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No18758,17945,16076 の記事


■16076 / )  カント沼番外地:第一版序論 Z−3
□投稿者/ うましか -(2021/09/05(Sun) 21:37:52)
    2021/09/05(Sun) 21:39:31 編集(投稿者)

    pipitさん、皆さん、こんばんはー。

    今回で「カント沼番外地:第一版序論」は終了です。

    しかしそんなことより、pipitさん次男さんのコロナワクチン接種の様子を読んだうましかはヒヤリ(;´・ω・)

    でも読後は笑顔でした!
    イクラドーン(゚д゚)!

    2回目も無事終わりますように!m(__)m

    *******

    ◇ところで、人がこの学の区分を体系一般という一般的な観点からこころみようとするならば、私たちが今論述している区分は、第一には純粋理性の原理論、第二には純粋理性の方法論を含まねばならない。これらの主要部分のそれぞれはその小区分をもつであろうが、それにもかかわらず、そうした小区分の根拠はここではまだ論述され得ない。

    ◇ただ、次のことだけは序論あるいは前書きには必要であると思われる。

    ◇それはすなわち、おそらく共通の、しかし私たちには未知の根から生じているところの人間の認識の二つの幹、つまり感性と悟性とがあるが、これらのうちの前者によって、私たちには対象が与えられるが、後者によって対象が思考されるということである。

    ◇ところで、感性もア・プリオリな諸表象を含んでいるはずであり、そうしたア・プリオリな諸表象が、私たちにそのもとで対象が与えられる諸条件をなす限り、感性は超越論的哲学に属するであろう。

    ◇超越論的感性論は原理論の第一部門に属さなければならないだろうが、それは、人間の認識の対象がそのもとでのみ与えられる諸条件は、その同じ対象がそのもとで思考される諸条件に先行するからである。

    --- 第一版序論 終わり ---

    T 超越論的原理論 第一部門 超越論的感性論 へと続きます。


    →原佑訳上巻、p.138〜p.140参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。


    *******

    Z−1 No.16049, Z−2 No.16064, Z−3 No.16076
    Y−1 No.15783, Y−2 No.15914, Y−3 No.16013
    V−7 No.15588, V−8 No.15701
    V−4 No.15366, V−5 No.15456, V−6 No.15460
    V−1 No.15143, V−2 No.15340, V−3 No.15341
    W−1 No.14848, W−2 No.14849
    V−7 No.14620, V−8 No.14662
    V−4 No.14271, V−5 No.14415, V−6 No.14455,
    V−1 No.13815, V−2 No.14009, V−3 No.14097,
    U−1 No.13643 
    T−1 No.13389, T−2 No.13436, T−3 No.13576
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■17945 / )  超越論的感性論 第二項:V−4
□投稿者/ うましか -(2021/10/24(Sun) 09:39:53)
    2021/10/24(Sun) 16:00:46 編集(投稿者)

    pipitさん、皆さん、おはようございますー

    *******

    ◆ 1 空間は、外的な諸経験〔aeusseren Erfarungen〕から抽象されたいかなる経験的な概念〔empirischer Begriff〕でもない。なぜなら、或る種の諸感覚が私の外なる或るものと(言いかえれば、私が現にしめている場所とは別の空間の場所をしめている或るものと)連関づけられるためには、また同じく、私がそれらの諸感覚を、たがいに分離しかつ並存しているものとして、したがって異なっているのではなく、異なった場所にあるものとして表象しうるためには、空間の表象がすでにその根底になければならないからである。したがって空間の表象は外的な現象〔aeussern Erscheinung〕の諸関係から経験をつうじて借りてこられたものではなく、この外的経験がそれ自身前記の空間という表象によってのみはじめて可能である。

    --- No.17841 からの続き ---

    ◇ 2 空間は、全ての外的な直観の根底にある一つのア・プリオリで必然的な表象である。

     ※1 外的と内的、その区別の導入。何を境界とする、内・外か?
     ※2 外的な経験と内的な経験。「人間の認識構造」(黒崎〔『純理』入門〕, p.75)における位置づけ

    ◇人はたとえ空間のうちにいかなる対象も見いだされないということを十分考え得るにしても、いかなる空間も存在しないということについては決して表象することはできない。

    ◇それゆえ空間は諸現象の可能性の条件とみなされるものであり、諸現象に依存する一つの規定とみなされるものではなく、だから外的な諸現象の根底に必然的にある一つのア・プリオリな表象である。

     ※3 空間とは、諸現象の可能性の条件である。



    † 原佑訳上巻、p.150〜p.151参照
    †≠ナ囲まれた言葉は、カントが『純粋理性批判』文中で強調したものです。
    † 翻訳は参照しますが、◇〜は私が便宜上用いた区分けであり文章は原文・訳文の通りではありません。
    † 文中〔〕内は私による挿入、*1、*2〜や、※1、※2〜は私の覚書とします。これらは後に訂正、削除、修正等することがあります。
    † ◆〜は原典における段落とします。

    *******

    V−1 No.17515、V−2 No.17588、V−3 No.17841
    U−1 No.16741、U−2 No.16783
    T−1 No.16440、T−2 No.16454、T−3 No.16495

