説がアートマンの存在を認めていることになるという解釈でしょうね。(次の土日で調べ直してみます)

    以下、引用しておきます。

    『以上の考察から判明したように、最初期の仏教においては、客体的に把捉し得るありとあらゆるものが,アートマンならざるもの、すなわち非我である、ということを強調していたのである。決してアートマンが存在しない、とはいわなかった。そうして倫理的行為の主体としてのアートマンを認めていたが、それの形而上学的性格については、完全に沈黙を守っている。このように形而上学的問題に触れることを避けていたのである。(中村元選集第15巻 原始仏教の思想P576より)』

    『ともかくも右の一連の教説においては、われわれの個体を構成しているいかなるものをも、「アートマンならざるもの」(非我)とよんでいるのであり、いわゆる無我説を述べているのではない。(中村元選集第15巻 原始仏教の思想P615より)』

    『我という形而上学的原理を想定しないという点では、説一切有部は仏教本来の立場に忠実であった。しかし、経典の中には、なんらかの意味において、我に類する原理を想定するような思想も表明されていたし、小乗諸派のなかには、このような思想傾向を発展せしめたものもある。すなわち小乗諸派では有情の輪廻を認めていたから、輪廻の主体を想定せざるをえず、しかし、仏教は無我説であるから、ただちに実体としてのアートマンを認めることができない。そこで、我とは異なるが、それと類似したなんらかの輪廻の主体を想定した。そうして、それによって生存主体(有情)の連続、因果応報の可能なるゆえんを説明しようとした。(中村元選集第20巻原始仏教から大乗仏教へP118より)』

    何れにせよ佐々木氏の「中村博士は仏教では我を認めている」または「中村博士は我の実在を認めていた」と主張も、「中村博士は輪廻の主体をアートマンと想定していた」という主張も藁人形論法であることが確定しました(笑)。

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■13356 / inTopicNo.89)  余談(傲慢について)
□投稿者/ rest -(2021/05/29(Sat) 10:22:14)
     経済学の父、アダム・スミスの著書『道徳感情論』によれば「卑下していじけるよりは傲慢なほうがよい」ということを書いた一節があるが、これが後年「自由放任主義」へと発展し、神の見えざる手によって調和に導かれる、という考えにつながった。
     ただその考え方だと景気循環でくる大恐慌における大量の失業者の存在が放置されることになり、社会問題に目をつぶることになる。その考え方に異を唱えたのがJ.M.ケインズだった。
     戦時中における日本の軍部の失敗の原因として傲慢なリーダーの態度がいわれる。自分の都合の悪い情報を提供する部下を遠ざけ、結果まわりはリーダーにとって都合のいい情報のみを提供するごますり集団でかたまってしまう。どうなるかというと都合の悪い、しかし客観的な情報が入らなくなり、正しい政策判断ができなくなってしまった。それが敗戦につながった。
     
     平家物語の冒頭を紹介したい。

     「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夢のごとし。たけき者もついにはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」

引用返信/返信 削除キー/
■13360 / inTopicNo.90)  Re[29]: 余談(傲慢について)
□投稿者/ スマホマジモン -(2021/05/29(Sat) 14:05:32)
    No13356に返信(restさんの記事)
    >  経済学の父、アダム・スミスの著書『道徳感情論』によれば「卑下していじけるよりは傲慢なほうがよい」ということを書いた一節があるが、これが後年「自由放任主義」へと発展し、神の見えざる手によって調和に導かれる、という考えにつながった。
    >  ただその考え方だと景気循環でくる大恐慌における大量の失業者の存在が放置されることになり、社会問題に目をつぶることになる。その考え方に異を唱えたのがJ.M.ケインズだった。
    >  戦時中における日本の軍部の失敗の原因として傲慢なリーダーの態度がいわれる。自分の都合の悪い情報を提供する部下を遠ざけ、結果まわりはリーダーにとって都合のいい情報のみを提供するごますり集団でかたまってしまう。どうなるかというと都合の悪い、しかし客観的な情報が入らなくなり、正しい政策判断ができなくなってしまった。それが敗戦につながった。
    >  
    >  平家物語の冒頭を紹介したい。
    >
    >  「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夢のごとし。たけき者もついにはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ」

    降参します、その通りです。
    これでrestさんには、一生勝てないでしょうね。
    私、政治力politicalより経済力economicで日常を送っています。
    恐れ入りました。
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■13573 / inTopicNo.91)  刹那の間借り人
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/04(Fri) 21:59:47)
    2021/06/04(Fri) 22:45:43 編集(投稿者)

    フォイエルバッハの『キリスト教の本質』に触れてみて感じたこと。。。

    フォイエルバッハが述べた通り「すなわち神は、ただ人間にとってのみ存在する際立った対象である」ということ。
    創造主が神に似せて人を創造したのではなく、人間が人に似せて人神を創出したのだというある種の確信。

    考えてみれば当たり前のことで、これを否定する方が不自然であることに気付く。
    神は最も遅れて出現した地球上の生物が創出した最も遅れた、言いかえれば最も最近の妄想であるということ。

    猿から猿人が分岐したのが500万年前とすれば。。。
    恐竜が闊歩した2億3000万年前から6600万年前までの1億6600万年間の33分の1だけ霊長類はこの地球に存在していることになる。
    なんとド新人の間借り人であろうか?!

