| >私がパンであるを喩えやシンボルではなく、文字通りに取る。
>これは最後の晩餐を端的に指し示す。
この動画の内容は、次の通りでよろしいでしょうか。 加筆訂正願えればと思います。
「主の晩餐について4つの見解が示されました。
カトリックでは、パンとワインの形が変わるものではなくパンはまだパンのように見え、パンのような味がするし、ワインはワインのような香りがする。 人間として私たちに知覚の変化は無いようです。
ただ、パンとワインは、単なるパンとワインでは無く、「聖変化」したパンとワインは、イエス・キリストの体と血なのでしょう。
譬え派のルターは、キリストの体と血とが聖餐式のパンとぶどう酒とに共存するとしています。これは、スポンジと水の譬えのようなものです。スポンジは水ではなく、水はスポンジではありませんが、2つは一緒と言えるものです。
ハルドリッチ・ツヴィングリの見解は、主の晩餐は、我々の罪のために十字架で血を流されたキリストの贖罪を思い出すのに役立つとしています。
シンボル派で第四のジャン・カルヴァン見解は象徴的で精神的な存在の見解と呼ばれるものです。教会と聖霊との交流が描かれています。」
なかなか難しいですね。
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