| knowing itselfさん 解説ありがとうございます。
> キリストの体である聖体がパンの外観に隠れて現存するに至ることがこれほど重視(カトリックのすべてといって過言ではない)されるのは、父なる神から地上の人間世界に、聖霊が降ってきたまぎれない証拠とされるからですね。三位一体の交わりの極限。
なるほど、聖霊の証拠だったのですね。 ここで、疑問に思ったのですが・・・
「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」 (ヨハネによる福音書6・44)
これは、ご利益を求めて押しかけてきた群衆に対してのイエス様のお言葉ですが、 この後に、例の「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」という御言葉に続きます。
神は万人を救済するためにこの世に来られたのだと思いますが、これって、予め神の御計画により予定された人だけがそのようになると言う事でしょうか。 つまり、予定説のように、救われる人はあらかじめ決められていると言う事でしょうか。
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