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■11401 / inTopicNo.13)  Re[5]: リベットの実験について2
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/14(Sun) 08:03:09)
    2021/04/17(Sat) 08:54:13 編集(投稿者)

    レスありがとうございます。

    No11400に返信(restさんの記事)

    > 意味はわかります。中断する意思決定の準備電位が最終的には決めているのではないかという疑問だと思います。しかしその準備電位の決定も中断することができますので無限連鎖になります。そうならないで一次中断で済んでしまうのは自由意志による選択があるからです。二次中断をしないという選択です。それも準備電位が先行しますがそれを受け入れるか受け入れないかの選択の自由があるのです。準備電位と自由意志は相関関係はあるとは思いますがまったく別物だと考えています。

    実験結果を肯定的に捉えればrestさんに同意します。
    あえて批判的に捉えるとすると。。。。。t

    >>二つ目は中断したのは自由意志によるものではなく、脊髄反射的なものではないか?ということです。つまり意思決定に際する準備電位を打ち消したのは自由意志ではなく(訓練によって習得した)反射ではないか?という疑問です。
    >  反射にも見えますが、私は訓練による瞬発的な判断力の向上のせいではないかと思っています。たとえば卓球の選手のように一定のルールの認識を前提とした瞬発的な判断力つまり自由意志の一形態ではないかと考えています。

    >>上記の実験は自由意志による行為より反射の方が速度的に(ショートカット経路によって)上回るので、反射は自由意志による行為を抑え込めることができるということの証明であって、自由意志に関する検証にはならないのではないか?という疑問です。
    > 自由意志と反射の区別は難しいですね。私もわかりません。

    実験は、例えばイチゴ狩りに行ったとして、今まさにイチコをもぎ取ろうとした時に(自由意志)、モゾモゾと動く蛇を察知して咄嗟に手を引っ込める(中断する)動作と同じではないかという疑問です。
    咄嗟の反射的な動作に準備電位が生じないかもしれないし、生じたとしても約0.35秒前よりも短い時間である可能性もあります。

    上記のように考える根拠は以下のように咄嗟的な動作や反射には通常の認識経路ではなく扁桃体経由の短縮経路が存在するからです。
    実験では「赤のシグナルが現れたときには、ボタンを押すのを止めるように訓練された」とのことですから、restさんも指摘する卓球の選手のような瞬発的な動作、つまり反射に近い動作のように思えるのです。

    ******************************************

    五感を通して取り込まれた情報は、ひとまず視床で分類されてから、それぞれの処理領域に送られる。やぶでヘビを見たときのような感情的な刺激の場合、情報は二つに分けられて二系統で流れていく。どちらを通っても最終的には脳の警報装置であり、感情反応の発電装置である扁桃体に到達するのだが、二つの経路はかなり性質を異にする。第一経路は、脳の後部にある視覚野を通る。そこで情報が分析され、わかったことが発信される。この段階では、模様のある細長いものが、いまここでのたくっているという情報にすぎない。脳の認知領域が働きだしてようやく、そのくねくねするものが何か判断される。情報にヘビというラベルがついたことで、長期記憶に蓄積されているヘビ関連の知識が引っぱりだされる──動物で、いろんな種類があって、危険化もしれない?これらの要素がひとつになって、「ヘビだ。ほら、ここ。ぎゃーっ」といった感じのメッセージが作られる。メッセージを聞いた扁桃体が、身体を動かそうとする。
    第一経路は長く曲がりくねっていて、途中にいくつか停留所がある。差しせまった状況だと、これではまにあわない──もっとすばやく反応できるシステムが必要だが、それを受け持つのが第二経路である。視床と扁桃体は、もともと近い場所にあり、神経組織の束で結ばれている。また扁桃体は闘争や逃避反応とコントロールする視床下部ともうつながっている。これがルドゥーの言う「ぬかるみの近道」で、ここを通れば、情報は1000分の1秒単位の速さで、目から体に到達する。恐怖の条件づけは、情報がこの近道を通るときに起こるようだ。たいていの記憶は、大脳辺縁系のなかにある小さな、しかしとても重要な海馬によってコード化される。(リタ・カーター著、養老孟司監修 脳と心の地形図)

    *************** 引用終わり ***************

    上記のような第二経路を通る動作や訓練された俊敏な動きにも準備電位が生じるかどうかは興味深いし検証すべきだと思います。
    腱反射のような動きは準備電位は生じないような気がします。


