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■42871 / inTopicNo.1)  Re[17]: 井筒俊彦のテキスト
  
□投稿者/ 気まぐれ -(2025/04/29(Tue) 19:25:32)
    No42870に返信(knowingitselfさんの記事)

    >
    > 永井晋先生は、中世哲学の山内志朗先生と井筒俊彦をめぐって対談していたのを読んだことがあります。
    >
    > 著書は読んだことがありませんが、紹介していただいた新著は興味がそそられます。是非読んでみたいと思います。
    >
    > その山内志朗先生との対談というのは、井筒俊彦と中世哲学のドンスコトゥスや現代思想のジルドゥルーズとの親近性などが取り上げられていました。

    knowingitselfさん

    永井先生の著作にご興味を持っていただけたとのこと嬉しいです!
    検索したのですが永井先生と山内先生の対談というのは『未来哲学 第ニ号』ですか?
    私も読んでみたいです。

引用返信/返信 削除キー/
■42870 / inTopicNo.2)  Re[16]: 井筒俊彦のテキスト
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/29(Tue) 19:04:03)
    気まぐれさん 返信ありがとうございます

    > 返信ありがとうございます。
    >
    >>
    >>井筒俊彦の解釈としてはありうると思います。
    >>
    >>ハイデガー風にしすぎるかなという気もしますが。
    >
    > 確かにハイデガーに偏っている感がありますね。
    > 何度か使って思ったのですがAIはマジョリティーというか、有名どころの論に寄せるようです。まぁ、当たり前か(笑)
    >
    >>
    >>井筒俊彦は一人二人の思想家との類似性に収まる人ではなく、
    >>
    >>東西思想の全域に類似のネットワークを張り巡らせることが可能な人ではないでしょうか。
    >>
    >>井筒俊彦のテキストそのものが、凝縮した「象徴」表現の集積の観を呈していて、その「象徴」表現というのは古今東西の思想家のエキスを井筒的に短く要約したものです。こういう類型がある、こういうモデルもある、その例示が多様を極めますね。
    >>
    >>井筒俊彦を読む人ごとに、読む度ごとに、解答や解釈は異なっていいと思います。
    >
    > カバラーのミドラシュ的解釈みたいですね^^
    >
    > 東洋大学の永井晋先生ってご存知ですか?
    > 最近、新著「顕現しないものの現象学 生命・文字・想像界」を出版されたので、読んでいるのですが結構面白いです。
    > ちょうどミドラシュ的解釈のところを読んでいたので、タイムリーだなと思って、紹介してみました。
    >

    永井晋先生は、中世哲学の山内志朗先生と井筒俊彦をめぐって対談していたのを読んだことがあります。

    著書は読んだことがありませんが、紹介していただいた新著は興味がそそられます。是非読んでみたいと思います。

    その山内志朗先生との対談というのは、井筒俊彦と中世哲学のドンスコトゥスや現代思想のジルドゥルーズとの親近性などが取り上げられていました。


引用返信/返信 削除キー/
■42869 / inTopicNo.3)  Re[13]: 究極の言語、表現力極大言語
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/29(Tue) 18:56:26)
    ザビビのふくろうさん レスありがとうございます

    >実は、私は現在活躍中の哲学者の中で、古田さんが最も優秀なのではないかと思っています。
    ウィトゲンシュタインの解釈についても、最も優れているように思います。
    ウィトゲンシュタインについての2冊以外にも何冊か著書も読んでおりますし、論文も何本か読んでいますが、私なんかが逆立ちしても追いつかない学識と、哲学者としての深い考察能力がある方だと思っています。

    ウィトゲンシュタインの解釈はいいと思います。目が開かれるような記述がありました。

    それ以外の著作も読んでみます(笑)。

    >鬼界先生に関しては、奥雅博先生亡き後、ウィトゲンシュタインの遺稿研究における日本の第一人者であると思いますが、勝手な印象としては、『論考』より、後期の著作がお好きなのではないかと思うんです。
    というのも、鬼界先生の解釈する『論考』って、全く魅力に欠けませんか?(笑)
    で、私の場合、『論考』にイカレタことのある研究者のほうが合うようなんですね。

    「ウィトゲンシュタインはこう考えた」は真摯に書き込まれているので好きですよ。、
    「後期」を重視するというなら、古田さんや大谷さん、野矢さんも、後期は前期の発展だと捉えているのではないですか?

