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■13147 / inTopicNo.73)  Re[14]: 聖変化
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/24(Mon) 20:21:55)
    ■13144
    >そんな趣旨のことは書いていませんが。どこをどう読むとそうなる?<
    ノーセルフさんが言ったことに関してだけからよ。
    どこから、っていうのは、あなたがが言った
    >外観はパンだけど実体は完全にキリストになっている<
    から。

    あなたが言っていることは、こんなん(■13143)かな〜、って思っただけ。


引用返信/返信 削除キー/
■13146 / inTopicNo.74)  Re[13]: リアルプレゼンスの理解の違い
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/24(Mon) 20:16:29)
    >私がパンであるを喩えやシンボルではなく、文字通りに取る。

    >これは最後の晩餐を端的に指し示す。

    この動画の内容は、次の通りでよろしいでしょうか。
    加筆訂正願えればと思います。

    「主の晩餐について4つの見解が示されました。

    カトリックでは、パンとワインの形が変わるものではなくパンはまだパンのように見え、パンのような味がするし、ワインはワインのような香りがする。
    人間として私たちに知覚の変化は無いようです。

    ただ、パンとワインは、単なるパンとワインでは無く、「聖変化」したパンとワインは、イエス・キリストの体と血なのでしょう。

    譬え派のルターは、キリストの体と血とが聖餐式のパンとぶどう酒とに共存するとしています。これは、スポンジと水の譬えのようなものです。スポンジは水ではなく、水はスポンジではありませんが、2つは一緒と言えるものです。

    ハルドリッチ・ツヴィングリの見解は、主の晩餐は、我々の罪のために十字架で血を流されたキリストの贖罪を思い出すのに役立つとしています。

    シンボル派で第四のジャン・カルヴァン見解は象徴的で精神的な存在の見解と呼ばれるものです。教会と聖霊との交流が描かれています。」

    なかなか難しいですね。
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■13145 / inTopicNo.75)  聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/24(Mon) 19:56:48)
    wikiで聖変化を検索することからか。アリストテレス哲学が背景にあるので、本当はかなり難しい。だけど、西洋哲学史上、エポックメイキング。ギリシャ哲学とキリスト教が見事に合体した瞬間。
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■13144 / inTopicNo.76)  Re[13]: 聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/24(Mon) 19:51:12)
    No13143に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ■13139、
    > >カトリックでこれをどう理解しているかというと、最後の晩餐のパンはパンではないということ。目の前のパンをパンと思って食べるとしたら、アウトです。パンがキリストの体に変わっているとしなければ。外観はパンだけど実体は完全にキリストになっている。<
    > っていうことは、カトリックさんはパンを食べるとき、〈私はキリストの肉を食べている〉と思って食べてる、っていうことでいいかしら?
    > そしてカトリックさんはこう言うの、「あ〜、この肉、美味しい!」って。

    そんな趣旨のことは書いていませんが。どこをどう読むとそうなる?
引用返信/返信 削除キー/
■13143 / inTopicNo.77)  Re[12]: 聖変化
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/24(Mon) 19:48:26)
    ■13139、
    >カトリックでこれをどう理解しているかというと、最後の晩餐のパンはパンではないということ。目の前のパンをパンと思って食べるとしたら、アウトです。パンがキリストの体に変わっているとしなければ。外観はパンだけど実体は完全にキリストになっている。<
    っていうことは、カトリックさんはパンを食べるとき、〈私はキリストの肉を食べている〉と思って食べてる、っていうことでいいかしら?
    そしてカトリックさんはこう言うの、「あ〜、この肉、美味しい!」って。

引用返信/返信 削除キー/
■13141 / inTopicNo.78)  リアルプレゼンスの理解の違い
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/24(Mon) 19:24:05)
    https://youtu.be/mFKgeA6gld8

    キリストのリアルプレゼンスが、カトリック、ルター、ツウィングリ、カルバンでどう違うか。うまくまとめていると思います。
引用返信/返信 削除キー/
■13139 / inTopicNo.79)  聖変化
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/24(Mon) 19:17:14)
    私がパンであるを喩えやシンボルではなく、文字通りに取る。

    これは最後の晩餐を端的に指し示す。

    カトリックでこれをどう理解しているかというと、最後の晩餐のパンはパンではないということ。目の前のパンをパンと思って食べるとしたら、アウトです。パンがキリストの体に変わっているとしなければ。外観はパンだけど実体は完全にキリストになっている。

    何を根拠にそういうか。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である」(ルカ22・20)というみことば。ちょうど旧約聖書創世記の冒頭で、「光あれ」と光を創造したのと同じ、無から被造物を創造せしめたみことばの力によって。みことばの力が、パンとワイン→キリストの体と血へと聖変化をおこす。