引用返信/返信 削除キー/
■11402 / inTopicNo.14)  Re[6]: ニーチェの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/14(Sun) 08:59:03)
    おはようございます。
    パニさん、■11397、ありがとうございます。

    パニさんひょっとしてニーチェのおおかた打ち込んじゃってるんじゃないかしら。

    ツァラトゥストラの「精神の三変化」、比喩的?でなんかわたしにはわかりずらかった。
    でもこれだけじゃわるいから、少しだけ。

    >わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせよう。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になる次第を。<

    ラクダになった精神は、次にはシシになって、最後には精神は子供になる、っていう話だと思ったんだけど、違ってたらごめん。
    こう見たとき、わたしのばあい、精神はどのようにしてラクダになってゆくのかしら、っていうところの方に興味がある。だからわたしメルポンね。

引用返信/返信 削除キー/
■11405 / inTopicNo.15)  Re[7]: ニーチェの
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/14(Sun) 09:29:54)
    2021/03/14(Sun) 10:57:20 編集(投稿者)

    No11402に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > おはようございます。
    > パニさん、■11397、ありがとうございます。

    どういたしまして。

    > パニさんひょっとしてニーチェのおおかた打ち込んじゃってるんじゃないかしら。

    そんなことはないんだけど、Panietzsche Roomにニーチェのアフォリズムを引用したかつてのYahoo!掲示板&textream時代の投稿が残ってます。^^

    > ツァラトゥストラの「精神の三変化」、比喩的?でなんかわたしにはわかりずらかった。

    ツァラトゥストラ自体が難解やから、全体の文脈からここだけ切り取っても余計に分かりにくやろね。

    > でもこれだけじゃわるいから、少しだけ。
    > >わたしはきみたちに精神の三つの変化を挙げてみせよう。すなわち、精神がラクダになり、そしてラクダがシシになり、そして最後にシシが子供になる次第を。<

    > ラクダになった精神は、次にはシシになって、最後には精神は子供になる、っていう話だと思ったんだけど、違ってたらごめん。

    ここで語られる比喩はその通りです。

    > こう見たとき、わたしのばあい、精神はどのようにしてラクダになってゆくのかしら、っていうところの方に興味がある。だからわたしメルポンね。

    なるほど。^^
引用返信/返信 削除キー/
■11413 / inTopicNo.16)  脳科学について
□投稿者/ rest -(2021/03/14(Sun) 20:52:24)
     脳科学は科学といえるか。大脳機能の局在論と全体論で対立が続き、決着がついていないことが根拠。
    1920年代米国のKarl Lashley博士はラットの迷路記憶後、大脳皮質を破壊した。脳のどこを壊したかではなく、脳をどれだけ壊したかに相関して、記憶の消失が生じることを示した。記憶の海馬説(局在論)に対して全体論の立場である。
     てんかんの手術で脳の右半分失った3歳男子のニコや11歳の子供ブルックスは左半分を切除後、正常な心や精神の機能を保っていたという全体論のケースもある。
    高次機能をもった自我や自由意志を脳のどこかに局在しているとみるか、あるいは脳全体の総合的な働きとみるかの対立もある。
     リベットの実験では脳の第二次運動野を中心に準備電位を記録しているので局在論の立場のようだ。
引用返信/返信 削除キー/
■11416 / inTopicNo.17)  Re[4]: リベットの実験について
□投稿者/ おくたがわ -(2021/03/15(Mon) 18:48:33)
    No11387に返信(パニチェさんの記事)
    restさん、興味深い情報をありがとうございます。
    また、動画に興味を持ってくださった皆さん、ありがとうございます。
    パニチェさん、横レスで失礼します

    > 2021/03/13(Sat) 09:40:49 編集(投稿者)
    >
    > おはようございます、restさん。横レス失礼します。
    >
    > ■No11384に返信(restさんの記事)
    >
    >>自由意志が存在するかどうかについてリベットの実験についての考察があります。自由意志は存在するそうです。ただし0.2秒間だけだそうです。詳しくは次の通りです。
    >
    >>https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/
    >
    >>脳の準備電位が決定した後これを拒絶できるということを示したということは自由意志の存在を示したことになります。
    >>カントの『純粋理性批判』における第三アンチノミーで展開された「自然因果性」の決定論的傾向を我慢することによって「自由因果性」である選択可能性を広げて自由意志の存在を示したことと共通するものがあります。
    >
    >
    > 興味深いリンクをありがとうございました。
    > リベットは「マインド・タイム」を読みました。
    > カントはある見解において脳科学が到達した知見に先駆けていたということは同意です。
    >
    > リンク先の実験で疑問に思う点は二つあります。
    >
    > ひとつは中断する意思決定の準備電位は発生しているのかどうか、もし発生しているとするとそれは何秒前か?ということです。

