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■12148 / inTopicNo.49)  予定説(二重予定説)
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/04/25(Sun) 07:30:20)
    2021/04/25(Sun) 07:49:50 編集(投稿者)

    エフニさんも指摘していたが「何でそんなこと貴方が知ってるの?」ってのが最強の反論となる。
    論理や根拠で返そうとすると必ず破綻する。

    それを言っちゃぁ〜聖書も同じよってことになるが。。。
    要するに信仰とはそういうもの。

    論理的に説明する必要などないし、むしろ論理や根拠が示せないのは信仰を否定されたり批判されることにはならない。
    必ずしも論理が正しさや実相の根拠にはならないということ。

    何故なら論理は言語であり、言語は不完全なものであるから。
    論理至上主義こそナンセンス。

    だから仏教では実相や真如は拈華微笑に象徴される教外別伝や勝義諦、不立文字や言語道断とされる。
    拈華微笑も、仏典で語られる他の多くのイベントと同じく後から創作されたフィクションであるとは思うが、教説を広めるための方便だろう。

    有神論者には自身の信仰対象や教義を哲学や科学でもって根拠付けたがるタイプも多いが、裏返して言えば、それは自身の信仰について自信のなさの表出でもあるのではないか?
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■12246 / inTopicNo.50)  合成の誤謬
□投稿者/ rest -(2021/04/28(Wed) 20:58:53)
    東京電力福島第一原発で発生した放射性物質トリチウムを含む処理水において、トリチウム濃度を希釈して海に垂れ流すそうだ。IAEAも了解しているので別に問題がなさそうだが、本当に大丈夫だろうか。
     私が心配しているのはトリチウムを薄めてもトリチウムの絶対量は太平洋において増えていくということだ。日本だけではなく全世界の原子力発電所のトリチウム処理水が海に垂れ流しされると、海全体のトリチウムの絶対量が年々増えていく。これが海産物に影響は与えないだろうか。
     個別に正しいことが全体では間違っていることがある。これを合成の誤謬という。これに該当するのではないか。
     無論トリチウムの半減期が12年なので半分は消えるが毎年累積していくのでしかも世界的に累積していくので問題は解決しない。ちょうど二酸化炭素の排出が世界的に増加していく割合と、森林や植物の光合成により、二酸化炭素が減る割合の比較で前者が後者を上回っているのと同じでトリチウムの増える割合と半減期で消える割合の比較が必要だ。二酸化炭素が全地球的規模の問題になっているように、トリチウムもそうならないとはいえない。データーはないが、そういう問題があることを指摘しておきたい。
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■12251 / inTopicNo.51)  Re[10]: pipitさんへ
□投稿者/ おくたがわ -(2021/04/29(Thu) 08:50:06)
    No11881に返信(pipitさんの記事)
    pipitさん、おはようございます。遅〜いレスですみません。いつの話やねん あほ〜〜と言ってください(心の中で)。

    > 私見を書きますね。
    > この経典は、まず、マールンキャプッタさまが釈尊に
    > 「わたしに簡潔に教えを説いてください!」と頼むところからはじまりますよね。
    > このマールンキャプッタというお名前、無記が説かれた毒矢の喩えの経典に出てくる、弟子のお名前と同じなんですよね。
    > 学術的なことは知らないのですが、
    > もし、同じ方だとしたら、、、(pipitの妄想・想像↓)

    毒矢の喩えについて説明したサイトで、後年のマールンキャプッタ尊者が未だ修行が進んでいなかった頃の話と書いたのがありましたので、同一人説が当たりではないでしょうか。
    『マールキャプッタ経』だけ見ていたら、分かりが早い人かと思っていたら、こういう経緯があったのですね。
    pipitさんが書かれていたように、すごく嬉しかったでしょうね。発言を反復までしてもらって。

