(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

[ 親記事をトピックトップへ ]

このトピックに書きこむ

レス数の限度を超えたのでレスできません。

(レス数限度:100 現在のレス数:100) → [トピックの新規作成]
■13089 / inTopicNo.85)  Re[7]: 進化と退化
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/23(Sun) 21:27:42)
    2021/05/23(Sun) 22:30:36 編集(投稿者)

    No13087に返信(悪魔ちゃんさんの記事)

    > 生物は変化し続ける、っていうの、わたしもそう思うのね、
    > でねその変化に「進化」っていう意味を適用する、ていうことが問題ね。
    > 「進化」っていうのがあるんだたら「退化」っていうのもあっていいよね。
    > そのなかで生物の変化を見ようとすること自体は問題にしなおのかしらね。

    YouTubeにもあるよう に「進化」が「進む」という字を使っているからと言っても必ずしも「進んだ結果の形体」ではない。
    例えば退化ってのは、あった形質がなくなることなんだけど、一説では蛇は手足が無くなった(退化した)結果とも言われている。

    要するに進んだ結果が退化でもありえる。
    悪魔ちゃんが言ってるように変化の形態として進化と退化があるということやね。

    ***以下、goo辞書より***
    【退化】 の解説
    1 進歩が止まって以前の状態に逆戻りすること。また、衰えたり規模が小さくなったりすること。「記憶力が退化する」⇔進化。
    2 生物の個体発生または系統発生の過程において、器官・組織などが縮小・衰退、あるいは消失すること。人間の虫垂・尾骨などはその例。退行。
    ****** 引用終り ******

    進化論で言うところの退化は上記の2の意味やね。
引用返信/返信 削除キー/
■13087 / inTopicNo.86)  Re[6]: 進化
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/23(Sun) 21:08:37)
    「進化」ってネットで調べて見たら、
    ウィキでは、

    《生物は不変のものではなく長期間かけて次第に変化してきた、という仮説(学説)に基づいて、現在見られる様々な生物は全てその過程のなかで生まれてきたとする説明や理論群である。進化が起こっているということを認める判断と、進化のメカニズムを説明する理論という2つの意味がある。なお、生物学における「進化」は純粋に「変化」を意味するものであって「進歩」を意味せず、価値判断について中立的である。》
    ってあった。

    生物は変化し続ける、っていうの、わたしもそう思うのね、
    でねその変化に「進化」っていう意味を適用する、ていうことが問題ね。
    「進化」っていうのがあるんだたら「退化」っていうのもあっていいよね。
    そのなかで生物の変化を見ようとすること自体は問題にしなおのかしらね。

    「アダムのりんご→キリストのパン」
    っていうことと、進化論が結びついた(つけた?)っていうの、
    わたしにはよくわかんなかったよ〜。

    ん?偶然と必然を問題としてるの?
    「偶有性」っていう科学者でありたいから言ってる人いる偏見の人いるみたいだけど、そういうんじゃないよね?







引用返信/返信 削除キー/
■13083 / inTopicNo.87)  ネオダーウィニズム
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/23(Sun) 19:09:16)
    2021/05/23(Sun) 19:36:10 編集(投稿者)

    こんばんは、愛満開さん。横レス失礼します。

    No13082に返信(愛満開さんの記事)

    > 進化論は、通常、適者生存として優秀な勝者が愚劣な敗者を打ち負かして生き残ってきたという考えだと思われている様ですが、実は、これまで地球上に出現した生物のうち、何と99・9%が絶滅していると言事です。
    > しかも、現在の生物種が、生き残ってきたのは、単なる偶然にすぎないと言う事です。

    多分、上記は進化論によくある誤解だと思います。
    強者が残ったということではありませんし(環境を追われた弱者が進化した)、単なる偶然にすぎないということでもありません(自然選択によってある方向性を有してる)。
    ちなみに進化論の主流派は現在もネオダーウィニズムです。

    ネオダーウィニズムはランダムな突然変異と自然選択によって生物が進化してきたという学説で、セントラルドクマ(遺伝情報はDNA→(転写)→mRNA→(翻訳)→タンパク質の順に一方通行的に伝達されるという学説)を基底としており、獲得形質(生後に獲得した姿形、つまり鍛練によって備わった体型や能力)遺伝は否定しています(獲得形質は遺伝しない)。

    以下がネオダーウィニズの分かりやすい説明です。

    【ゆっくり解説】実は間違い!?生物の「進化」のイメージの誤解と真実
    https://www.youtube.com/watch?v=2ZiRcQHf-Dk