    その準備電位が発生していたら自由意志否定への反論にならないのではないでしょうか?
    もちろん「拒否」の顕在意識があって後に準備電位があれば明確な反論になると思いますが、そのような決定的な観察結果があれば明記されているはずと思われ。
    ボタン押す準備電位→顕在意識による意思→ボタン押し という行為決定のセットとは異なる仕組み・経路で「拒否」が割り込むということではないでしょうか。

    > 二つ目は中断したのは自由意志によるものではなく、脊髄反射的なものではないか?ということです。つまり意思決定に際する準備電位を打ち消したのは自由意志ではなく(訓練によって習得した)反射ではないか?という疑問です。

    私も『赤のシグナルが現れたときには、ボタンを押すのを止めるように訓練された』という部分が引っかかりました。それは自由意志の証明になるのか…

    > 上記の実験は自由意志による行為より反射の方が速度的に(ショートカット経路によって)上回るので、反射は自由意志による行為を抑え込めることができるということの証明であって、自由意志に関する検証にはならないのではないか?という疑問です。
    >
    > さらに言えば、突如現れた蛇を避けるために通常の認識経路ではなく、扁桃体経由のショートカットで反射的に飛び退くような動作を自由意志とするかどうか。言いかえれば何をもって自由意志とするか?という言葉の定義問題にも発展しそうな結果だと思います。

    そもそもの、準備電位が顕在意識より先にあるから自由意志は幻想ではないか という問題について反論なり解決になっているかどうか私には分かりませんでした。


    無意識が提示してくる様々な行為の準備に対し、それを拒否するかそのまま実行するかを選べる別なシステムがある。それらの総合で実際の人の行いがきまる。という仕組みが示唆される気がするのですが、仮にそうだった場合にも、そのどの部分に自由意志があるかないか、という問題は難しいままのような気がしています。


    もしかしたら理解できず、トンチンカンを書いているかもしれません。
引用返信/返信 削除キー/
■11418 / inTopicNo.18)  Re[5]: リベットの実験について
□投稿者/ おくたがわ -(2021/03/15(Mon) 19:11:35)
    2021/03/15(Mon) 19:22:07 編集(投稿者)

    No11378に返信(pipitさんの記事)
    pipitさん、こんばんは

    > 前野隆司先生、かなり気になってる先生です
    > この動画も見たことあります!(家事とかしながらなんですけど(^◇^;))
    >
    > 昨日も、たまたま、子供と意識のこととか話してて、おかーさん、顕在意識の部分が受動意識仮説になってる可能性、わりとありかもって思ってんねん〜、って、前野先生のこと思いながら話してました。

    自分も以前からわりにしっくりくるというか、その方がありそうという気がしています。前野さんではなく外国の学者の本にあった似たような説なのですが。個人的には抵抗感がないのですが、こういう仮説については欧米人の方が強い違和感を持つのかなぁ。

    将棋の指し手の判断とか作曲とか、天才と言われる人たちのアウトプットも顕在意識による意思決定より受動意識仮説の方が説明しやすい気がします(気がするだけかもしれませんが


    しかし、お子さんとそういう話をされているという時点ですごいですね。天才。


    話変わりますが、ネットで中山元さん訳の純粋理性批判2の試し読みを読んで続きを読みたくなって、2と3を買ってしまいました。
    試し読みの段階では、なんとかいけるかもと思ったのですが、続きを読むと難しい。暗号解読になってきた。それでも少ーーしづつ読んでいくつもりです。理解できないものは理解できないまま・あるがまま(違。

引用返信/返信 削除キー/
■11419 / inTopicNo.19)  Re[6]: リベットの実験について
□投稿者/ おくたがわ -(2021/03/15(Mon) 19:12:51)
    悪魔はあくまで悪魔である。あーくまったくまった。
引用返信/返信 削除キー/
■11427 / inTopicNo.20)  Re[7]: リベットの実験
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/16(Tue) 21:08:18)
    ■11419
    悪魔ってだれを相手にしてると思う?
    人間なのね。人間知らなくちゃどうしようもないのね。特に精神とか意識とか心をね。おくったがわさん、なにもくまることないよ〜。

    「リベットの実験」って、「科学」なんよね。んで、これから”生の人間”の何がわかるのかしら?

