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■12815 / inTopicNo.1)  哲学の雑談 12
  
□投稿者/ パニチェ -(2021/05/18(Tue) 20:29:21)
    トピ主:knowing itselfさん


    少し早めですが設置しておきます。^^

    引き続きよろしくお願いします。
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■12971 / inTopicNo.2)  Re[1]: 哲学の雑談 12
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/21(Fri) 20:05:03)
    信仰は、奥か深いですね。

    >キリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。

    >いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。

    >三位一体の恵みが時空間に遍在する。

    >華厳的な発想でいえば、一即多、多即一。

    >井筒俊彦ではないが、大乗仏教にも相通じる。

    knowing itselfさん、なかなか面白い話だと思います。
    もう少し詳しくご説明いただけると嬉しいです。

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■12998 / inTopicNo.3)  Re[2]: 哲学の雑談 12
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 07:47:49)
    愛満開さん レスありがとうございます。

    > >キリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。

    いま目の前のこのパンが、キリストが断言したとおりのキリスト自身の体ならそうなると思います。キリストの違ったバージョンが多数あるわけではありませんから。二千年前に十字架ののち復活して天にあるキリストの体。

    > >いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。

    天にあるキリストの体が最後の審判にあらわれるのであれば、それと同じキリストの体が現前するということだと思います。

    > >三位一体の恵みが時空間に遍在する。
    >
    > >華厳的な発想でいえば、一即多、多即一

    キリストは究極の光だとされます。そのキリストは一人しかいない。ところが、二千年にわたって世界中の津々浦々で、パンとしてリアルに現前してきた。天文学的な数字のパンになるでしょう。それだけの数の変異キリストバージョンがあるわけではなく、一つのキリストがあるだけですが、それだけの数のキリストの現前も真理でる。華厳的な光の世界を、わたしとしては連想します。
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■12999 / inTopicNo.4)  アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 08:00:05)
    パンとワインが文字通りキリストの体と血とみなすべき、もう一つの理由。

    それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、それとの対比。堕罪を終わらせるのは、パンを食べること。注意すべきは、りんごが自然の中での対象物であるのに対し、キリストの体であるパンは超自然的な恵み。神の体なのだから当然。パンというのも、それはあくまで外観であって、外観の下の本体としてのキリストの体は不可視。パンという感覚的な対象物が問題なのではなく、パンの外観の下に超自然的な恵みとして現前しているキリストの体。それを食べることがアダムの堕罪を完全に終わらせるということ。
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■13001 / inTopicNo.5)  Re[4]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 08:15:27)
    https://youtu.be/sCEP-z4rGSU

    絵はJuan de JuanのThe Last Supperです。キリストが掲げているのが、くだんのパンです。
    感覚的な対象物であるこのパンを偶像崇拝せよとか、感覚的に享受せよとか、人間の体とみなして食べろとか、儀式として完結させて自己満足せよとか、などではないのは、いままでカキコしたとおりです。あくまでも超自然的な不可視の恵み。しかしそこにリアルに現前している。
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■13017 / inTopicNo.6)  Re[3]: 哲学の雑談 12
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/22(Sat) 17:18:32)
    knowing itselfさんこんばんは。
    このトピに出会ってから、自分の信仰生活が、より深まってきたことに
    感謝申し上げます。

    >>>キリストの十字架と復活が、いまパンを食べる自分の中で再現される。
    >
    > いま目の前のこのパンが、キリストが断言したとおりのキリスト自身の体ならそうなると思います。キリストの違ったバージョンが多数あるわけではありませんから。二千年前に十字架ののち復活して天にあるキリストの体。
    >
    >>>いまパンを食べるこのときが最後の審判になる。
    >
    > 天にあるキリストの体が最後の審判にあらわれるのであれば、それと同じキリストの体が現前するということだと思います。
    >
    >>>三位一体の恵みが時空間に遍在する。
    >>
    >>>華厳的な発想でいえば、一即多、多即一
    >
    > キリストは究極の光だとされます。そのキリストは一人しかいない。ところが、二千年にわたって世界中の津々浦々で、パンとしてリアルに現前してきた。天文学的な数字のパンになるでしょう。それだけの数の変異キリストバージョンがあるわけではなく、一つのキリストがあるだけですが、それだけの数のキリストの現前も真理でる。華厳的な光の世界を、わたしとしては連想します。

    なるほど、そのような意味で華厳的なのですね。
    それは、一人のイエス様によって世界中にパンとしてリアルに現前している。(一即多)
    そして、天文学的な数字のパンは、イエス様一人の現前によって表されている。(多即一)
    ということになるのでしょうか。