    私個人はネオダーウィニズムを支持しておらず、生物進化は適者生存もあり、自己組織化もあり、不適者生存もあり、獲得形質遺伝(エピジェネティクス)もあり、これらの複合だと考えています。

引用返信/返信 削除キー/
■13082 / inTopicNo.88)  Re[7]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/23(Sun) 18:43:02)
    進化論は、通常、適者生存として優秀な勝者が愚劣な敗者を打ち負かして生き残ってきたという考えだと思われている様ですが、実は、これまで地球上に出現した生物のうち、何と99・9%が絶滅していると言事です。

    しかも、現在の生物種が、生き残ってきたのは、単なる偶然にすぎないと言う事です。

    進化には、隕石が衝突してそれまで約2億年以上も我が世の春を堪能していた恐竜が絶滅したり何とも「理不尽な」絶滅があるということです。

    ホモサピエンスもせいぜい20万年前から10万年前に現れたに過ぎないのですから、恐竜の世紀が地球上で如何に長く豊かな時代だったか、信じられない長さだったことが分かります。

    この偶然性に彩られた地球上の生物史を思うとき、決して優秀だから生き残ったのでもなく適者生存という意味が違って見えてきます。

    生物の生存とは、全ては、ギャンブルのような偶発性の「宝くじだよ人生は」という感じなのでしょうか。

引用返信/返信 削除キー/
■13080 / inTopicNo.89)  Re[6]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/23(Sun) 18:10:56)
    knowing itselfさんこんばんは。

    分からないことを、いろいろ教えて戴き大変勉強になります。

    >>やはり、神の愛と赦しの恵みにキリストの体を日々食べてその血を飲み続けなければならなと言う事でしょうか。
    >
    > 毎日食べて飲まなければならないということはないと思います。それを強要したら、一方的な無条件の恵みではなくなりますから。キリストの過越はあくまで一回です。一回で終わって完成しています。その一回性の出来事を分かち合うことだと思います。

    へぇー、一回でいいんですか。それは、大変助かりますね。
    やはり、三位一体の神は、それくらい愛に溢れておられると言う事なのでしょうね。

    ところで、最近、「哲学の劇場」の吉川浩満氏の「理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ」という本を読んでいますが、進化論と創世記の神の創造とはどのように理解すれば良いのでしょうか。

    https://www.asahipress.com/rifujin_web/

引用返信/返信 削除キー/
■13033 / inTopicNo.90)  Re[6]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ flora -(2021/05/22(Sat) 20:26:39)
    No13031に返信(knowing itselfさんの記事)こんにちは

    >>「禁断の果実」ということですが、knowing itselfさんがこれをリンゴと断定する理由をお教えいただけませんか?
    >
    > 「断定」のつもりはありません。聖書ではりんごと記述されていませんね。絵画などでりんごとして描かれることが多い印象なので、りんごとしても、投稿の流れからいって別に問題はないと考えます。りんごではないことが多数派であらならそれに従っても構いません。

    投稿に内容に直接関係はないのですが、中東にはリンゴはないので、おそらく西欧に渡ってから自分たちの身近な果実にしたと思います。 ザクロという説もありますが、こちらは中東にも生育します。

    > 木の実から、キリスト体であるパンへという展開がテーマということですから、木の実がりんごであることにこだわるつもりはまったくありません。

    あくまでも作られたイメージですものね。 
引用返信/返信 削除キー/
■13032 / inTopicNo.91)  Re[5]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 19:58:05)
    No13019に返信(愛満開さんの記事)
    >>パンとワインが文字通りキリストの体と血とみなすべき、もう一つの理由。
    >>
    >>それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、それとの対比。堕罪を終わらせるのは、パンを食べること。注意すべきは、りんごが自然の中での対象物であるのに対し、キリストの体であるパンは超自然的な恵み。神の体なのだから当然。パンというのも、それはあくまで外観であって、外観の下の本体としてのキリストの体は不可視。パンという感覚的な対象物が問題なのではなく、パンの外観の下に超自然的な恵みとして現前しているキリストの体。それを食べることがアダムの堕罪を完全に終わらせるということ。
    >
    > やはり、神の愛と赦しの恵みにキリストの体を日々食べてその血を飲み続けなければならなと言う事でしょうか。

    毎日食べて飲まなければならないということはないと思います。それを強要したら、一方的な無条件の恵みではなくなりますから。キリストの過越はあくまで一回です。一回で終わって完成しています。その一回性の出来事を分かち合うことだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■13031 / inTopicNo.92)  Re[5]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 19:45:20)
    > こんにちは 横失礼します。
    >
    >
    >>それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、
    >
    > 「禁断の果実」ということですが、knowing itselfさんがこれをリンゴと断定する理由をお教えいただけませんか?

