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Re[4]: 量子仏教〔7〕
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□投稿者/ SumioBaBa -(2025/04/23(Wed) 10:06:23)
| ■No42685に返信(パニチェさんの記事) > おはようございます、SumioBabaさん。横レス失礼します。 > > ■No42679に返信(SumioBaBaさんの記事) > >> 「真如」の矛盾した性質は「古典論理」では記述できず「量子論理」を使う必要がある。[0]で「○○○である」=「存在する」、「○○○でない」=「存在しない」とおくと、こう表現できる。 >> 真如はa「存在する」+b「存在しない」(0≦a≦1、0≦b≦1)…[0a] > >> これは「真如」が、「存在する」(a=1、b=0)かもしれない、「存在しない」(a=0、b=1)かもしれない、「両方」(a≠0、b≠0)かもしれない、「片方」(a=1、b=0、または、a=0、b=1)かもしれない、とすべての可能性を考慮しているため、決して外れようがなく、証明不要のまま論理的必然性で恒真(トートロジー)になり、「なぜ?」という謎も発生しようがない。 > > > 量子力学の多世界解釈では「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在しますが、「量子が存在する」世界と「量子が存在しない」世界は想定していません。 > > 「......である」と「......が存在する」の混同が見られるように思いますが、量子力学の多世界解釈で「......が存在する」と「......が存在しない」という世界に分岐するという仮説の出自はどこでしょうか?
パニチェさんへ
ご質問、有難うございます。
「量子は波である」世界と「量子は粒子である」世界が並行して存在するのではありません。我々の世界W1という1つの世界の中の1個の量子が、様々な位置座標R=(x,y,z)を持つ「粒子」状態の重ね合わせΨ(R)でも表せるし、様々な運動量P=(Px,Py,Pz)を持つ「波」状態の重ね合わせΦ(P)でも表せる、ということです。この量子を「粒子」として観測するとΨ(R)として振る舞い、「波」として観測するとΦ(P)として振る舞います。Ψ(R)とΦ(P)とは、フーリエ変換/逆変換の関係にあり、一方が与えられれば他方は計算だけで求められます。
存在確率30%の仮想粒子は、「存在する」か「存在しない」かを観測していないとき、a「存在する」+b「存在しない」(a^2=3/10、b^2=7/10)で表され、「不定」のまま片方に確定していません。どちらなのかを観測すると、「存在する」または「存在しない」の片方に確定します。言わば「不定」だった我々の世界W1が、この仮想粒子が「存在する」に確定した世界W1aと、「存在しない」に確定した世界W1bとに、分裂する訳です。
世界の初めとしての「絶対的真如」は、まだ何も観測していないので、どんな状態W1、W2、W3、…なのかも決まっていないし、「存在する」か「存在しない」かも決まっていない状態です。W0=W1+W2+W3+…と書くと、存在し得るすべての世界W0、W1、W2、W3、…のどれもが、「存在する」のか「存在しない」のか「不定」の状態です。
「多世界解釈」では、個々の世界の存在確率が客観的ではなく主観的になります。
シュレディンガーの猫の生死を観測し、生だった世界をW1、死だった世界をW2とします。W1に住む人にとって、W1は存在確率1で「存在する」ですが、W2は存在確率0で「存在しない」です。W2に住む人にとって、W2は存在確率1で「存在する」ですが、W1は存在確率0で「存在しない」です。観測以前の世界W3=(1/√2)W1+(1/√2)W2に住む人の視点に立つと、W1もW2も存在確率1/2ずつで「不定」にもなります。
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