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■11387 / inTopicNo.97)  Re[3]: リベットの実験について1
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/13(Sat) 07:53:45)
    2021/04/17(Sat) 08:52:40 編集(投稿者)

    おはようございます、restさん。横レス失礼します。

    No11384に返信(restさんの記事)

    > 自由意志が存在するかどうかについてリベットの実験についての考察があります。自由意志は存在するそうです。ただし0.2秒間だけだそうです。詳しくは次の通りです。

    > https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/

    > 脳の準備電位が決定した後これを拒絶できるということを示したということは自由意志の存在を示したことになります。
    > カントの『純粋理性批判』における第三アンチノミーで展開された「自然因果性」の決定論的傾向を我慢することによって「自由因果性」である選択可能性を広げて自由意志の存在を示したことと共通するものがあります。


    興味深いリンクをありがとうございました。
    リベットは「マインド・タイム」を読みました。
    カントはある見解において脳科学が到達した知見に先駆けていたということは同意です。

    リンク先の実験で疑問に思う点は二つあります。

    ひとつは中断する意思決定の準備電位は発生しているのかどうか、もし発生しているとするとそれは何秒前か?ということです。

    二つ目は中断したのは自由意志によるものではなく、脊髄反射的なものではないか?ということです。つまり意思決定に際する準備電位を打ち消したのは自由意志ではなく(訓練によって習得した)反射ではないか?という疑問です。

    上記の実験は自由意志による行為より反射の方が速度的に(ショートカット経路によって)上回るので、反射は自由意志による行為を抑え込めることができるということの証明であって、自由意志に関する検証にはならないのではないか?という疑問です。

    さらに言えば、突如現れた蛇を避けるために通常の認識経路ではなく、扁桃体経由のショートカットで反射的に飛び退くような動作を自由意志とするかどうか。言いかえれば何をもって自由意志とするか?という言葉の定義問題にも発展しそうな結果だと思います。




引用返信/返信 削除キー/
■11385 / inTopicNo.98)  Re[2]: :ニーチェの
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/12(Fri) 22:42:23)
    2021/03/13(Sat) 10:46:29 編集(投稿者)

    No11383に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > パニさん、ちょっと聞いていい?
    > わたしニーチェのは『善悪の彼岸』のほかに、工藤綏男さんの「ニーチェ」っていう本を読んだことあるだけど、そのなかに、
    > 〔‥‥ニーチェほど、危険な誤解をさそう思想家もないであろう。たとえば、神が死んだ、「真理はどこにもない、いっさいのことは許される」(『ツァラトゥストラ』第四部、影)…〕
    > ってあったんだけど、「真理はどこにもない、いっさいのことは許される」って、彼、本当にそう言ってるの? 

    上記はニーチェの主著である「ツァラトゥストラ」という物語の中に出てくる影(ツァラトゥストラのネガティブな部分の分身)という登場人物が吐いた言葉(ツァラトゥストラというストーリーの中のひとつの台詞)なので、あまり参考にはなりませんし、直接的なニーチェの言葉ではないです。

    以前に引用した以下が真理に関するニーチェのスタンスです。

    『われわれは認識のための、「真理」のための器官を、全く何ひとつ有(も)っていない。われわれは、人間群畜や種属のために有用だとされるちょうどそれだけを「知る」(あるいは信ずる・あるいは妄想する)のである(悦ばしき知識 第354番)』

    『真理とは、それなくしては特定種の生物が生きることができないかもしれないような種類の誤謬である。生にとっての価値が結局は決定的である。(力への意志 第493番)』

    『「これこれのものはこうであると私は信ずる」という価値評価が、「真理」の本質にほかならない。(力への意志 第507番)』

    『真理とは何か?──惰性のことである。精神的力の最小の消費その他という満足を生ぜしめる仮説そのもの(力への意志 第537番)』


    真理の有無ではなく我々の感覚器官は真理なるものを認識する能力はないだろうということ。
    例えて言うなら、視覚ひとつをとってもコウモリが超音波でもって捉える世界や複眼で捉える世界などなどもあるわけで、感覚器官に世界の在り様が再現されたものである以上、その真偽は判断不可能であるみたいな話です。

    固定的かつ絶対的なもの(真理)を欲するがためにでっち上げる(捏造する)のは、無知無能な人間の無いものねだり(裏返し)程度でしかないというような感覚だと思います。


    また「一切のことは許される」という台詞は、キリスト教の原罪など生が罪深いものとしたり、最後の審判(神によって下される許されるべきものと許されないもの)に対するアンチテーゼ的な台詞であると思います。

引用返信/返信 削除キー/
■11384 / inTopicNo.99)  リベットの実験について
□投稿者/ rest -(2021/03/12(Fri) 22:37:34)
    2021/03/12(Fri) 22:57:30 編集(投稿者)

      自由意志が存在するかどうかについてリベットの実験についての考察があります。自由意志は存在するそうです。ただし0.2秒間だけだそうです。詳しくは次の通りです。


      https://wired.jp/2016/06/13/free-will-research/

     脳の準備電位が決定した後これを拒絶できるということを示したということは自由意志の存在を示したことになります。
     カントの『純粋理性批判』における第三アンチノミーで展開された「自然因果性」の決定論的傾向を我慢することによって「自由因果性」である選択可能性を広げて自由意志の存在を示したことと共通するものがあります。
引用返信/返信 削除キー/
■11383 / inTopicNo.100)  Re[1]:ニーチェの
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/03/12(Fri) 21:18:11)
    パニさん、ちょっと聞いていい?

    わたしニーチェのは『善悪の彼岸』のほかに、工藤綏男さんの「ニーチェ」っていう本を読んだことあるだけど、そのなかに、

    〔‥‥ニーチェほど、危険な誤解をさそう思想家もないであろう。たとえば、神が死んだ、「真理はどこにもない、いっさいのことは許される」(『ツァラトゥストラ』第四部、影)…〕

    ってあったんだけど、「真理はどこにもない、いっさいのことは許される」って、彼、本当にそう言ってるの? 


引用返信/返信 削除キー/
■11381 / inTopicNo.101)  哲学全般、科学(科学哲学)、仏教etc 6
□投稿者/ パニチェ -(2021/03/11(Thu) 20:44:57)
    「〈私〉について 11」トピも兼ねる

    ニーチェ、ウィトゲンシュタイン、科学哲学など哲学全般

    脳科学、進化論、物理(相対性理論、量子力学)

    初期仏教、中論、唯識、華厳、大乗仏教などなど

    上記でなくても何でもどうぞ♪
引用返信/返信 削除キー/

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