    毒矢の喩えの時に、他の者には教えていることを自分には教えてくれないという不満を持って問うたところ、相手のステージによって必要なものを説くと仏陀は答えたとのこと。
    後年の『マールキャプッタ経』は高度な段階で説く真理と考えていいのでしょうか。それにより『尊者マールキャプッタもまた、阿羅漢たちの一人となったのである』という記述もあり。
    個人的には、けっこう核心の部分であるように感じました。

    見ないもの聞かないものには執着しないだろうと応答した後で、
    見られたもの聞かれたものは、ただそれだけのものとしてあり(それを滅するにまかせ積み上げなければ)執着はないと、
    そしてそのとき、あなたは、この世にも、あの世(他界・他世)にも、両者の中間にもない 
    となりますね。(読みが間違っていたら指摘ください。

    紹介いただいた3種の英訳も味わい深かった。詩的とも思います。


    なんか、カントの自己意識の部分も連想しました。
    様々な表象が統合されることが認識や思考の前提とし、統合される表象には必ず自己意識が伴うと書いていたような(理解が間違っていたら指摘ください)。
    予め存在する自己が予めまとまっている対象を知覚し認識・思考するという発想ではなく、個々に出現した表象を統合して認識・思考に至る過程で自己が登場するという感じ。

    > マールンキャプッタさまとは別の方で、
    > この簡潔な教戒を聞いただけで、すぐさま阿羅漢に悟られた方(バーヒヤさま)の経典もあるんです。

    毒矢のときに理屈で形而上学的な問題を考えようとするタイプだったマールンキャプッタさんは修行に時間がかかった というのが、ありそう という感じで。
    実際にいた人たち感。

    > > 「(そのように彼は)念をもっておこなう。」がどういうことなのか。どうすれば『それが滅び、積まれないように』なるのか。
    > 解釈は分かれるのかな?<
    >
    >
    > わたしは、
    > 自分の行為を観察・自覚・気づくことによって、過度に執着せず、自然にそれが滅びるままにする、
    > とか、
    > 釈尊の教戒を思いながら、新たな苦を積まないように気をつける、
    > とか、
    > 今のところそのような感じに捉えています(全然違うかもです!)

    ありがとうございます。観察・自覚・気づく - 大事なのでしょうね。

    > マインドフルネスと訳されることも多い『サティ(念)』の解釈もwikiなどを読むにいろいろあるみたいですね。

    色々な情報を紹介いただき、ありがとうございます。
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■12253 / inTopicNo.52)  大規模検査の必要性
□投稿者/ rest -(2021/04/29(Thu) 11:06:06)
    2021/04/29(Thu) 11:08:38 編集(投稿者)

     今年2月に政府専門家会議に提出された報告書には、PCR検査を行う国内施設を調査した結果、陽性検体を陽性と判定する確率は99.4%〜99.8%だったと報告されている。つまり偽陽性は著しく少ない、ということがわかる。
     さらに日本医師会の有識者会議特別チームでは、感染していない人を陰性と判定する確率は99%以上とされている。つまり偽陰性も著しく少ない、ということを示している。
     これらのことから偽陽性、偽陰性を理由にPCR検査の大規模検査に反対する根拠はないことがわかる。大規模PCR検査を通して、できれば全数検査を通して陽性患者を早めに発見し、保護隔離することによって市中感染を防ぐことができる。
     ある少数政党の政策だからといって偏見でみるのではなく、国民の命を守るという視点から大胆に採用してもらいたいものだ。この手法は共有財産だと思う。
     国民の自粛疲れに応えるものとして大規模検査を期待したい。
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■12266 / inTopicNo.53)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/04/29(Thu) 17:59:15)
    >>12251
    おくたがわさん、こんにちは!(^o^)/♪

    まず、話題になってる経典のお三方によるそれぞれの英訳、日訳のページをご紹介いたしますね。
    小マールキヤ経
    パーリ仏典経蔵中部に収録されている第63経
    (1)
    https://suttacentral.net/mn63/en/sujato
    (2)
    https://suttacentral.net/mn63/en/bodhi
    (3)
    光明寺経蔵さまのサイト
    https://komyojikyozo.web.fc2.com/
    『中部』>「中分五十篇」>「比丘品」>「小マールキヤ経」