    ウィトゲンシュタインについてなら、永井さんのちくま新書は読み返す気にならないですね(笑)。

    読み返すのは野矢門下か鬼界さんです。

    あと、ニーチェアンにしてムスリムの中田考さんは、ウィトゲンシュタインは前期だけ関心があって、後期はどうでもいいみたいな意見でした。イスラム神学からは前期が役に立つと。

    >ちなみに、意外かもしれませんが、私、野矢さんの長年の大ファンで、主要著作はほとんど持っています。
    ややこしい問題をクリアに簡潔に語る能力は、ほんとうらやましく思います。
引用返信/返信 削除キー/
■42863 / inTopicNo.4)  SumioBabaさんへ
□投稿者/ パニチェ -(2025/04/29(Tue) 17:01:16)
    2025/04/30(Wed) 07:45:29 編集(投稿者)

           ↓
      捨て台詞(笑)追記編集箇所

    SumioBabaさんは相手を打ち負かして勝ち誇るために議論しているのではないんでしょ(No42821)。 
           ↓
    SumioBabaさんは『非学者論に負けず』ではなく?(笑)「相手を打ち負かして勝ち誇るために議論しているのではない(No42821)」んでしょ?


    No42860に返信(SumioBaBaさんの記事)

    > >上記の間違いはもうひとつある。放射性元素のβ崩壊は時間とともに崩壊する確率があがる。
    > それは違うと思います。「観測していない時」という条件付きで、a《未崩壊》+b《崩壊済》(a≠0、b≠0)…@という重ね合わせになり、bが0から1に向かって増えていく、です。aとbは複素数にまで拡張できますが、ここでは実数として説明します。

    > >これを観測するとその瞬間に初期状態に戻る。
    > これも違うと思います。観測前は@という重ね合わせ状態だった世界W1が、観測すると、確率「aの2乗」で《未崩壊》であった世界W1aと、確率「bの2乗」で《崩壊済》であった世界W1bとに、分裂する、です。

    > >これを利用して観測の頻度を上げれば都度初期状態に戻ってしまうから、β崩壊を遅らせることができるというもの。
    > これも違うと思います。「(その)都度初期状態に戻ってしまう」のだったら、ずっと連続的に観測した場合、β崩壊は永久に起こり得ないことになります。なぜ、そのうちに起こるのでしょうか?


    Wikipediaより
    『量子力学において、量子ゼノン効果とは、短時間内での観測の繰り返しにより、時間発展による量子状態の他状態への遷移が抑制される現象[1][2]。観測の頻度を高めていくと、究極的には時間発展が停まり、初期状態に留まり続けることを示唆するため、量子ゼノンパラドックスとも呼ばれる。』


    短時間内での観測の繰り返し、観測の頻度を高めていくと。。
    分かりますか?


    ChatGPT
    量子ゼノン効果は、以下のようなメカニズムで起こります。
    1.量子系は時間が経つと自然に別の状態へ遷移する(例えば励起状態 → 基底状態)。
    2.しかし、ある状態にあるかどうかを「観測」すると、その時点で状態が**測定された状態に収束(確定)**します。
    3.これを非常に短い間隔で何度も繰り返すと、遷移が起こる“猶予”がなくなり、状態が常に観測された元の状態に戻されてしまう。
    4.結果として、状態の変化が起こらない=量子的な時間進化が凍結される。


    これを非常に短い間隔で何度も繰り返すと。。。
    分かりますか?


    > >多世界解釈にも公理というものがあり、一般的には、観測前の共存度そのものが何であるかは定義しない。
    > 「共存度」を定義もせず、存在確率を計算さえできないのが、パニチェさんの量子力学なのですね。

    **** 以下、和田純夫著『量子力学が語る世界像』よりの引用 ****

    多世界解釈の基本原理(公理)
    点Aでの電子の波の高低は、点Aに電子が存在する世界(状態)の「共存度」を表す量である。
    共存度そのものが何であるのかは、定義しない。

    ******************************************


    パニチェの量子力学ではなく、多世界解釈の支持者として著名な研究者による公理の紹介です。
    分かりますか?


    ChatGPT

    Q:電子の存在確率が30%というのは電子がどこにも存在しない確率が70%ということですか?

    A:とても良い質問です。
    「電子の存在確率が30%」という表現は、ある特定の領域(空間)において電子が存在する確率が30%であることを意味しています。つまり、その空間内で測定したときに、電子が見つかる確率が30%ということです。
    したがって、「電子がどこにも存在しない確率が70%」という解釈は誤りです。
    なぜなら、電子は必ずどこかに存在しています。量子力学では、電子のような粒子の位置は確率的にしかわかりませんが、「存在確率」は必ず全空間で合計すると100%(=1)になります。


    電子の存在確率30%とはある位置に電子が存在する確率(確率振幅)であって、電子そものの存在確率ではありません。
    分かりますか?


    もういいんじゃないですか。
    私に意見や質問する前にググれば正解が出てくると思いますが。。。
    SumioBabaさんはSumioBabaさんの独自解釈の量子力学を用いた量子神学?で突っ走て下さい。
    私は興味がありませんので、以後、このテーマで私からSumioBabaさんに返信することはありません。
    SumioBabaさんは相手を打ち負かして勝ち誇るために議論しているのではないんでしょ(No42821)。
    疑問に思うことは、自分でググって調べて下さい。その方がなんぼか実りが多いと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■42860 / inTopicNo.5)  Re[15]: 重ね合わせと確率解釈
□投稿者/ SumioBaBa -(2025/04/29(Tue) 15:39:33)
    パニチェさんへ

    >上記の間違いはもうひとつある。放射性元素のβ崩壊は時間とともに崩壊する確率があがる。

    それは違うと思います。「観測していない時」という条件付きで、a《未崩壊》+b《崩壊済》(a≠0、b≠0)…@という重ね合わせになり、bが0から1に向かって増えていく、です。aとbは複素数にまで拡張できますが、ここでは実数として説明します。

    >これを観測するとその瞬間に初期状態に戻る。

    これも違うと思います。観測前は@という重ね合わせ状態だった世界W1が、観測すると、確率「aの2乗」で《未崩壊》であった世界W1aと、確率「bの2乗」で《崩壊済》であった世界W1bとに、分裂する、です。

    >これを利用して観測の頻度を上げれば都度初期状態に戻ってしまうから、β崩壊を遅らせることができるというもの。

    これも違うと思います。「(その)都度初期状態に戻ってしまう」のだったら、ずっと連続的に観測した場合、β崩壊は永久に起こり得ないことになります。なぜ、そのうちに起こるのでしょうか?

    >観測してない時には電子が発生している状態と電子が発生していない状態が重ね合わせになる(共存する)ことには変わりない。

    ここまでは意見が一致しているのですね。

    そしてどちらなのかを観測すると、@で表された我々の世界W1が、《未崩壊》に確定した世界W1aと、《崩壊済》に確定した世界W1bとに分裂します。それぞれの確率が、aの2乗とbの2乗です。これがSumioBabaの説明です。

    >ずっと観測してたら、いつかは電子が発生するでしょ、という話、SumioBabaさんはここも理解できていないと思う。

    初期状態《未崩壊》からずっと時間をΔtおきに観測するとし、《崩壊済》に達するまでの時間をτとすると、Δt→0の極限でτ→∞になる、というのが「量子ゼノン効果」です。


    パニチェさんへ

    >>例えば、1個の放射性元素がβ崩壊を起こして電子を発生させます。ちょうど半減期を経過した時点で、電子が発生しているのかどうかを観測していなければ、電子は確率1/2で「存在する」、確率1/2で「存在しない」、という状態になります。

    >>どちらなのかを観測すると、「不定」だった我々の世界W1が、「存在する」に確定した世界W1aと、「存在しない」に確定した世界W1bとに、分裂します。

    >>SumioBabaが理解している量子力学では、W1aでは電子の存在確率が1、W1bでは電子の存在確率が0、W1では電子の存在確率が1/2、となります。

    > >パニチェさんの量子力学ではどうなるのでしょうか?

    >観測前では電子が存在している状態と電子が存在していない状態が共存している(電子という波が存在している)ということになります。

    >多世界解釈にも公理というものがあり、一般的には、観測前の共存度そのものが何であるかは定義しない。

    「共存度」を定義もせず、存在確率を計算さえできないのが、パニチェさんの量子力学なのですね。

引用返信/返信 削除キー/
■42852 / inTopicNo.6)  撤回について
□投稿者/ パニチェ -(2025/04/29(Tue) 08:39:05)
    2025/04/29(Tue) 10:47:51 編集(投稿者)

    自分なりのケリを付けるために以下も説明しておこうと思う。

    ******************************************

    No42808 SumioBaBaさんから、おくたがわさんへの返信
    パニチェさんの以下の記述です(No42685から引用)。
    >量子力学の多世界解釈では「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在しますが、「量子が存在する」世界と「量子が存在しない」世界は想定していません。

    前半も後半も、変だと思います。前半はSumioBabaが指摘したらパニチェさんが撤回されたので、良しとします。
    しかし、後半も変です。観測していない時は、「1個の量子が発生していない世界」と「1個の量子が発生している世界」も重ね合わせになれるし、どちらなのかを観測すると、「1個の量子が発生していない世界」と「1個の量子が発生している世界」とに、世界が分裂すると思われるからです。放射性元素がβ崩壊して1個の電子を放出する例を挙げています(No42774)。
    《未崩壊》=「1個の電子が発生していない状態」、《崩壊済》=「1個の電子が発生している状態」です。

    ******************************************

    No42789 パニチェから、おくたがわさんへの返信
    No42708でSumioBabaさんから『「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在するのではありません。我々の世界W1という1つの世界の中の1個の量子が、様々な位置座標R=(x,y,z)を持つ「粒子」状態の重ね合わせΨ(R)でも表せるし、様々な運動量P=(Px,Py,Pz)を持つ「波」状態の重ね合わせΦ(P)でも表せる、ということです』との反論がありました。議論がそちらにそれてしてしまうことが嫌で、先の私の意見はいったん撤回しました。

    ******************************************

    No42789でおくたがわさんにレスしているように自分の発言に誤りがあったから撤回したのではなく、議論がそちらにそれる、拡散してしまうことが嫌で撤回したということ。
    これについての説明とSumioBabaさんの根本的な間違いを指摘しておきます。

    まず、以下の引用で和田純夫氏が述べている通り、観測前はコペンハーゲン解釈も多世界解釈もほぼ違いはなく共存(重ね合わせ)を認めてるということ。
    ちなみに和田純夫氏は日本を代表する多世界解釈を支持する研究者の一人である。

    No42815 パニチェ
    *** 以下、和田純夫著『シュレディンガーの猫がいっぱい』よりの引用 ***

    まず電子を波で表したとしましょう。もちろんこの時の電子の位置は決まっていません。この波を、無数の細かい波に分割します。こうして分割された無数の波の一つひとつは、位置の決まった波となります。逆に言えば、無数の細かな波のすべてによって、もとの波は構成されています。そして、この分割してできた波は電子の位置が決まっている状態を表し、一方、もとの広がりをもつ波は、電子がさまざまな位置にある状態が「共存」していることを表しています。つまり、量子力学では、一つの電子がさまざまな位置になる状態が共存していることになります。
    ここで注意することは、電子が無数にあるのではなく、また一つの電子が同時にあちこちにあることでもないという点です。電子がAにある状態、Bにある状態というように、無数の電子が共存しているのです。今、無数の状態が共存していると言いましたが、あらゆる状態が共存しているわけではありません。もとの一つの波の形が共存の様子を表していて、波の高さが、各状態の共存の程度を示しているのです。
    たとえば波が高ければ、あるいは逆に深ければ共存度は大きく、波の高低が小さければ共存度は小さい。そして波の高さがゼロなら、そのような状態は共存していないことになります。つまり、「電子の波は何を意味するか」という問題に対しては、「共存する状態の共存度を表している」と答えることができるのです。
    無数の状態の共存という言い方は、多世界解釈の「多世界」という言葉を連想させます。確かに私も、多世界解釈に影響を受けてこの言い方を思いついたのですが、この段階で、ボーアたちのコペンハーゲン解釈と違ったことを言っているというわけではありません。単に彼らが「重ね合わせ」という言葉で表現したことを、言いかえたにすぎません。

    ************* 引用終わり *************

    観測(粒子を検出)した瞬間にコペンハーゲン解釈では波動関数ψが収縮したと判断するし、多世界解釈では世界が分岐したと判断する。

    上記で和田純夫氏も述べている通り、共存(重ね合わせ)、つまり波の状態から、粒子を検出するのだから、「量子は波である世界」から「量子は粒子である世界」へ分岐すると言っても間違いではない。ただこの言い方は議論が生じる言い方であることは認める。

    多世界解釈にも公理というものがあり、一般的には、観測前の共存度そのものが何であるかは定義しない。またSumioBabaさんが観測前も粒子として発言していることからして、こういう議論に拡散してしまうことを嫌って撤回したまで。

    SumioBabaさんの根本的な間違いは、波動関数ψの共存(重ね合わせ)を全く理解していない、確率(確率振幅)を「存在する」「存在しない」の確率と捉えているところである。
引用返信/返信 削除キー/
■42845 / inTopicNo.7)  おおくわがたさんへ(懐かしいでしょ)
□投稿者/ パニチェ -(2025/04/28(Mon) 20:12:04)
    2025/04/28(Mon) 21:01:05 編集(投稿者)

    こんばんは、おくたがわさん。レスありがとうございます。
    今回も相手がおくたがわさんなので、以下はぶっちゃけトークをさせてもらいますのでスルーしてくらはい♪

    No42835に返信(おくたがわさんの記事)

    > はい、世界ではなく、世界内の事態や要素の存在・非存在の話をSumioBaBaさんがされる理由が、パニチェさんの話に合わせたものというのは私の憶測にすぎないので、そこは確認したい気はあります。内容を考えて質問するかもしれません。

    おくたがわさんとSumioBabaさんのレス交換も楽しみではありますが、月蛇の二の舞にはならなよう注意して下さい。
    現時点での私の見立てでは、月蛇同様、ちょいドグマチックなところがありますからね。

    > 独自の量子神学とのことなので、どこまで一致を求めるかなのかもしれませんが、それはパニチェさんのお考えしだいと。

    量子神学なるものには、全くもって皆目、全然興味がありません。
    でも、量子という冠を付けてる以上は、もうちょいまともな量子力学を取り込めよ、ってことです。
    量子力学の多世界解釈ではなく、SFの多世界とかパラレルワールドを取り込むなら興味ないことには変わりませんが、文句は言いませんw

    >>******************************************

    >>No42708 SumioBaBaさん
    >>存在確率30%の仮想粒子は、「存在する」か「存在しない」かを観測していないとき、a「存在する」+b「存在しない」(a^2=3/10、b^2=7/10)で表され、「不定」のまま片方に確定していません。どちらなのかを観測すると、「存在する」または「存在しない」の片方に確定します。言わば「不定」だった我々の世界W1が、この仮想粒子が「存在する」に確定した世界W1aと、「存在しない」に確定した世界W1bとに、分裂する訳です。

    >>No42712 パニチェ
    >>存在確率30%とは電子が特定の位置に存在する確率であって、電子自体の存在確率ではないはずです。電子は既に波として存在しますから。
    >>(訂正する前にSumioBabaさんが投稿したため引用は訂正前のものになっている。今残っている訂正後の投稿は→存在確率30%とは電子が特定の位置に存在する確率(波動関数の絶対値の二乗が、その位置に電子が存在する確率密度)であって、電子自体の存在確率ではないはずです。仮想粒子が「存在しない」とは、その位置に存在しないということであって、仮想粒子自体が存在しないということではないと思います)

    > こちらは、仮想粒子ということなので、電子の位置で考えるのは不適当ではないでしょうか。私が誤解していたらすみません。
    > 編集追記 
    > SumioBabaさんがこれに対し、下の電子の例で返信されているのですね。上記はいったん取り消して、様子を見させてください、すいません。

    上記、了解しました。その上で。。。
    そもそも量子力学に登場する仮想粒子ってのはSumioBabaさんが述べられているような粒子とは全然違いますけどね。
    これも量子神学の仮想粒子なら、なんとでも定義してちょ、ですけどw

    念のために。。。
    量子力学で登場する確率というのは主に粒子の存在確率密度(確率振幅)であって波の高低みたいなものです。
    どこで粒子が発見されるかの確率(波が高いところは確率が高く、低いところは確率が低い)です。
    それ以外には、物理量(運動やエネルギー、時間←いつ起こるか)を示すものです。
    電子などの粒子が「存在する・存在しない」の確率なんてことはありません。
    もしあったら、私の人生でこれまで知ることのなかった知識でびっくらぽんの大発見です。

    ※時間がある時に、是非おくたがわさんもChatGPTで「電子の存在確率が30%というのは電子がどこにも存在しない確率が70%ということですか?」と質問してみて下さい。


    > 以下については、私も興味があって質問したいところなので、またいずれお話させて頂くかもしれません。

    >>No42713 SumioBaBaさん
    >>例えば、1個の放射性元素がβ崩壊を起こして電子を発生させます。ちょうど半減期を経過した時点で、電子が発生しているのかどうかを観測していなければ、電子は確率1/2で「存在する」、確率1/2で「存在しない」、という状態になります。
    >>どちらなのかを観測すると、「不定」だった我々の世界W1が、「存在する」に確定した世界W1aと、「存在しない」に確定した世界W1bとに、分裂します。
    >>******************************************
    >>もしSumioBabaさんが量子力学に登場する確率を量子そのものが存在する、あるいは存在しない確率と捉えているなら、根本的なところで量子力学を理解していないということになります(議論にもならない)。

    はい、いつでもどうぞ♪
    一応、言いっぱなしもどうかと思ったので今朝No42834を追記しておきました。
    必要なら書籍も引用しまする。

引用返信/返信 削除キー/
■42843 / inTopicNo.8)  Re[12]: 究極の言語、表現力極大言語
□投稿者/ ザビビのふくろう -(2025/04/28(Mon) 18:37:19)
    knowingitselfさん、こんばんは。
    レスをありがとうございます。


    No42836に返信(knowingitselfさんの記事)
    > ザビビのふくろうさん 遅れてすみません
    >
    >>■No42726に返信(knowingitselfさんの記事)
    > >>ザビビのふくろうさん レスありがとうございます。
    > >>
    > >>
    > >>>おっしゃるとおり、今でも現象主義的解釈を採らない研究者のほうが多いと思います。
    > >>ですが、もちろん私見にすぎませんが、それがドグマのように私には思われるわけです。
    > >>これはアカデミズムのマイナス面じゃないかと思うのですが、前述しましたように、論理実証主義の失墜とともに、『論考』を論理実証主義と同じように解釈することへの一種のアレルギー反応があったように感じられるんですよね。
    > >>前述もしましたし、詳しくはもう述べませんが、はっきり言って、状況証拠(ウィトゲンシュタインが哲学に復帰してからの各種資料)から考えても、『論考』が現象主義言語を念頭に置いていたことは、最も自然で明らかだと私は思います(アカデミズムではこれだけでは根拠になりませんが(笑))。
    > >>
    > >>質問させてください。現象主義言語と対になるのは何言語でしょうか?日常言語?
    > >>
    >>物理的言語です。
    >>これは日常言語をそう見なすこともあるし、物理学で用いられる科学言語を指す場合もあるように思います。
    >>私には確定的な答えを与えることはできません。
    >
    > 「『論理哲学論考』を読む」野矢茂樹 文庫版208〜209には、
    >
    > 意識現象に対して、「私」とか「彼女」といった人称的主語を拒否し、ただ現れだけを記述する。英語でit、ドイツ語でesを使うように、非人称化する。それが現象言語だと書いてありますね。
    >
    > そうであるならば、まったく特殊な言語というべきで、日常言語でも科学言語でもないですね。
    >
    > たしかに、現象言語を採っている学者は、最近の人にはいないのかもしれません。
    >
    > >>野矢さんは確かに日常言語ですね。
    > >>
    > >>古田さんや大谷さんはどうなっているのでしょう。
    > >>
    >>
    >>彼らがどう捉えているかは、現象言語についての記述がざっと見た限りですがなかったので、よくわかりませんでした。
    >>
    >>■No42727に返信(knowingitselfさんの記事)
    > >>『論考』においてウィトゲンシュタインは、特定の時期の特定の日常言語(日本語、英語、ドイツ語、フランス語等々)によって語りうることの限界を探っているのではない。そうではなく、彼がこの書物で想定しているのは、世界に起こりうる事態の一切を漏らさず表現できるだけの機能と構造を定義上備えた言語ー言うなれば、〈究極の言語〉である。そのうえで、〈究極の言語〉をもってしても語りえないことがあるということを彼は証し立てようとする。
    > >>
    > >>「はじめてのウィトゲンシュタイン」古田徹也 p40
    > >>
    > >>
    > >>鬼界彰夫によると、ウィトゲンシュタインは人間の言語は「表現力極大言語」であると考えていたとなっているが、
    > >>
    > >>ほぼ同じ内容なのか?
    >>
    >>同じようですね。
    >>
    >>古田徹也『ヴィトゲンシュタイン 論理哲学論考』角川選書102頁参照
    >>
    >>現在スマホで、引用までする余裕がありません。m(__)m
    >
    > 同じだと思います。鬼界さんと古田さんでは、ウィトゲンシュタイン解釈は違うと思いますが。
    >
    > この二人について、ザビビのふくろうさんは、どのようにみておられますか?率直なご意見を伺いたいと思います(笑)

    私などの意見を聞いてくださり、ありがとうございます。

    実は、私は現在活躍中の哲学者の中で、古田さんが最も優秀なのではないかと思っています。
    ウィトゲンシュタインの解釈についても、最も優れているように思います。
    ウィトゲンシュタインについての2冊以外にも何冊か著書も読んでおりますし、論文も何本か読んでいますが、私なんかが逆立ちしても追いつかない学識と、哲学者としての深い考察能力がある方だと思っています。

    鬼界先生に関しては、奥雅博先生亡き後、ウィトゲンシュタインの遺稿研究における日本の第一人者であると思いますが、勝手な印象としては、『論考』より、後期の著作がお好きなのではないかと思うんです。
    というのも、鬼界先生の解釈する『論考』って、全く魅力に欠けませんか?(笑)
    で、私の場合、『論考』にイカレタことのある研究者のほうが合うようなんですね。
    ちなみに、意外かもしれませんが、私、野矢さんの長年の大ファンで、主要著作はほとんど持っています。
    ややこしい問題をクリアに簡潔に語る能力は、ほんとうらやましく思います。

引用返信/返信 削除キー/
■42841 / inTopicNo.9)  Re[19]: 追記Re[17]:
□投稿者/ おくたがわ -(2025/04/28(Mon) 17:47:46)
    No42808に返信(SumioBaBaさんの記事)
    SumioBaBaさんへ。
    横から勝手に口出しをして失礼しました。

    > 大変的確な理解をして下さっています。

    そう言っていただけると、ありがたいです。

    >SumioBabaとパニチェさんの片方に味方せず、公平な立場でのご意見をお聞かせ下さい。

    弱い方の味方をする傾向はありますが、お二人とも強豪と考えますので、当然どちらの味方もしません。

    ご質問したいことがありますが、もう少し考えてからにします。その時またよろしくお願いいたします。

    これへの返信はお気遣いなく。
引用返信/返信 削除キー/
■42840 / inTopicNo.10)  Re[15]: 井筒俊彦のテキスト
□投稿者/ 気まぐれ -(2025/04/28(Mon) 17:35:56)
    No42838に返信(knowingitselfさんの記事)


    knowingitselfさん

    返信ありがとうございます。

    >
    > 井筒俊彦の解釈としてはありうると思います。
    >
    > ハイデガー風にしすぎるかなという気もしますが。

    確かにハイデガーに偏っている感がありますね。
    何度か使って思ったのですがAIはマジョリティーというか、有名どころの論に寄せるようです。まぁ、当たり前か(笑)

    >
    > 井筒俊彦は一人二人の思想家との類似性に収まる人ではなく、
    >
    > 東西思想の全域に類似のネットワークを張り巡らせることが可能な人ではないでしょうか。
    >
    > 井筒俊彦のテキストそのものが、凝縮した「象徴」表現の集積の観を呈していて、その「象徴」表現というのは古今東西の思想家のエキスを井筒的に短く要約したものです。こういう類型がある、こういうモデルもある、その例示が多様を極めますね。
    >
    > 井筒俊彦を読む人ごとに、読む度ごとに、解答や解釈は異なっていいと思います。

    カバラーのミドラシュ的解釈みたいですね^^

    東洋大学の永井晋先生ってご存知ですか?
    最近、新著「顕現しないものの現象学 生命・文字・想像界」を出版されたので、読んでいるのですが結構面白いです。
    ちょうどミドラシュ的解釈のところを読んでいたので、タイムリーだなと思って、紹介してみました。

引用返信/返信 削除キー/
■42838 / inTopicNo.11)  井筒俊彦のテキスト
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/28(Mon) 16:41:26)
    気まぐれさん 返信ありがとうございます

    > knowingitselfさん
    >
    > 返信ありがとうございます。
    > 話が変わるのですが、AIに井筒論を語らせてみました。
    > 意外と面白かったので、紹介します。
    > ご意見などあれば教えて頂けたら幸いです。
    >
    > ・
    > AIによる現象学を参照した井筒論
    >
    > 【I. 存在はなぜ「象徴」を通して自己を顕現するのか】
    >
    > 井筒において象徴は単なる記号ではない。
    > それは、存在が意味として現れようとするときの閾であり、媒体である。
    >
    > 象徴とは、世界の背後にある「絶対無分別者」が、
    > 自己を分節化し、「有」として顕現しようとする運動の現れである。
    >
    > このとき、象徴は単に「意味を伝える」ものではなく、
    > **存在の震源(epicenter)**であり、
    > **「有が有として現れるための開口部」**である。
    >
    > ハイデガー風に言えば、それは「存在の光のもとへの出現(aletheia)」であり、
    > マリオン的には「与えすぎる現象」として、あらゆる把持を超えて流出する存在。
    >
    > 井筒において「意味が現れる」ということは、「存在が自己を分節し、自己を意味化する」という事態そのものである。
    >
    > ⸻
    >
    > 【II. 「象徴の発火点」は存在の根底構造か】
    >
    > 井筒は、「絶対無分別者」が分節(=ロゴス)に向かう一瞬を「象徴の発火点」と呼ぶ。
    > ここで、存在はまだ「存在者」として分かれていない。
    > それは、「ある」ことすら決していない、むしろ**「ある-ならざるもの」**である。
    >
    > この瞬間において、
    > • 存在はまだ自己の「有」であることを知らず、
    > • しかし自己を「開こうとしてしまう」。
    >
    > この構造は、ハイデガーの「存在の忘却」の直前にある**「有の自己照射の瞬間」**と重なりうる。
    >
    > 存在は、その根底において、「隠れながら開く」という矛盾的運動を孕んでいる。
    >
    > この運動の内部にこそ、象徴が「発火」する。
    > 象徴とは、存在の自爆的自己開示にほかならない。
    >
    > ⸻
    >
    > 【III. 頽落と意味生成:存在論的必要性】
    >
    > 井筒において、象徴の発火点が意味のはじまりであるなら、
    > その意味が「言語」となり、「世界」となることは、
    > すでに**頽落(falling)**を含んでいる。
    >
    > 意味が定義された瞬間、象徴は象徴ではなくなる。
    > 分節された世界は、もはや無分別者とは接しない。
    >
    > この構造は、ハイデガーにおける**頽落(Verfallen)**と共鳴する。
    > 人間は存在を忘却し、存在者に埋没する。
    > だがその忘却すら、存在の自己運動の一部である。
    >
    > つまり:
    > • 頽落は単なる誤謬ではない
    > • 頽落は、存在が自己を意味化することに内在する運命である
    >
    > ⸻
    >
    > 【IV. 存在の自己回帰と象徴の循環】
    >
    > ここに、井筒が描いた「象徴の円環的構造」が現れてくる。
    > 象徴は、分節の果てにおいてなお「意味以前の意味」を呼び戻す力を持つ。
    >
    > これは、存在が再び自己に帰還する運動である。
    > この運動は、スーフィー思想における「神→世界→神」の流出と回帰に似る。
    >
    > 象徴は、その循環の扉である。
    >
    > つまり、存在は自らを意味化し頽落するが、
    > 象徴を通して自己の非意味性、無根拠性に触れ直すことができる。
    >
    > このとき象徴は、
    > • 意味の始原であり、
    > • 頽落の痕跡であり、
    > • 回復の可能性であり、
    > • そして、存在の自己運動の一相である。
    >
    > ⸻
    >
    > 【V. 結語:象徴=存在の閃光】
    >
    > 存在は語り得ぬ。
    > だが、象徴はその沈黙を、閃光のように滑らせる。
    >
    > この閃光とは、意味になることを拒みながら、意味してしまう。
    > それは、言葉ではないが、言葉を呼び起こす。
    > まなざしでも、声でも、沈黙でもないが、それらをすべて孕んだ存在の通路。
    >
    > 井筒における象徴論とは、
    > まさに存在が自己を顕現する場の思想にほかならない。

