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おはようございます。 ちょっとお邪魔させて頂きます。 「最後の審判」 カトリックの教義を少し読んでみました。 いやはや、大変ですね。 ま〜死後の事ですから死んでから?後悔する?のも有りかな^^
■No13580に返信(knowing itselfさんの記事)
> > ↑この4つの事柄は最後の審判以前の事柄です。最後の審判以前に決まっています。最後の審判とは基本的に無関係だと思います。個人の生に対する個別の審判で示される事柄です。最後の審判は神の救済ストーリーのエンディングでしょう。その人間の生が神の客観的な救済ストーリーの中で、私的にではなく公的に明るみに出される。
↑上記の「私的」「公的」とはどういうことですか? カトリックによる審判に関係しますか?
Wiki によれば
ーー引用始めーー カトリック教会では公審判の教義が保持されている。肉体が復活して魂と結び合わされた後に、「公審判」があるとされる
公審判(こうしんぱん、ラテン語: Judicium Universale, 英語: The General Judgment, ドイツ語: Das Jüngste Gericht, ロシア語: Страшный суд)とは、正教会・カトリック教会で、肉身の復活の後に、イエス・キリストの栄光の再臨のときに行われる、すべての人をその行ってきた善悪により裁くとされる審判[1][2]。私審判と区別される。
ーー引用終わりーー
「最後の審判」について 愛満開さんのプロテスタントの教派では 牧師さんは どのようにお話しされているのでしょうか?
愛満開さん、宜しかったら教えて頂けませんか 。
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