    それで、私は、なんですが、経典の内容は、

    >毒矢の喩えの時に、他の者には教えていることを自分には教えてくれないという不満を持って問うたところ、相手のステージによって必要なものを説くと仏陀は答えたとのこと。<

    とは微妙に違うかな??との感想を持っています。

    釈尊が他人に教えてた、とはなってなく、誰であろうと釈尊は苦集滅道についてを説くのだ、みたいな印象です。
    マールキャプッタさまが阿羅漢になった時の説法も結局は滅苦への道なので、四聖諦に含まれる法話かな?、
    マールキャプッタさまの場合、法話の中身を実践するか否かで(若い時に同じような説法を聞いていたとしても)、悟るか悟らないかの違いが出たのかなぁ?と妄想しています。
    (もちろんpipitの勘違いの可能性はいつでもありますm(_ _)m)

    >見ないもの聞かないものには執着しないだろうと応答した後で、
    見られたもの聞かれたものは、ただそれだけのものとしてあり(それを滅するにまかせ積み上げなければ)執着はないと、
    そしてそのとき、あなたは、この世にも、あの世(他界・他世)にも、両者の中間にもない 
    となりますね。<


    >なんか、カントの自己意識の部分も連想しました。
    様々な表象が統合されることが認識や思考の前提とし、統合される表象には必ず自己意識が伴うと書いていたような(理解が間違っていたら指摘ください)。
    予め存在する自己が予めまとまっている対象を知覚し認識・思考するという発想ではなく、個々に出現した表象を統合して認識・思考に至る過程で自己が登場するという感じ。<

    同じようにわたしも感じています(^。^)
    否応なしに(人間のつくりとして?)意識に『わたし』という意識も着けちゃうけど、それは意識なだけで、


    ここまでは、カントの統覚のおはなしで、
    ここからは、仏教のおはなし


    見られたものを、わたしが見た、と考える。
    聞かれたものを、わたしが聞いた、と考える。
    思われたものを、わたしが思った、と考える。

    その自己(わたし)意識を不着させないとき、、、どんな世界が開かれるのか、、、


    、、、といっても、カントも、わたしは感情みたいなもの、ってプロレゴーメナで言ってるとか?御子柴善之先生の『カント哲学の核心』p201参照、、、を見直したら、概念ですらないって!
    『「私」は、ある現在在の感情に他ならず、いささかも概念を含まない。それは一切の思考がそれと関係(偶有性の関係)をもつものの表象に過ぎない。(Ak334、中公218、岩波178)』
    読み返してびっくりしました。
    (でも、いつも通り、カント言説はわかりそうでわかりませんが(^^;)

    おくたがわさん、いつも本当〜〜〜にっ!ありがとうございます!!

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■12315 / inTopicNo.54)  Re[16]: 大規模検査の必要性
□投稿者/ rest -(2021/05/01(Sat) 20:31:16)
    No12253に返信(restさんの記事)
    > 2021/04/29(Thu) 11:08:38 編集(投稿者)
    >
    >  今年2月に政府専門家会議に提出された報告書には、PCR検査を行う国内施設を調査した結果、陽性検体を陽性と判定する確率は99.4%〜99.8%だったと報告されている。つまり偽陽性は著しく少ない、ということがわかる。
    >  さらに日本医師会の有識者会議特別チームでは、感染していない人を陰性と判定する確率は99%以上とされている。つまり偽陰性も著しく少ない、ということを示している。
    >  これらのことから偽陽性、偽陰性を理由にPCR検査の大規模検査に反対する根拠はないことがわかる。大規模PCR検査を通して、できれば全数検査を通して陽性患者を早めに発見し、保護隔離することによって市中感染を防ぐことができる。
    >  ある少数政党の政策だからといって偏見でみるのではなく、国民の命を守るという視点から大胆に採用してもらいたいものだ。この手法は共有財産だと思う。
    >  国民の自粛疲れに応えるものとして大規模検査を期待したい。

