| 愛満開さん こんにちは
>>particular judgementとfinal judgement > これは、各自の臨終死後すぐに受ける個別の「私審判」と世界の終わりにすべての人々が受ける最後の審判という「公審判」との違いでよろしいでしょうか。
そうですね。
>>救われるか救われないか、天国かそうでないかは、 >>前者で明らかになる。それとは別に、戦々恐々と白黒二元の有無も言わさぬ後者の裁きを待つというのではない。なんでそんな固定観念をもつのだろうか? > > と言う事は、死後すぐに天国と地獄への選別が行われ、個人的には、生きている現世のうちから神との愛の交わりが得られているのなら、それが、そのまま死後にも継続していると考えていました。
一方的に選別されるのではなく、人間が自由意思で行きたいところを決めるということだと思います。本当に心の底から、三位一体の神の交わりに入りたいと希むなら、それを拒否する理由はないでしょう。聖書にある通りです。ただ、表面的なところで忠誠を演じても、ほんとうは希んでいない場合は多いと思います。本人が天国を希んでいないということです。
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