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■13019 / inTopicNo.7)  Re[4]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ 愛満開 -(2021/05/22(Sat) 17:21:00)
    > パンとワインが文字通りキリストの体と血とみなすべき、もう一つの理由。
    >
    > それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、それとの対比。堕罪を終わらせるのは、パンを食べること。注意すべきは、りんごが自然の中での対象物であるのに対し、キリストの体であるパンは超自然的な恵み。神の体なのだから当然。パンというのも、それはあくまで外観であって、外観の下の本体としてのキリストの体は不可視。パンという感覚的な対象物が問題なのではなく、パンの外観の下に超自然的な恵みとして現前しているキリストの体。それを食べることがアダムの堕罪を完全に終わらせるということ。

    やはり、神の愛と赦しの恵みにキリストの体を日々食べてその血を飲み続けなければならなと言う事でしょうか。
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■13021 / inTopicNo.8)  Re[4]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ flora -(2021/05/22(Sat) 17:47:46)
    No12999に返信(knowing itselfさんの記事

    こんにちは 横失礼します。


    > それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、

    「禁断の果実」ということですが、knowing itselfさんがこれをリンゴと断定する理由をお教えいただけませんか?
引用返信/返信 削除キー/
■13030 / inTopicNo.9)  Re[4]: 哲学の雑談 12
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 19:34:20)
    愛満開さん こんばんは

    > >>>三位一体の恵みが時空間に遍在する。
    > >>
    > >>>華厳的な発想でいえば、一即多、多即一
    >>
    >>キリストは究極の光だとされます。そのキリストは一人しかいない。ところが、二千年にわたって世界中の津々浦々で、パンとしてリアルに現前してきた。天文学的な数字のパンになるでしょう。それだけの数の変異キリストバージョンがあるわけではなく、一つのキリストがあるだけですが、それだけの数のキリストの現前も真理でる。華厳的な光の世界を、わたしとしては連想します。
    >
    > なるほど、そのような意味で華厳的なのですね。
    > それは、一人のイエス様によって世界中にパンとしてリアルに現前している。(一即多)
    > そして、天文学的な数字のパンは、イエス様一人の現前によって表されている。(多即一)
    > ということになるのでしょうか。

    華厳経の思想は深遠で、よくわからないというのが正直なところです。たぶん私の言っているのは本来の華厳思想とは違うと思います。ただ、華厳経は所有しており、いつか熟読したいです。
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■13031 / inTopicNo.10)  Re[5]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 19:45:20)
    > こんにちは 横失礼します。
    >
    >
    >>それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、
    >
    > 「禁断の果実」ということですが、knowing itselfさんがこれをリンゴと断定する理由をお教えいただけませんか?

    「断定」のつもりはありません。聖書ではりんごと記述されていませんね。絵画などでりんごとして描かれることが多い印象なので、りんごとしても、投稿の流れからいって別に問題はないと考えます。りんごではないことが多数派であらならそれに従っても構いません。

    木の実から、キリスト体であるパンへという展開がテーマということですから、木の実がりんごであることにこだわるつもりはまったくありません。
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■13032 / inTopicNo.11)  Re[5]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ knowing itself -(2021/05/22(Sat) 19:58:05)
    No13019に返信(愛満開さんの記事)
    >>パンとワインが文字通りキリストの体と血とみなすべき、もう一つの理由。
    >>
    >>それは、アダムの堕罪がりんごを食べたことから始まった、それとの対比。堕罪を終わらせるのは、パンを食べること。注意すべきは、りんごが自然の中での対象物であるのに対し、キリストの体であるパンは超自然的な恵み。神の体なのだから当然。パンというのも、それはあくまで外観であって、外観の下の本体としてのキリストの体は不可視。パンという感覚的な対象物が問題なのではなく、パンの外観の下に超自然的な恵みとして現前しているキリストの体。それを食べることがアダムの堕罪を完全に終わらせるということ。
    >
    > やはり、神の愛と赦しの恵みにキリストの体を日々食べてその血を飲み続けなければならなと言う事でしょうか。

    毎日食べて飲まなければならないということはないと思います。それを強要したら、一方的な無条件の恵みではなくなりますから。キリストの過越はあくまで一回です。一回で終わって完成しています。その一回性の出来事を分かち合うことだと思います。
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■13033 / inTopicNo.12)  Re[6]: アダムのりんご→キリストのパン
□投稿者/ flora -(2021/05/22(Sat) 20:26:39)
    No13031に返信(knowing itselfさんの記事)こんにちは

    >>「禁断の果実」ということですが、knowing itselfさんがこれをリンゴと断定する理由をお教えいただけませんか?
    >
    > 「断定」のつもりはありません。聖書ではりんごと記述されていませんね。絵画などでりんごとして描かれることが多い印象なので、りんごとしても、投稿の流れからいって別に問題はないと考えます。りんごではないことが多数派であらならそれに従っても構いません。

    投稿に内容に直接関係はないのですが、中東にはリンゴはないので、おそらく西欧に渡ってから自分たちの身近な果実にしたと思います。 ザクロという説もありますが、こちらは中東にも生育します。

    > 木の実から、キリスト体であるパンへという展開がテーマということですから、木の実がりんごであることにこだわるつもりはまったくありません。

    あくまでも作られたイメージですものね。 
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