    自己レス。大規模なワクチン接種で感染を防ぐことができる、と勘違いしているようだ。イスラエルで感染が激減したのはワクチン接種によるのではなく、ロックダウン(都市封鎖)の影響によるものといわれている。ワクチンは発症予防効果は約95%と報告されているが感染予防効果は明確ではない。ワクチン接種しても感染はするが重症化はしない。だから感染を防ぐということではない。ワクチン接種後もマスク着用が必要ということのようだ。
     それに対して大規模なPCR検査をすれば早めに症状のない陽性患者を保護隔離し、市中感染を防ぐことができる。感染予防効果はワクチン接種よりも大きい、といえる。
引用返信/返信 削除キー/
■12317 / inTopicNo.55)  Re[17]: 大規模検査の必要性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/01(Sat) 21:15:56)
    「感染」っていう「語」の意味が問題ね。
    「感染した」とか「感染させる」っていう意味がね。
引用返信/返信 削除キー/
■12318 / inTopicNo.56)  Re[18]: 大規模検査の必要性
□投稿者/ rest -(2021/05/01(Sat) 21:48:56)
    No12317に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > 「感染」っていう「語」の意味が問題ね。
    > 「感染した」とか「感染させる」っていう意味がね。

    レスありがとう。ところで「感染」は常識的な意味でつかっている。なにが問題なのかな。もうちょっと具体的に展開してもらいたい。
引用返信/返信 削除キー/
■12319 / inTopicNo.57)  Re[19]: 大規模検査の必要性
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/01(Sat) 22:04:53)
    わたし>常識的<って言うのよくわかんないけど、>具体的に展開してもらいたい<で言うとすると、日常生活のなかで、支障があるかどうか、死んじゃうかどうか、こういうこと、とか、お医者さんにお世話にならない、っていう展開ならどうかしら?


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■12321 / inTopicNo.58)  Re[20]: 大規模検査の必要性
□投稿者/ rest -(2021/05/01(Sat) 22:25:21)
    No12319に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > わたし>常識的<って言うのよくわかんないけど、>具体的に展開してもらいたい<で言うとすると、日常生活のなかで、支障があるかどうか、死んじゃうかどうか、こういうこと、とか、お医者さんにお世話にならない、っていう展開ならどうかしら?
    >
    >

    上記の記述と感染の関係がよくわからない。言葉遊びでなければいいのだが、かいつまんで何がいいたいのか。わたしの意見に賛成なのか、反対なのか。批判なら内在的批判かそれとも外在的批判なのか。それとも単なる質問なのかな。
引用返信/返信 削除キー/
■12333 / inTopicNo.59)  ニーチェとワーグナー
□投稿者/ 田秋 -(2021/05/02(Sun) 13:57:51)
    こんにちは、パニチェさん

    茂木健一郎氏の《ニーチェとワーグナー》という講演がYoutubeに上がってました。
    https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/7801587.html

    1時間半近くの講演、しかも茂木さんが結構早口で聞き取りにくい所もあり、ざっと聞いただけなのですが、ニーチェがワーグナーから離れて行った原因について彼なりの考えを述べていました。

    心酔していたワーグナーに俗物性を感じそれが嫌になって去って行ったというのが定説です。茂木氏はニーチェが感じたワーグナーの俗物性を弁護しています。どういうことかと言うと、著作家は書物を残せばそれで良いのですが、オペラというものは作曲するだけではダメで、実際に上演する必要があります。が、そのためには莫大なお金がかかります。どうしてもお金が欲しくなります(茂木氏の表現は違っていましたがそういう趣旨)。援助してくれる金持ちには愛想がよくなりその辺りがニーチェには理解できず、ただの俗物に映ったのではないかという主旨です。

    その他、オペラ作曲家として成功しワーグナー自身がお金持ちになってしまったのもニーチェが理想としたワーグナーではなくなってしまったのではないかということも言ってました。

