| knowing itselfさん こんばんは
>>宇宙を存在させる神の力が、パンという聖体として存在していることの有難さを感じさせられました。 >>そして、その存在の源は、三位一体の愛の力だと思いますし、その中に入れることの幸せを感じる今日この頃です。 > > まったくその通りだと思います。あと余計な説明かもしれませんが、カトリック的には、パンという聖体という表現は少し違うかなと。パンはそこにはすでになく、聖体だけがあるというのが正確だと思います。パンの実体が水平的に聖体という実体に変化したというより、パンがあったとみえたところに、垂直的に聖体が現存することになったというべきでしょう。 > パンは単なる外観としてあるだけです。実体としてパンはまったく存在していません。パンが聖体なのではなく、聖体をいのちのパン、真のパンと呼ぶ、というのがカトリック的です。
なるほど、パンに見えるけれども、それは、聖体なのですね。
> 聖体は、三位一体の極限の濃密な交わりが地上で具現化した頂点ということだと思います。
その通りだと思います。 それをなくしては、神と人との愛の交流は、全く無くなってしまいますから。
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