    何を荒唐無稽なと思う向きもあると思いますが、原罪から脱出するには、りんごでもザクロでも、対象を特定できる自然物じゃだめなんでしょう。パンやお米でも、パンやお米をターゲットにしたら、りんごと同じでしょ、本質的に?自然界で特定できるものじゃ何にしても偶像崇拝になる。パンの外観のまま、実体だけがキリストにならなければ。もちろん不可視不可食です。パクパク食べるのは外観としてのパン。


引用返信/返信 削除キー/
■13138 / inTopicNo.80)  Re[7]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/24(Mon) 18:57:34)
    愛満開さん こんばんは

    >>毎日食べて飲まなければならないということはないと思います。それを強要したら、一方的な無条件の恵みではなくなりますから。キリストの過越はあくまで一回です。一回で終わって完成しています。その一回性の出来事を分かち合うことだと思います。
    >
    > へぇー、一回でいいんですか。それは、大変助かりますね。
    > やはり、三位一体の神は、それくらい愛に溢れておられると言う事なのでしょうね。

    もちろん極論すれば一回でいいのですが、レストランでもラーメン屋でも、真に上手いと思ったら一回などとケチなことをいわず、何度も何度も通ってしまう。それと同じだと思います。

    天にあるキリストに地で触れる。地で何回触れても同じキリストです。時空間を超越した永遠の現在にあるキリスト。地は時間の中で生きるので、それぞれ違う状況で触れるのですがキリストにとっては同じ永遠の現在。



    > ところで、最近、「哲学の劇場」の吉川浩満氏の「理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ」という本を読んでいますが、進化論と創世記の神の創造とはどのように理解すれば良いのでしょうか。
    >
    > https://www.asahipress.com/rifujin_web/

    本屋で手にとってみたら面白そうなので購入しました。あとで何かカキコミするかもしれません。

引用返信/返信 削除キー/
■13098 / inTopicNo.81)  Re[10]: 進化と退化
□投稿者/ アートポット -(2021/05/23(Sun) 22:33:09)
    No13096に返信(パニチェさんの記事)
    > こんばんは。
    >
    > ■No13092に返信(アートポットさんの記事)
    >>こんばんは
    >
    >>単に「適応」した(適応できた)結果でしょうか
    >
    > そうです。
    > 生き残りで重要なのは適応とか順応です。
    >
    > ちなみに淘汰圧の低い環境(温室のように特定の動植物にとって快適な場)に生息する生物は進化しません。
    > 淘汰圧が高すぎると絶滅しますが、適度な淘汰圧は進化にとっては必須です。
    >
    > 人間の成長もこれに同じだと思います。

    今の僕にとっても重要なことかもしれません。
    パニチェさん、ありがとうございます。
引用返信/返信 削除キー/
■13096 / inTopicNo.82)  Re[9]: 進化と退化
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/23(Sun) 22:11:43)
    こんばんは。

    No13092に返信(アートポットさんの記事)
    > こんばんは

    > 単に「適応」した(適応できた)結果でしょうか

    そうです。
    生き残りで重要なのは適応とか順応です。

    ちなみに淘汰圧の低い環境(温室のように特定の動植物にとって快適な場)に生息する生物は進化しません。
    淘汰圧が高すぎると絶滅しますが、適度な淘汰圧は進化にとっては必須です。

    人間の成長もこれに同じだと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■13092 / inTopicNo.83)  Re[8]: 進化と退化
□投稿者/ アートポット -(2021/05/23(Sun) 21:39:56)
    こんばんは

    単に「適応」した(適応できた)結果でしょうか
引用返信/返信 削除キー/
■13090 / inTopicNo.84)  Re[6]: ネオダーウィニズム
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/23(Sun) 21:34:20)
    パニチェさん、こんばんは。

    面白くてためになる動画の御紹介ありがとうございます。
    突然変異と自然淘汰、自然選択の産物が進化だとすれば、巨大化したり、パワーアップしたりすることは進化とは言えませんね。

    > 私個人はネオダーウィニズムを支持しておらず、生物進化は適者生存もあり、自己組織化もあり、不適者生存もあり、獲得形質遺伝(エピジェネティクス)もあり、これらの複合だと考えています。

    ネオダーウィニズムとは、ダーウィンの自然選択説にメンデルの遺伝学が加えた進化論ですが、自然選択(淘汰)はあくまで進化のマイナーなプロセスであり結果論であって、必然的なプロセスでは言い難いので、確かにネオダーウィニズムが正しいとは言えないかもしれませんね。

    例えば、クジラのように、約5000万年前、突然、遺伝子のスイッチが入り足がなくなって陸上を捨て、海に移ります。このように、先に突然、形が変わって、環境に適応したわけではないのに足を失うケースもありますから。

    それから、「哲学の劇場」の吉川浩満氏の「理不尽な進化 増補新版 ――遺伝子と運のあいだ」についての近況報告がYouTubeで公開されていました。

    https://www.youtube.com/watch?v=a_GCqmZAZHE&t=451s

    個人的に気に入ったサイトなので、ご参考になればと思います。
引用返信/返信 削除キー/

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