    実はニーチェはワーグナー自身を尊敬していたのではなくニーチェが理想としていたものをワーグナーに見出しそれに陶酔していたのだけれど、それが次第にニーチェの理想≠ワーグナーになってきた結果、ワーグナーから離れて行ったのではないかとっも言ってました(離れるどころか非難するようになります)。

    あと実はニーチェはワーグナーの音楽を理解していなかったのではないか?とも言ってました。この辺りは即座には鵜呑みにできないのですが、よくわかりません。

    茂木氏は高校時代にニーチェとワーグナーに出会い、そのことはとても良かったと言っていました。また、バイロイトによく足を運ぶワーグナー好きでもあるようです。

    以下はボクのコメントです。
    オペラの上演にお金がかかるのは本当ですが、それ故チケットも高いものとなり、その辺りが日本で中々オペラが浸透していかない一因となっています。

引用返信/返信 削除キー/
■12342 / inTopicNo.60)  Re[22]: ニーチェとワーグナー
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/03(Mon) 07:28:38)
    おはようございます、田秋さん。レスありがとうございます。

    No12333に返信(田秋さんの記事)
    > 茂木健一郎氏の《ニーチェとワーグナー》という講演がYoutubeに上がってました。
    > https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/7801587.html

    ご紹介ありがとうございました。講演の三分の二は脱線してて面白かったです。
    それにしても茂木氏の講演会が秘密結社なら、ニーチェクラブは極秘結社みたいなサイトですね(笑)

    > 心酔していたワーグナーに俗物性を感じそれが嫌になって去って行ったというのが定説です。茂木氏はニーチェが感じたワーグナーの俗物性を弁護しています。どういうことかと言うと、著作家は書物を残せばそれで良いのですが、オペラというものは作曲するだけではダメで、実際に上演する必要があります。が、そのためには莫大なお金がかかります。どうしてもお金が欲しくなります(茂木氏の表現は違っていましたがそういう趣旨)。援助してくれる金持ちには愛想がよくなりその辺りがニーチェには理解できず、ただの俗物に映ったのではないかという主旨です。
    > その他、オペラ作曲家として成功しワーグナー自身がお金持ちになってしまったのもニーチェが理想としたワーグナーではなくなってしまったのではないかということも言ってました。

    なるほど、それはそうかもしれませんね。

    > 実はニーチェはワーグナー自身を尊敬していたのではなくニーチェが理想としていたものをワーグナーに見出しそれに陶酔していたのだけれど、それが次第にニーチェの理想≠ワーグナーになってきた結果、ワーグナーから離れて行ったのではないかとっも言ってました(離れるどころか非難するようになります)。
    > あと実はニーチェはワーグナーの音楽を理解していなかったのではないか?とも言ってました。この辺りは即座には鵜呑みにできないのですが、よくわかりません。

    ニーチェはショウペンハウアーにせよ、ワーグナーにせよ、友人にせよ、気に入った相手は妄想に近いところとまで過大評価するクセがあります。
    で、幻滅した時にはそのギャップでもってこきおろす(笑)。ニーチェの悪いクセでもあるんですが、茂木氏も述べていたようにニーチェが後世に名を残せたのは、キリスト教や古典文献学、ショウペンハウアーやワーグナーと決別し、独特な哲学を打ち立てたからでもあるんだと思います。ツァラトゥストラに出てくる精神の三変化、駱駝から獅子となったように。。。

    > 茂木氏は高校時代にニーチェとワーグナーに出会い、そのことはとても良かったと言っていました。また、バイロイトによく足を運ぶワーグナー好きでもあるようです。

    茂木氏もニーチェから影響を受けていたのですね、知りませんでした。

    > 以下はボクのコメントです。
    > オペラの上演にお金がかかるのは本当ですが、それ故チケットも高いものとなり、その辺りが日本で中々オペラが浸透していかない一因となっています。

    なるほど、そういうことですか。
    暴論ですが。。。ひょっとしたら日本では歌舞伎の客層とオペラの客層がかぶるのかもしれませんね。

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