| 愛満開さん こんばんは
> >絵は時代の習俗や美意識による限定を免れませんが、パンに包まれ・隠されてリアルプレゼンスする全キリストは、時空間の限定を超えて普遍的です。最後の晩餐は、居合わせた十二弟子を超えて全人類を名宛人にしているのでしょう。 > > 時空を超えているというのは、本当だと思います。 > パンによるキリスト、神の存在感は、普遍的なのでしょう。 > >>宇宙をプレゼンスさせる、真のリアルな力が聖体としてリアルプレゼンスしているということだと思います。 > > 宇宙を存在させる神の力が、パンという聖体として存在していることの有難さを感じさせられました。 > そして、その存在の源は、三位一体の愛の力だと思いますし、その中に入れることの幸せを感じる今日この頃です。
まったくその通りだと思います。あと余計な説明かもしれませんが、カトリック的には、パンという聖体という表現は少し違うかなと。パンはそこにはすでになく、聖体だけがあるというのが正確だと思います。パンの実体が水平的に聖体という実体に変化したというより、パンがあったとみえたところに、垂直的に聖体が現存することになったというべきでしょう。 パンは単なる外観としてあるだけです。実体としてパンはまったく存在していません。パンが聖体なのではなく、聖体をいのちのパン、真のパンと呼ぶ、というのがカトリック的です。
聖体は、三位一体の極限の濃密な交わりが地上で具現化した頂点ということだと思います。
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