    「断定」のつもりはありません。聖書ではりんごと記述されていませんね。絵画などでりんごとして描かれることが多い印象なので、りんごとしても、投稿の流れからいって別に問題はないと考えます。りんごではないことが多数派であらならそれに従っても構いません。

    木の実から、キリスト体であるパンへという展開がテーマということですから、木の実がりんごであることにこだわるつもりはまったくありません。
引用返信/返信 削除キー/
■13030 / inTopicNo.93)  Re[4]: 哲学の雑談 12
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 19:34:20)
    愛満開さん こんばんは

    > >>>三位一体の恵みが時空間に遍在する。
    > >>
    > >>>華厳的な発想でいえば、一即多、多即一
    >>
    >>キリストは究極の光だとされます。そのキリストは一人しかいない。ところが、二千年にわたって世界中の津々浦々で、パンとしてリアルに現前してきた。天文学的な数字のパンになるでしょう。それだけの数の変異キリストバージョンがあるわけではなく、一つのキリストがあるだけですが、それだけの数のキリストの現前も真理でる。華厳的な光の世界を、わたしとしては連想します。
    >
    > なるほど、そのような意味で華厳的なのですね。
    > それは、一人のイエス様によって世界中にパンとしてリアルに現前している。(一即多)
    > そして、天文学的な数字のパンは、イエス様一人の現前によって表されている。(多即一)
    > ということになるのでしょうか。

    華厳経の思想は深遠で、よくわからないというのが正直なところです。たぶん私の言っているのは本来の華厳思想とは違うと思います。ただ、華厳経は所有しており、いつか熟読したいです。
引用返信/返信 削除キー/
■13021 / inTopicNo.94)  Re[4]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ flora -(2021/05/22(Sat) 17:47:46)
    No12999に返信(knowing itselfさんの記事

    こんにちは 横失礼します。


    > それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、

    「禁断の果実」ということですが、knowing itselfさんがこれをリンゴと断定する理由をお教えいただけませんか?
引用返信/返信 削除キー/
■13019 / inTopicNo.95)  Re[4]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/22(Sat) 17:21:00)
    > パンとワインが文字通りキリストの体と血とみなすべき、もう一つの理由。
    >
    > それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、それとの対比。堕罪を終わらせるのは、パンを食べること。注意すべきは、りんごが自然の中での対象物であるのに対し、キリストの体であるパンは超自然的な恵み。神の体なのだから当然。パンというのも、それはあくまで外観であって、外観の下の本体としてのキリストの体は不可視。パンという感覚的な対象物が問題なのではなく、パンの外観の下に超自然的な恵みとして現前しているキリストの体。それを食べることがアダムの堕罪を完全に終わらせるということ。

    やはり、神の愛と赦しの恵みにキリストの体を日々食べてその血を飲み続けなければならなと言う事でしょうか。
引用返信/返信 削除キー/
■13017 / inTopicNo.96)  Re[3]: 哲学の雑談 12
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/22(Sat) 17:18:32)
    knowing itselfさんこんばんは。
    このトピに出会ってから、自分の信仰生活が、より深まってきたことに
    感謝申し上げます。

    >>>キリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。
    >
    > いま目の前のこのパンが、キリストが断言したとおりのキリスト自身の体ならそうなると思います。キリストの違ったバージョンが多数あるわけではありませんから。二千年前に十字架ののち復活して天にあるキリストの体。
    >
    >>>いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。
    >
    > 天にあるキリストの体が最後の審判にあらわれるのであれば、それと同じキリストの体が現前するということだと思います。
    >
    >>>三位一体の恵みが時空間に遍在する。
    >>
    >>>華厳的な発想でいえば、一即多、多即一
    >
    > キリストは究極の光だとされます。そのキリストは一人しかいない。ところが、二千年にわたって世界中の津々浦々で、パンとしてリアルに現前してきた。天文学的な数字のパンになるでしょう。それだけの数の変異キリストバージョンがあるわけではなく、一つのキリストがあるだけですが、それだけの数のキリストの現前も真理でる。華厳的な光の世界を、わたしとしては連想します。

    なるほど、そのような意味で華厳的なのですね。
    それは、一人のイエス様によって世界中にパンとしてリアルに現前している。(一即多)
    そして、天文学的な数字のパンは、イエス様一人の現前によって表されている。(多即一)
    ということになるのでしょうか。

引用返信/返信 削除キー/

<前の12件 | 次の12件>

トピック内ページ移動 / << 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 >>
Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -