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No16064, の記事


■16064 / )  カント沼番外地:第一版序論 Z−2
□投稿者/ うましか -(2021/09/05(Sun) 12:37:50)
    2021/09/05(Sun) 12:57:24 編集(投稿者)

    pipitさん、皆さん、こんにちはー。
    おじゃまします。

    pipitさんへ。

    No.16049 のタイトルを「Y−4」から「Z−1」に変更しております。 No.16053 で返信いただいていたのにすみませんm(__)m

    *******

    ◇したがって純粋理性の批判には、超越論的哲学を形成するすべてのものが属しており、だからこの批判は超越論的哲学の完璧な理念であるが、しかしまだこの学それ自身ではない。というのは、この批判はア・プリオリな綜合的認識の完璧な判定にとって必要とされるかぎりにおいてのみ、分析をおこなうからである。


    ◇そうした学を区分する際に最も重要な着眼点は、なんらかの何か経験的なもの〔etwas Empirisches〕をそれ自身のうちに含んでいるいかなる概念も、全然入りこんではならないということ、或いはア・プリオリな認識は完全に純粋であるということである。

    ◇だから、たとえ道徳性〔Moralitaet〕の最高原則〔Grundsaetze〕、および道徳性の根本概念〔Grundbegriffe〕がア・プリオリな概念だとしても、それでもそれらは超越論的哲学に属するべきではない。というのは、快と不快、欲望や傾向性、選択意志〔Willkuer〕などのことごとく経験的起源〔empirischen Ursprunges〕をもつ諸概念が、その際前提とされざるを得ないはずだからである。

    ◇だから、超越論的哲学は単に思弁的な純粋理性の哲学的な理論〔Weltweisheit *1〕である。なぜなら全ての実践的なもの〔alles Praktische〕は、それが動因〔Bewegungsgruende〕を含んでいる限り、経験的な認識源泉〔empirischen Erkenntnisquellen〕に属する感情に基づいているからである。

    *1 "Weltweisheit"については、原佑訳上巻は「哲学」と訳していたが、中山元訳1p.243で「哲学的な理論」と訳していたので採用。手持ちの独和辞典では「哲理」「哲学」とある。ちなみに高峯訳,p.60は「世界知」と訳している。

    →原佑訳上巻、p.138〜p.140参照(※翻訳は参照するが、◇〜は原文・訳文の通りではありません (;´・ω・))。文中〔〕内は私による挿入。*1〜は私による覚書。



    さて、いよいよ第一版序論も最後に近づいてきました。

    長かったなあ(´;ω;`)ウゥゥ

    さて、今後どうするか…


    *******

    Z−1 No.16049
    Y−1 No.15783, Y−2 No.15914, Y−3 No.16013
    V−7 No.15588, V−8 No.15701
    V−4 No.15366, V−5 No.15456, V−6 No.15460
    V−1 No.15143, V−2 No.15340, V−3 No.15341
    W−1 No.14848, W−2 No.14849
    V−7 No.14620, V−8 No.14662
    V−4 No.14271, V−5 No.14415, V−6 No.14455,
    V−1 No.13815, V−2 No.14009, V−3 No.14097,
    U−1 No.13643 
    T−1 No.13389, T−2 No.13436, T−3 No.13576

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