(現在 過去ログ2 を表示中)

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

No13599 の記事


■13599 / )  Re[36]: 最後の審判
□投稿者/ knowing itself -(2021/06/05(Sat) 11:16:14)
    tollさん こんにちは

    > ま〜死後の事ですから死んでから?後悔する?のも有りかな^^

    生前に最後の審判がくれば、当然、その人たちにとって生前です。

    神にとっては、リニアーな時間のどこにあるのかは問題ではなく、時間を超越して永遠の次元にいます。その神と交わりに入ることが天国なので、生前、死後の区別は実は本質的ではありません。もちろん死んでお終いすべて消滅はありません。そんなキリスト教は存在意味がゼロでしょう。

    > ■No13580に返信(knowing itselfさんの記事)
    >
    >>
    >>↑この4つの事柄は最後の審判以前の事柄です。最後の審判以前に決まっています。最後の審判とは基本的に無関係だと思います。個人の生に対する個別の審判で示される事柄です。最後の審判は神の救済ストーリーのエンディングでしょう。その人間の生が神の客観的な救済ストーリーの中で、私的にではなく公的に明るみに出される。
    >
    >
    >
    > ↑上記の「私的」「公的」とはどういうことですか?
    > カトリックによる審判に関係しますか?

    審判とは神の前に明るみに出されることです。審判の主体は当然、神です。

    私審判、公審判という訳語が古すぎですね。英語でいうと、particular judgementとfinal judgement、その内容については、先の私のカキコどおりだと思います。
返信/引用返信 削除キー/


Mode/  Pass/

TOP HELP 新着記事 トピック表示 ファイル一覧 検索 過去ログ

- Child Tree -