| 愛満開さん レスありがとうございます。
> >キリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。
いま目の前のこのパンが、キリストが断言したとおりのキリスト自身の体ならそうなると思います。キリストの違ったバージョンが多数あるわけではありませんから。二千年前に十字架ののち復活して天にあるキリストの体。
> >いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。
天にあるキリストの体が最後の審判にあらわれるのであれば、それと同じキリストの体が現前するということだと思います。
> >三位一体の恵みが時空間に遍在する。 > > >華厳的な発想でいえば、一即多、多即一
キリストは究極の光だとされます。そのキリストは一人しかいない。ところが、二千年にわたって世界中の津々浦々で、パンとしてリアルに現前してきた。天文学的な数字のパンになるでしょう。それだけの数の変異キリストバージョンがあるわけではなく、一つのキリストがあるだけですが、それだけの数のキリストの現前も真理でる。華厳的な光の世界を、わたしとしては連想します。
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