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Re[3]: 量子仏教〔7〕
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□投稿者/ パニチェ -(2025/04/22(Tue) 08:17:11)
| おはようございます、SumioBabaさん。横レス失礼します。
■No42679に返信(SumioBaBaさんの記事)
> 「真如」の矛盾した性質は「古典論理」では記述できず「量子論理」を使う必要がある。[0]で「○○○である」=「存在する」、「○○○でない」=「存在しない」とおくと、こう表現できる。 > 真如はa「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…[0a] > これは「真如」が、「存在する」(a=1、b=0)かもしれない、「存在しない」(a=0、b=1)かもしれない、「両方」(a≠0、b≠0)かもしれない、「片方」(a=1、b=0、または、a=0、b=1)かもしれない、とすべての可能性を考慮しているため、決して外れようがなく、証明不要のまま論理的必然性で恒真(トートロジー)になり、「なぜ?」という謎も発生しようがない。
量子力学の多世界解釈では「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在しますが、「量子が存在する」世界と「量子が存在しない」世界は想定していません。
「......である」と「......が存在する」の混同が見られるように思いますが、量子力学の多世界解釈で「......が存在する」と「......が存在しない」という世界に分岐するという仮説の出自はどこでしょうか?
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