    メルポンは、こんなことを言ってる。
    【後頭部の損傷は盲目を生ずるけれども、しかしそのことは、われわれが後頭部「で」見ることを意味していないのである。】(MC)
    なんか、わたしこっちのほうがおもしろそう。




引用返信/返信 削除キー/
■11428 / inTopicNo.21)  前野隆司先生の本
□投稿者/ pipit -(2021/03/17(Wed) 16:01:21)
    皆様こんにちは。
    おくたがわさん、動画のご紹介ありがとうございます!

    前野隆司先生の『脳の中の私はなぜ見つからないのか』という、出版契約が切れた本の対談の部分以外を、前野先生が無料公開されているようです。(YouTubeのコメント欄にありました)

    https://www.dropbox.com/s/huo25aw53diwt20/honbun.pdf?dl=0


    その5ページ目から、前野先生が執筆する上での定義を記述されています。

    8ページの後ろあたりで記述されていますが、(以下は、前野先生の言葉ではなくpipitの読文感想の言葉です。)例えば一元論、二元論などの、どの立脚点が正しいのか誤ってるのか判定できる構造になってるのではなく、それぞれが論として閉じているのではないか、その上で、前野先生なりの定義を設定してから、前野先生の考えを述べられていくように思いました。

    pipitの感想を言えば、
    私は、潜在意識も【こころ】や、【意識】に含めて考えているので、前野先生の定義とは前提がかなり違ってきます。
    私は、カブトムシにも意識はあるんじゃないかなーと思ってる派ですので。

    って、、、この時の『意識』が、前野先生とpipitではもう定義的にズレているので、こういう話題をどなたかと対話するのはとても難しくなりそうですよね。
引用返信/返信 削除キー/
■11431 / inTopicNo.22)  おくたがわさんへ
□投稿者/ pipit -(2021/03/17(Wed) 16:20:34)
    2021/03/17(Wed) 16:31:32 編集(投稿者)

    おくたがわさん、こんにちは♪

    > 自分も以前からわりにしっくりくるというか、その方がありそうという気がしています。前野さんではなく外国の学者の本にあった似たような説なのですが。個人的には抵抗感がないのですが、こういう仮説については欧米人の方が強い違和感を持つのかなぁ。
    >
    > 将棋の指し手の判断とか作曲とか、天才と言われる人たちのアウトプットも顕在意識による意思決定より受動意識仮説の方が説明しやすい気がします(気がするだけかもしれませんが<

    そうですね、インプット、と、アウトプット、という概念で見るとわかりやすくなる気がしています。
    私は今のところ、顕在意識は潜在意識によるアウトプットであり、それをまた、、、pipitに浮かぶ言葉としては、、、こころ、にインプットしているイメージを持っています。
    あ、今思ったけど、オートポイエーシス論を思い浮かべました。

    > しかし、お子さんとそういう話をされているという時点ですごいですね。天才。<

    いえいえ、めちゃめちゃ浅く、かつ、めちゃめちゃいい加減に、話してます(^^;;


    > 話変わりますが、ネットで中山元さん訳の純粋理性批判2の試し読みを読んで続きを読みたくなって、2と3を買ってしまいました。
    > 試し読みの段階では、なんとかいけるかもと思ったのですが、続きを読むと難しい。暗号解読になってきた。それでも少ーーしづつ読んでいくつもりです。理解できないものは理解できないまま・あるがまま(違。<

    おくたがわさんが読んでくださってるの、嬉しいなぁ
    ん?もっちろん、pipitもいまだに未読、未完了です !

