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■13432 / inTopicNo.25)  Re[27]: ごはん
  
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/31(Mon) 18:14:16)
    ■13424、
    >食文化の違いですから何も語ってはいないです。<
    愛満開さん、ありがとございます。
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■13426 / inTopicNo.26)  「信じる者は永遠の命を得ている」
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/31(Mon) 10:17:50)
    横浜指路教会 牧師 藤掛順一先生の説教の中に「神の計らい」まさにこのことを述べられているところがありました。

    「主イエスを独り子なる神と信じる信仰は、イエスが神であることの証拠を示されて納得して信じるようになるというものではなくて、父なる神によって導かれて与えられるのです。」

    そして、そのためには、「父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る」という御言葉から「父なる神によって教えられ、そのみ言葉を聞いて学ぶ、それは聖書のみ言葉に聞くということです。」ということでした。

    さらに、「ですから、父がわたしにお与えになる人、父が引き寄せて下さる人というのは、聖書のみ言葉をしっかり聞く人です。聖書から神の教えを受けることによってこそ私たちは、主イエスが独り子なる神であることを信じることができるのです。」

    ここから「主イエス・キリストは、天から降って来て世に命を与えるパンです。父なる神が天から与えて下さるまことのパンです。このパンを食べる者は、永遠の命を得るのです。」と繋がります。

    「独り子なる神主イエスの十字架の死と復活があったからこそ、主イエスは命のパンであり、このパンを食べるならば、その人は永遠に生きると言うことができるのです。」

    ttp://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message190901mf.htm

    大変、ためになる内容だと思います。
    しかし信仰者も、この世においては、未信者と同様に、病気になり年をとり必ず死ぬときが訪れますが、最後の審判では復活し永遠の生命を得るのであり、それを希望に生きていきたいと思います。
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■13424 / inTopicNo.27)  Re[26]: ごはん
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/31(Mon) 09:21:24)
    No13411に返信(悪魔ちゃんさんの記事)
    > ねえ、
    > 「パン」じゃなくて「ごはん」についてキリストさんはなんか言ってる?

    食文化の違いですから何も語ってはいないです。
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■13423 / inTopicNo.28)  Re[15]: 最後の晩餐の絵が
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/31(Mon) 09:19:49)
    ttp://fujisawachurch.sakura.ne.jp/worship/pulpit/2020fy/200809pulpit.html

    「ですから、イエス様のことを本当に知りたいと思うなら、実際に食べてみるしかありません。食べてみなければその良さを知ることもないからです。それゆえ、イエス様を信じているということは、実際にイエス様を食べてみて、そのおいしさを知って、そして、また食べたくなるほどにその味に満足しているということです。」日本基督教団藤沢教会 

    これって、悪魔ちゃんが書き込みされたことととても似ているなあと思いました。

    イエス様の肉がおいしいとか不味いとかの話ではないと思います。
    勿論、教会の牧師様も、そのことを話されているとは思えませんが、信仰とは、自由意思によるのですが、やはり難しい、「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。」という神の計らい無くして信仰は無いように思えました。
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■13422 / inTopicNo.29)  Re[14]: 最後の晩餐の絵が
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/31(Mon) 08:43:27)
    knowing itselfさん 解説ありがとうございます。

    > キリストの体である聖体がパンの外観に隠れて現存するに至ることがこれほど重視(カトリックのすべてといって過言ではない)されるのは、父なる神から地上の人間世界に、聖霊が降ってきたまぎれない証拠とされるからですね。三位一体の交わりの極限。

    なるほど、聖霊の証拠だったのですね。
    ここで、疑問に思ったのですが・・・

    「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」
    (ヨハネによる福音書6・44)

    これは、ご利益を求めて押しかけてきた群衆に対してのイエス様のお言葉ですが、
    この後に、例の「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」という御言葉に続きます。

    神は万人を救済するためにこの世に来られたのだと思いますが、これって、予め神の御計画により予定された人だけがそのようになると言う事でしょうか。
    つまり、予定説のように、救われる人はあらかじめ決められていると言う事でしょうか。


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■13411 / inTopicNo.30)  Re[25]: ごはん
□投稿者/ 悪魔ちゃん -(2021/05/30(Sun) 20:40:53)
    ねえ、
    「パン」じゃなくて「ごはん」についてキリストさんはなんか言ってる?
引用返信/返信 削除キー/
■13404 / inTopicNo.31)  スーパーサブスタンシャルブレッド
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/30(Sun) 19:05:15)
    https://youtu.be/KOAlCT4w0M4

    約6分の短い動画ですが、このところテーマになってきた、ヨハネ6章のパンの意味、神の名、YHWH、私はあるという者、などについて本質的なところからまとめています。内容的に完全に同意。
引用返信/返信 削除キー/
■13403 / inTopicNo.32)  Re[13]: 最後の晩餐の絵が
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/30(Sun) 18:58:24)
    愛満開さん こんばんは

    > それで、もう一つ御検証願いたい動画がありましたので上げておきますので、どうぞよろしくお願い致します。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=iRUj_1x6ARM

