| 2021/04/25(Sun) 07:49:50 編集(投稿者)
エフニさんも指摘していたが「何でそんなこと貴方が知ってるの?」ってのが最強の反論となる。 論理や根拠で返そうとすると必ず破綻する。
それを言っちゃぁ〜聖書も同じよってことになるが。。。 要するに信仰とはそういうもの。
論理的に説明する必要などないし、むしろ論理や根拠が示せないのは信仰を否定されたり批判されることにはならない。 必ずしも論理が正しさや実相の根拠にはならないということ。
何故なら論理は言語であり、言語は不完全なものであるから。 論理至上主義こそナンセンス。
だから仏教では実相や真如は拈華微笑に象徴される教外別伝や勝義諦、不立文字や言語道断とされる。 拈華微笑も、仏典で語られる他の多くのイベントと同じく後から創作されたフィクションであるとは思うが、教説を広めるための方便だろう。
有神論者には自身の信仰対象や教義を哲学や科学でもって根拠付けたがるタイプも多いが、裏返して言えば、それは自身の信仰について自信のなさの表出でもあるのではないか?
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