    御子柴善之先生の解説本も手元にあるので、気が向いたらいつでも純粋理性批判トピにでも書き込んでくださいね〜 (^O^)/
引用返信/返信 削除キー/
■11432 / inTopicNo.23)  オートポイエーシス論
□投稿者/ pipit -(2021/03/17(Wed) 16:27:10)
    オートポイエーシスについてわかりやすく説明されているサイトをこの前見つけました。

    https://liberal-arts-guide.com/autopoiesis/

    まだ固まってない理論かもで、先生によって定義は揺れてるかもですけど

    本当に、コミュニケーションも定義も、難しいですよね

    って、難しくしてる(考えてる)だけなのかな ???
引用返信/返信 削除キー/
■11473 / inTopicNo.24)  Re[5]: リベットの実験について3
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/20(Sat) 17:08:30)
    2021/04/17(Sat) 08:56:26 編集(投稿者)

    こんにちは、おくたがわさん。レスありがとうございます。

    No11416に返信(おくたがわさんの記事)

    >>リンク先の実験で疑問に思う点は二つあります。
    >>ひとつは中断する意思決定の準備電位は発生しているのかどうか、もし発生しているとするとそれは何秒前か?ということです。

    > その準備電位が発生していたら自由意志否定への反論にならないのではないでしょうか?
    > もちろん「拒否」の顕在意識があって後に準備電位があれば明確な反論になると思いますが、そのような決定的な観察結果があれば明記されているはずと思われ。
    > ボタン押す準備電位→顕在意識による意思→ボタン押し という行為決定のセットとは異なる仕組み・経路で「拒否」が割り込むということではないでしょうか。

    これは反論というより疑問です。
    もし赤シグナルを察知して咄嗟的にボタンを押すことを中断する動作に準備電位が生じていたとしたら、緑シグナル時にボタンを押そうとする際に発生する0.35秒前の準備電位よりも短時間(もっと素早い時間)で発生することになり(そうでないと中断できない)、そうなると緑シグナル時の準備電位と赤シグナルの準備電位の差は何か?という新たなる疑問が生じます。
    仮に赤シグナルの準備電位は反射的な動作に際して発生するものであるなら、これを自由意志による中断と見なすかどうかを論じる必要が生じる(赤シグナルによる中断に準備電位が発生しないなら、なおさら緑シグナルとの差異が明確になる)のではないか?という疑問です。

    >>二つ目は中断したのは自由意志によるものではなく、脊髄反射的なものではないか?ということです。つまり意思決定に際する準備電位を打ち消したのは自由意志ではなく(訓練によって習得した)反射ではないか?という疑問です。
    > 私も『赤のシグナルが現れたときには、ボタンを押すのを止めるように訓練された』という部分が引っかかりました。それは自由意志の証明になるのか…

    同意です。一つ目の疑問もこれを土台とした疑問であり、それを準備電位が発生する時差あるいは発生するかしないかを検証するべきではないか?と考えたわけです。

    >>上記の実験は自由意志による行為より反射の方が速度的に(ショートカット経路によって)上回るので、反射は自由意志による行為を抑え込めることができるということの証明であって、自由意志に関する検証にはならないのではないか?という疑問です。
    >>さらに言えば、突如現れた蛇を避けるために通常の認識経路ではなく、扁桃体経由のショートカットで反射的に飛び退くような動作を自由意志とするかどうか。言いかえれば何をもって自由意志とするか?という言葉の定義問題にも発展しそうな結果だと思います。

    > そもそもの、準備電位が顕在意識より先にあるから自由意志は幻想ではないか という問題について反論なり解決になっているかどうか私には分かりませんでした。

    無意識時に脳が反応して、それを後付けで自分の意志であるかのように考えていたら、自由意志があるという主張は説得力があまりないように思えます。
    要するに私たちは外部刺激という人形師とこれに反応する神経系(脳も含めた)に操られたマリオネットってことにもなります。

    > 無意識が提示してくる様々な行為の準備に対し、それを拒否するかそのまま実行するかを選べる別なシステムがある。それらの総合で実際の人の行いがきまる。という仕組みが示唆される気がするのですが、仮にそうだった場合にも、そのどの部分に自由意志があるかないか、という問題は難しいままのような気がしています。

    おくたがわさんは、例えば腱反射には自由意志が入り込む余地があると思いますか?
    なんか昔々に鮭場と議論(ディベート)した「信号機に意志はあるのか?」が思い出されます。^^

    > もしかしたら理解できず、トンチンカンを書いているかもしれません。

    全然トンチンカンだとは思いません。むしろ心地よい知的な刺激になるレスです。^^

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