    素晴らしいと思います。この短い動画の内容についてなら、カトリックとほとんど違いはない感じです。パンとぶどう酒→キリストの体と血、という聖変化に先立って、司祭は、もちろんローマ教皇もですが、聖なる父に聖霊を遣わしてくださいと祈ります。その聖霊がパンとぶどう酒をイエスキリストの体と血に変えることによって、私たち人間のうちにイエス・キリストを現存させるからです。

    キリストの体である聖体がパンの外観に隠れて現存するに至ることがこれほど重視(カトリックのすべてといって過言ではない)されるのは、父なる神から地上の人間世界に、聖霊が降ってきたまぎれない証拠とされるからですね。三位一体の交わりの極限。
引用返信/返信 削除キー/
■13395 / inTopicNo.33)  Re[23]: 主の昇天
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/30(Sun) 09:26:55)
    knowing itselfさんがアップされた動画「なぜ「主の昇天」は重要なのか」

    天と地との融合というか地の変容というかプラトンのイデアのような言葉だけではなく実際にこの地のままでキリストの復活、昇天と聖霊降臨との融合で天のように変えさせていただく信仰と教会生活の意義を感じました。

    > https://youtu.be/PxDTY_9w6ws
    >
    > キリスト教とプラトニズムの違い

    一見、復活と昇天なんて奇抜すぎて科学万能の現代では、信じられないことではあるのですが、実は、きちんと神の御計画の中に組み込まれていたのですね。

    とても有難いことですし、ご紹介いただいたknowing itselfさんにも感謝いたします。
引用返信/返信 削除キー/
■13393 / inTopicNo.34)  Re[12]: 最後の晩餐の絵が
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/30(Sun) 09:02:49)
    knowing itselfさんおはようございます。

    > 肉を食べ、血を飲むとは、聖体つまりキリストの体のリアルプレゼンスを受け入れることですが、これは個人の実存はもちろん、それを超えて、人間同士で、人間共同体で、キリストの体を分かち合うことです。教会とはそういうことです。パウロお得意の、教会=キリストの体言説はズバリそれを言っています。聖体としてのキリストのリアルプレゼンスの射程です。

    なるほど、流石に奥が深いですね。
    個人の実存が集まって共同体としての教会生活。それでなければ、何も教会の意義も礼拝に行く必要もないのでしょうから目から鱗でした。
    というのも、教会生活の意義は、いったい何処にあるのかと悩んだ時があり別に教会へ行かなくてもいいのではないかなと思ったものでした。

    > しかもこのキリストの体は、パウロの回心に見られるように、自分が迫害する異教徒の苦しむ体の中に現前した。
    >
    > 聖体=キリストの体は、孤独な個人の内面や実存、さらには閉じた宗教共同体には収まりきらない神秘があると思います。
    >
    > キリストの体というのは、十字架を経て復活したキリストの体です。

    >>https://www.youtube.com/watch?v=45W8EtH78ao
    >
    > この方は、ヨハネ6章の例の箇所を喩えとし、すべて神のことばを信じることに還元しているような印象ですね。わたしがこの一週間論じてきた立場とは正反対だと思います。もちろんそれはそれでありうる立場だと思います。

    なるほど、そういうことですね。
    やはり、カトリックとプロテスタントの根本的な違いがあるのかもしれませんね。

    それで、もう一つ御検証願いたい動画がありましたので上げておきますので、どうぞよろしくお願い致します。

    https://www.youtube.com/watch?v=iRUj_1x6ARM
引用返信/返信 削除キー/
■13388 / inTopicNo.35)  主の昇天
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/29(Sat) 22:04:56)
引用返信/返信 削除キー/
■13386 / inTopicNo.36)  Re[11]: 最後の晩餐の絵が
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/29(Sat) 21:43:04)
    愛満開さん こんばんは

    > 日々の生活で三位一体の神の愛が、自分の中へ入られたのは、ただ信仰のみであり、それこそ、イエス様の肉を食べ、血を飲んだからだと思っています。
    > 信仰は、他人ごとではなく自身のことだと実存的に捉えられて初めて神との交流の中に入らせて戴けるのだと思いますが、如何でしょうか。

    肉を食べ、血を飲むとは、聖体つまりキリストの体のリアルプレゼンスを受け入れることですが、これは個人の実存はもちろん、それを超えて、人間同士で、人間共同体で、キリストの体を分かち合うことです。教会とはそういうことです。パウロお得意の、教会=キリストの体言説はズバリそれを言っています。聖体としてのキリストのリアルプレゼンスの射程です。

    しかもこのキリストの体は、パウロの回心に見られるように、自分が迫害する異教徒の苦しむ体の中に現前した。

    聖体=キリストの体は、孤独な個人の内面や実存、さらには閉じた宗教共同体には収まりきらない神秘があると思います。

    キリストの体というのは、十字架を経て復活したキリストの体です。

    > それから、イエス様の血と肉についてお気に入りの動画がありましたので上げておきたいと思います。
    > 大阪弁の牧師様の言葉なので、チョッと吉本かがっているようにも思いますが、話の内容は、その通りかなと思い取り上げてみました。
    >
    > https://www.youtube.com/watch?v=45W8EtH78ao

    この方は、ヨハネ6章の例の箇所を喩えとし、すべて神のことばを信じることに還元しているような印象ですね。わたしがこの一週間論じてきた立場とは正反対だと思います。もちろんそれはそれでありうる立場だと思います。
引用返信/返信 削除キー/

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