    井筒俊彦の解釈としてはありうると思います。

    ハイデガー風にしすぎるかなという気もしますが。

    井筒俊彦は一人二人の思想家との類似性に収まる人ではなく、

    東西思想の全域に類似のネットワークを張り巡らせることが可能な人ではないでしょうか。

    井筒俊彦のテキストそのものが、凝縮した「象徴」表現の集積の観を呈していて、その「象徴」表現というのは古今東西の思想家のエキスを井筒的に短く要約したものです。こういう類型がある、こういうモデルもある、その例示が多様を極めますね。

    井筒俊彦を読む人ごとに、読む度ごとに、解答や解釈は異なっていいと思います。
引用返信/返信 削除キー/
■42836 / inTopicNo.12)  Re[11]: 究極の言語、表現力極大言語
□投稿者/ knowingitself -(2025/04/28(Mon) 16:13:26)
    ザビビのふくろうさん 遅れてすみません

    > ■No42726に返信(knowingitselfさんの記事)
    >>ザビビのふくろうさん レスありがとうございます。
    >>
    >>
    >>>おっしゃるとおり、今でも現象主義的解釈を採らない研究者のほうが多いと思います。
    >>ですが、もちろん私見にすぎませんが、それがドグマのように私には思われるわけです。
    >>これはアカデミズムのマイナス面じゃないかと思うのですが、前述しましたように、論理実証主義の失墜とともに、『論考』を論理実証主義と同じように解釈することへの一種のアレルギー反応があったように感じられるんですよね。
    >>前述もしましたし、詳しくはもう述べませんが、はっきり言って、状況証拠(ウィトゲンシュタインが哲学に復帰してからの各種資料)から考えても、『論考』が現象主義言語を念頭に置いていたことは、最も自然で明らかだと私は思います(アカデミズムではこれだけでは根拠になりませんが(笑))。
    >>
    >>質問させてください。現象主義言語と対になるのは何言語でしょうか?日常言語?
    >>
    > 物理的言語です。
    > これは日常言語をそう見なすこともあるし、物理学で用いられる科学言語を指す場合もあるように思います。
    > 私には確定的な答えを与えることはできません。

    「『論理哲学論考』を読む」野矢茂樹 文庫版208〜209には、

    意識現象に対して、「私」とか「彼女」といった人称的主語を拒否し、ただ現れだけを記述する。英語でit、ドイツ語でesを使うように、非人称化する。それが現象言語だと書いてありますね。

    そうであるならば、まったく特殊な言語というべきで、日常言語でも科学言語でもないですね。

    たしかに、現象言語を採っている学者は、最近の人にはいないのかもしれません。

    >>野矢さんは確かに日常言語ですね。
    >>
    >>古田さんや大谷さんはどうなっているのでしょう。
    >>
    >
    > 彼らがどう捉えているかは、現象言語についての記述がざっと見た限りですがなかったので、よくわかりませんでした。
    >
    > ■No42727に返信(knowingitselfさんの記事)
    >>『論考』においてウィトゲンシュタインは、特定の時期の特定の日常言語(日本語、英語、ドイツ語、フランス語等々)によって語りうることの限界を探っているのではない。そうではなく、彼がこの書物で想定しているのは、世界に起こりうる事態の一切を漏らさず表現できるだけの機能と構造を定義上備えた言語ー言うなれば、〈究極の言語〉である。そのうえで、〈究極の言語〉をもってしても語りえないことがあるということを彼は証し立てようとする。
    >>
    >>「はじめてのウィトゲンシュタイン」古田徹也 p40
    >>
    >>
    >>鬼界彰夫によると、ウィトゲンシュタインは人間の言語は「表現力極大言語」であると考えていたとなっているが、
    >>
    >>ほぼ同じ内容なのか?
    >
    > 同じようですね。
    >
    > 古田徹也『ヴィトゲンシュタイン 論理哲学論考』角川選書102頁参照
    >
    > 現在スマホで、引用までする余裕がありません。m(__)m

    同じだと思います。鬼界さんと古田さんでは、ウィトゲンシュタイン解釈は違うと思いますが。

    この二人について、ザビビのふくろうさんは、どのようにみておられますか?率直なご意見を伺いたいと思います(笑)
引用返信/返信 削除キー/

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