    そんな駆け出しの人間がたかだか1万年にも満たない有史でもって世界創造や創造主を語ることの愚かしさも忘れてはないおらないと思ふ。

    生物種として新参者の人としての謙虚さと冒涜は紙?一重か?


引用返信/返信 削除キー/
■13577 / inTopicNo.92)  Re[31]: 刹那の間借り人
□投稿者/ エフニ -(2021/06/04(Fri) 23:47:34)
    エンゲルスの「フォイエルバッハ論」を読むと、「キリスト教の本質」からの引用があり、私も同様な感想を持ちました。

    白人の神は白人で、黒人の神は黒人、東洋人の神は東洋人とは、人間が神を創造した証左として、よく出される例えです。

    マルクスの「宗教は人民の阿片である。」は、強烈でしたよね。
引用返信/返信 削除キー/
■13582 / inTopicNo.93)  Re[32]: 刹那の間借り人
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/05(Sat) 07:08:59)
    2021/06/05(Sat) 07:24:19 編集(投稿者)

    おはようございます、エフニさん。レスありがとうございます。

    No13577に返信(エフニさんの記事)
    > エンゲルスの「フォイエルバッハ論」を読むと、「キリスト教の本質」からの引用があり、私も同様な感想を持ちました。

    エンゲルスの「フォイエルバッハ論」を読まれたんですか。
    相変わらずエフニさんは読書家というか勉強家だなぁ〜。^^
    私の今の愛読書は「岩波 哲学・思想事典」です(なんじゃそりゃ!w)。

    > 白人の神は白人で、黒人の神は黒人、東洋人の神は東洋人とは、人間が神を創造した証左として、よく出される例えです。

    猿は猿神をつくらないし、犬は犬神を作らない。
    人間だけですよ、人神に飽き足らず動物神までつくりまくってるのは。。。
    さすがに人間の創作物である電脳神はつくらないが、電脳が電脳神を創造したらちょい厄介なことになりそうな。。。w

    > マルクスの「宗教は人民の阿片である。」は、強烈でしたよね。

    名言ですね。阿片は人を幸福にもするが中毒にもする。
    浸っていれば幸福のままでいられるが、醒めてきたら地獄の苦しみが待ち受ける、とか。
引用返信/返信 削除キー/
■13586 / inTopicNo.94)  Re[33]: 刹那の間借り人
□投稿者/ マジカルモンキー -(2021/06/05(Sat) 07:50:46)
    パニチェ殿、エフニ様

    おはようございます。

    激しく同意いたします。

    宗教、特に聖歌は麻薬と感じます。

    聞き惚れて…、(*゚ロ゚)ハッ!!っとなります。 
引用返信/返信 削除キー/
■13596 / inTopicNo.95)  仏教は宗教か?
□投稿者/ rest -(2021/06/05(Sat) 10:30:46)
     マルクス主義などから宗教はアヘンなどと揶揄されているが、その宗教のなかに仏教は含まれるのか。法的には仏教は宗教とみなされている。たとえば仏教組織は宗教法人の資格が与えられている。仏教はアヘンだろうか?
引用返信/返信 削除キー/
■13598 / inTopicNo.96)  Re[35]: 仏教は宗教か?
□投稿者/ パニチェ -(2021/06/05(Sat) 11:02:00)
    2021/06/05(Sat) 11:11:29 編集(投稿者)

    おはようございます、レストさん

    No13596に返信(restさんの記事)
    > マルクス主義などから宗教はアヘンなどと揶揄されているが、その宗教のなかに仏教は含まれるのか。法的には仏教は宗教とみなされている。たとえば仏教組織は宗教法人の資格が与えられている。仏教はアヘンだろうか?

    仏教は守備範囲が広いというか、哲学的な側面から信仰的な側面までありますね。
    宗派や教団によっては排他的で、仏罰など苦の軽減どころか苦を増すようなカルトっぽい教義を有するところもあり、こういう宗派や教団はアヘンだと思います。

    見取見(十根本煩悩のひとつ、自分の考えや自分の見解を絶対視し固執すること)の戒めや、「筏の譬え(教義は目的地までの手段や乗り物であって、決して執着すべきものではなく、いずれは捨て去るべきものと説く教え)」、中道や八正道(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)等々を重んずる限りはアヘンにはなりにくいとは思います。

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