    *******

    No.16440,16454,16495,16741,16783,17515,17588,17841

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■18758 / )  謎沼探検記(;´・ω・)
□投稿者/ うましか -(2021/11/13(Sat) 06:51:02)
    2021/11/13(Sat) 06:51:54 編集(投稿者)

    pipitさん、沼っす!(`・ω・´)ゞ

    ******* 山下和也 『カントとオートポイエーシス』*******

    ◇序 カント認識論とオートポイエーシス

    ◇第一章 オートポイエーシス論
    ■第一節 経緯
    ・1960年、マトゥラーナは生物学博士号をとりチリに帰国、チリ大医学生に生物の起源について講義していたなか学生から受けた「35億年前に生命が始まったとき何が起きたのか」という質問を機に、生命のシステムの特徴について考察しはじめ、思いついたのが「生命システムの、すべてが自身との関連について起きるという自律性であった。
    ・1961年からは、マトゥラーナは生命システムを自己言及(self-referring)と呼んだ。ただし、彼はシステム自体とシステム・環境関係を区別する必要を感じていたのでこの表現に満足できなかった。

    ■第二節 定義
    ・オートポイエーシスを原理として成立するシステムを「オートポイエーシス・システム」と言う。
    ・「オートポイエーシス・システム」の定義とは・・・
    「構成素(component)を産出する構成素を産出(変形あるいは破壊)するプロセスのネットワークとして組織された(単位体として定義された)マシンであり、構成素は(@)その相互作用と変形を通じ、自身を産出するプロセス(関係)のネットワークを再生し実現する、そして(A)それ(マシン)を、自身(構成素)が存在する空間において、そうしたネットワークとしてのその実現の位相的領域を特定することで、構成する」〔p.4〕
    ・上記の定義は、山下によれば一見して分かりづらく、しかも言いたいことの内実が表現しきれていない。「産出」「連鎖」「循環」「閉鎖」というキーワードを使った山下による定義は次のようになる。・・・
    「オートポイエーシス・システムとは、産出物が次の産出プロセスを作動させる仕方で連鎖する産出群が作るネットワークの、循環的に作動して閉鎖した自己完結的閉域である。閉域形成に参与する産出物をシステムの構成素と呼ぶ」〔p.5参照〕
    ・APシステムの分かりやすい例とは、細胞システム(※ただし細胞そのものではない)。

    ■第三節 基本概念
    ・「コード」
    ・「構造的ドリフト」
    ・「構造変動」
    ・「メタモルフォーゼ」
    ・「システムの環境」
    ・「相互浸透」
    ・「攪乱」
    ・「構造的カップリング」
    ・「カップリング・システム」
    ・すべてのオートポイエーシス・システムに共通な性質・・・@個体性、A単位性、B自律性、C入力・出力の不在
    ・「言及システム」・・・ (元のシステムに対する新しいシステムとして)一階言及システム、二階言及システム〜

    ◇第二章 理性と認識システム
    ・オートポイエーシスの認識論の基本となる三つのシステム、生命システム、意識システム、認識システムと、カントのあげる三つの認識能力、感性、悟性、理性との対応を考える
    ・この図式が山下の展開する認識論の基礎となる。〔p.15〕
    ■第一節 三つのシステム 生命・意識・認識
    ・生命システム・・・認識を考える場合の出発点
    ・生命システムとは、生体器官を構成素とし、身体を構造とするAPシステムである。
    ・意識システム・・・脳における自己言及に基づく生命システムの一階言及システム。表象を構成素とするシステム
    ・認識システム・・・生命システムからは二階言及、意識システムからは一階言及のシステム
    ・認識システムとは、認識表象を構成素とし、認識を構造とする。
    ■第二節 感性・悟性・理性
    ・カントによる人間の認識(能力)
    「すべての我々の認識は感官に始まり、そこから悟性に進み、理性で終わる、理性を超えて、直観の素材を加工し、思惟の最高の統一の下へともたらす、より高次のものは我々のうちに見いだされない」(B355)
    「人間の認識には、おそらくは共通の、しかし我々には未知な根から生える二つの幹がある、すなわち、感性と悟性である。前者によって我々に対象が与えられ、後者によってしかし思惟される」(B29)
    ・山下のイメージでいえば、感性と悟性とによって個別の認識が成立し、理性によってそれが体系化される。

    ◇第三章 批判と二つの視点
    ■第一節 オートポイエーシスの二つの視点
    ■第二節 カント認識論の構図
    ■第三節 現象と物自体を区別する者
    ■第四節 『純粋理性批判』における二つの視点

    ◇第四章 自我とシステム
    ■第一節 システムの自己
    ■第二節 統覚論とオートポイエーシス
    ■第三節 『オプス・ポストゥムム』の自己措定論

    ◇第五章 感覚と攪乱
    ■第一節 ロックとヒュームの感覚論
    ■第二節 感覚の主観性
    ■第三節 感覚の客観性
    ■第四節 オートポイエーシス論の攪乱概念と感覚

    ◇第六章 カテゴリーと概念コード
    ■第一節 認識システムの概念コード
    ■第二節 カントのカテゴリー
    ■第三節 概念コードとカテゴリー − 超越論的演繹論から −
    ■第四節 カテゴリーの超越論的演繹 − オートポイエーシス論から見て −

    ◇第七章 物自体と認識システムの環境
    ■第一節 カントの物自体
    ■第二節 システムの環境と認識
    ■第三節 認識システムの環境としての物自体

    ◇第八章 超越論的観念論とラディカル構成主義
    ■第一節 カントの超越論的観念論
    ■第二節 現象の主観性
    ■第三節 ラディカル構成主義
    ■第四節 超越論的観念論再考

    ◇第九章 超越論的自由と自律性
    ■第一節 第三アンチノミーにおける超越論的自由
    ■第二節 オートポイエーシスの自律性
    ■第三節 認識システムの自由

    ◇結 論 認識論の完成に向けて

    *******

    No.18527,18608,18670,18758

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